【聖書について】
旧約聖書と新約聖書からなり全66巻である
旧約聖書(39巻)
・旧約聖書は新約聖書の影。影は実体を現しています。
※影だけを見ているとよく分からない部分がありますが、影は忠実にイエス・キリストを現しています。
・古い契約の聖なる書。ヘブライ語(ヘブル語)で書かれた。
※イエスキリストが生まれる1500年前から書かれBC約400年に完成。約1100年間にわたり旧約聖書は書かれた。
・BC(Before Christ):イエス・キリストが地上に来られる前

新約聖書(27巻)
・新約聖書は旧約聖書の実体(イエス・キリストのこと)
・新しい契約の聖なる書。ローマ帝国時代の共通語はギリシャ語です。
※イエス・キリストが人として生涯を終わられてから約100年にして完成。イエスは33年半の生涯がありました。よみがえり昇天してから書き始められたので約70年にわたり新約聖書は書かれ完成したことになります。
・AD(anno Domini):イエス・キリストがこの地上にこられてからの年
 
・聖書は約1600年間にわたって書かれた書物です。
・40人以上の人々がこれを記し、66巻を一冊にした。
・2000種以上もの国語、方言に訳されている。例えば中国では56部族ありそれぞれが違う言語を話す。
 ※日本語では、文語体、口語訳、新改訳、新共同訳、リビングバイブルなどがある。
・聖書は神と人との契約書である。

❗️世界の歴史(BC/AD)はイエス・キリストを中心として真二つに分けられている。歴史を通しても神の働きを見る事がでます。

聖書は生ける神の言葉である
テモテⅡ3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

<客観的データ>
聖書は書かれて以来、訂正されたり書き直されたりしたことがない。これは驚異的なことです。

ビックリマーク聖書以外の他の宗教経典は必ず訂正版がある。誤字脱字といったレベルではありません。ある時期にある教えがごっそり抜きとられ、ある時期に本一冊分ぐらいの新しい教義が付け加えられる。

お坊さん仏教系大学(仏教学部)大学院まで進まれ修行されたお坊さんの話
仏教について学べは学ぶほど疑問や矛盾を感じるようになりました。仏教の経典に関して仏教のほとんどの経典はシャクソン(釈迦)の言葉を記した物であるとされている。しかし、そうではありません。多くの経典の中でシャクソンの言葉を伝えている物はほんのわずかです。その他の物は後になって、インドや中国で新しく作り上げられた物なのです。しかもそれは、他のいろいろな宗教やそれぞれが書かれた土地の影響をうけてシャクソンの元々の精神からは大きく離れた物になってしまいました。また、同じ仏教の経典だといっても多くの人達が作り上げた物なので、互いに矛盾する思想があり、その上に次々と多くの仏(ホトケ)たちが考え出されたりして、経典の中身がとても複雑な物となってしまったのです。

シャクソンは後になって神格化されていきました(神として崇められるようになった)。しかし、シャクソン自身は普通の人間であると言っている。死ぬ時、自分の遺骨を崇める事さえ禁じた。シャクソンの考えを守ってひたすら修行に励むことを遺言として残した。シャクソンは誰にでも分かり易く、単純にその教えを説き、けして死後の世界や哲学的な難しいことは説きませんでした。そのため後世の僧侶たちは皮肉なことに、シャクソン自身の言葉をもっとも多く伝えている経典をもっとも中身の薄い教えであると判断してしまいました。いまでは歴史学の方法を使った研究の結果、経典はほとんどがシャクソンの言葉でないことが明らかにされました。
これは現在の仏教界では常識である。


聖書は初めから終わりまで一貫性がある。
・1600年という月日にわたり40人以上の人々により書かれました。その中には、王、農民、哲学者、漁師、医師、政治家、学者、詩人、農場主といったあらゆる階層の出身者によって聖書は完全な一冊の書物をなしている。

・何がどのように一冊をなしているかというと、一つの教理的体系があります。聖書は最初から最後まで道徳的基準があります。そして一つに計画的救いが書かれています。そして一つに歴史の筋書きを持って貫かれている。
❗️文明、文化が全然違うバックグラウンド、人の考えの違い、また字の書けない人たちは口述筆記という手法がとられ書かれました。一貫性があることは本当に奇跡的であり、人間が書いた以上の書物であると言われるわけです。(マルコの福音書はペテロが言ったことを書き写した)

約2000年に渡り世界のベストセラーである。

【聖書の神について】
人間は神の全てを理解し知ることはできるのか?
・結論からいうと、理解することは不可のです。

神の属性(特徴、性質)
・神は霊である。目で見ることができない、手で触れることができない存在です。
・神は命である。誰かによって命が与えられた(作られた)のではなく、命そのものです。
・神は存在そのもの。あってあるもの。I am The I am.
・神は無限である。
・神は不変である。変化することがないお方です。神のことばが2000年経ったいまも変化がないように、神様ご自身も変化されないお方です。
・神は真実である。嘘はつきません。
・神は愛である。
・神は永遠である。永遠とは時間の感覚がない。我々は過去、現在、未来といった時間の感覚の中に生きていますが、神様の四次元の世界はそのような時間の感覚がない。
❗️イエス様は人として来られましたが、神という性質の中では永遠なる方なので、イエス様が2000年前に十字架にかかっても、一度 十字架にかかられることを通して過去、現在、未来の全ての罪が赦されることをしてくださった。

・神は聖である。きよいお方です。
・神は遍在である。遍在とは同時にどこにでもおられる。
・神は全知である。全知とは全てのことをご存知である。
・神は全能である。無から有を生み出す、できないことは何もない。

神様は人間に対して徐々にご自身をあきらかにされるという方法をとっています。
Ⅱコリント3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
・救いは一瞬ですが、一人一人に合わせた神のプロセスの中でボチボチ変えられていく、神はそのために時間を作られた。時間を通して成長することを私たちに求めているといえます。

神と人との関係
・日本人は独特な神概念をもっています。自分がいてその下に神々がいる。自分の自己実現を叶えてくれるのが神々という考え。
にやり私も自分の願いのが多いかもあせる でもまず「あなたの御心が成りますように。」と祈るべきですね。アーメン。一番わかりやすいのは「主の祈り」と思います。

❗️私たちは神に従う存在として作られた。人間が神を操るのではなく、神が私たちを導いておられる。もちろん自分の願いを祈ることは重要ですし、聖書には求めなさいと書いてありますから、神とのコミュニケーションをとるために祈ることは重要です。しかし最終的には「神の御心が成るように」祈ることが聖書的祈りです。
マリア(ルカ:1:38)イエス(マタイ26:39)

神は人類に計画をもっている
・私達は偶然にいるのではなく、神の深いご計画のもと作られている。全ての人を愛しておられる方。

神の存在を知るには 1:13:53
❶神が造った被造物を見ると神の存在を知ることができる。
❷祈りを通して神を知ることができる。
実際にキリストをあじわうことができます。手応えを感じ理解することができるでしょう。
❸歴史を通して神の存在を知ることができる。
歴史を学ぶとき不思議を感じます。クリスチャンでない歴史学者でさえ「どうしてこの時代にこの国、このリーダーが生まれ、この時代にこの国、このリーダーが滅びるような事が起こるのか?すべての世界の歴史を総合して今の歴史に続いていっていること事態が不思議だ」というのです。
❹聖霊によって神を知ることができる。

なぜ神がいるのに現実には問題があり、悩みがあり、苦しみがあり、悲しみがあり、そのような事がある世界に生きているのでしょうか?・・・次回につづく。