【聖書が教える罪とは】
『罪』を大きく3つに分けました。
※日本語で罪を広辞苑で調べると6〜7つの項目でてきます。
❶Immorality:不道徳、不品行、不倫、わいせつ、乱行、風俗壊乱、ふじだら
❷Crime:刑罰を課せられる不法行為、法律上の犯罪
❸Sin:宗教での教えを破る行為
※日本語の罪という言葉の疑念には幅広い意味をもっているようです。英語には罪という日本語に該当する言葉はない。教会で語られる言葉はSinしかありません。
◎聖書が語る罪とは
・人間が神のために生きなくなることを罪という。つまり神以外に従うことであって、自己中心的に生きることです。
・聖書は神が人間を創造したと言っています。人間は神のために生きるように作られたということです。
◎罪は性質そのものであって、犯罪や悪行はその性質の現れ
(マルコ7:20-23) 「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
【神と人との法則】※死の法則
◎神は律法を作った
(創2:16-17)主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」
①どの木の実でも食べてよいという自由を与えた。
②同時に「善悪の知識の木」の実だけは食べてはいけないという制限を与えた。
③そして聞き従わない時にはどうなるかという刑罰も与えた。それは「死」であり、私達は死んだら地獄に行くことが決まっているのです。
❗️法律はまだエバが作られる前、アダムだけの時に作られました。ですから直接的に男性に対して神は法律を述べられたのです。ですから男性は女性に対して神様の御言葉を伝えていく責任が与えられている。
◎なぜ神は「善悪の知識の木」を作ったのか(法律制定の理由)
❶人間が自由をあじわうためです。
自由と同時に制限がなければ、本当の自由をあじわうことができません。
❷自分が守られるためです。
法律がない自由とは、極端なん話 アダムがエバをいじめても、エバがアダムを殺してもよいことになります。でも私たちは制限の中で法律の中で守られていると言えます。
❸権威の存在を知るためです。
法律があるとは、その背後に法律を制定した権威というものがあることを私たちは知るでしょう。例えば日本でよくてもアメリカではダメとか。
◎刑罰のような法則を作った
(ローマ6:23)罪の支払う報酬は死である
(ローマ2:12)そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。
「律法なしに罪を犯した者」→ 神が言っていること(律法)を知らないで罪を犯している者は、律法なしでそのまま自動的に滅びます。
「律法のもとで罪を犯した者」→ 神が言っていること(律法)を知っていながら罪を犯している者は、律法によってさばかれる。
❗️裁かれるとは、罪の報酬は「死」です。結局は神を知っていても知らなくても地獄行きが決定している。
①肉体の滅び ②霊的な死 ③永遠の死(地獄へ行く)
私達は罪の性質をもって生まれてくる(原罪、アダムからの遺伝)。アダムの姿は実は私達の姿を現していることを知らなければいけない。よって罪の法則によるならば罪の支払う報酬は死。地獄が私たちをまっている
◆罪の世界に生きる人間の姿はどのような姿なのか
何か分からない不安があるから、安心を求めて生きる努力をしている。
◎私達は世界共通の悩みがある。
①空白感(満たされない部分がある)
神は人間には精神的魂の部分と肉体的部分、そして霊の部分を作っていることを知らなければならない。霊の部分は霊でしか満たすことができません。霊の部分に空白があるのに、一生懸命に肉的なものや精神的なものを求めても、霊の部分は満たされないためいつも虚しいで終わってしまうのです。
②孤独感
本当の友達がいないと悩む人が多い。では、友達が沢山いればその孤独感は消えるのかというとそうではない。
③罪悪感
罪の赦しをどこかで望んでいる。神のことを知らなくても罪がよく分らなくても、罪の赦しを心のどこかで望んでいる。その罪を消すために一生懸命に善行したり、宗教したり、いろんな哲学をしたりして苦しむのです。
④死の恐怖感
自分はどこからきて、どこへ帰っていくのか分からない。自分が死んだらどこへ行くのか、どうなるのか分からないという不安をもっている。
❗️先進国である日本の自殺率は上位である。
「命の法則」について・・・つづく。