母が使っていた運動靴を、デイサービスの方が、わざわざ届けてくれたのは、はからずも、母の49日法要の日でした。
「領収書だけなら送らせてもらうのですが、忘れ物がありましたので、お届けしますね」と、電話をいただいたのでした。
電話を切ってから、処分してくれていいと、伝えればよかったかな、持ってきてもらうなんて悪かったよな、と思ったもののそのままにしてしまい・・
午前中に、お墓にお花を備えて帰っくると、玄関前に届いていました。デイサービス先で、履いていた運動靴です。
母は、週に2回通っていました。
初めは、歩いて。
途中からは、杖をつくようになって。
そして、私の腕に捕まるようになって。
最後の方は、車椅子に乗って。
後半は、特に、天気の悪い日も、休みたいと言わなかった母。
「娘に迷惑はかけたくない」
と、ヘルパーさんに話したことがあると、後から聞きました。
体が大変になっても、デイに行き続けたのは、楽しみもあったけれど、私のために、いっていたのかもしれません。少しでも、私の負担を減らすことになるならと。
そんなことにも気づかずに、出かける前の準備がけっこう大変なのよねって、私は思っていたんです。
靴を届けてもらってよかった。
靴も、お家に帰りたかったのでしょう。母といっしょに、デイで過ごした靴ですもの。
49日法要も終えたのですから、母をこの世に引き留めはしません。
でも、使った道具の一つ一つ、いろんなところに、母の生きていた時間は刻まれています。
それを、時々、懐かしく、愛おしく思うことは、悪いことではないよね、おかあさん。