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注ぎ込まれる言葉

障害者雇用で働いてます

こころの記録。

ブログを更新しなくなりました。
日々のスケジュールは、googleカレンダーで管理していて、記録もそれで済んでしまうので、ブログに書くことがないです。
でも、2週間も書かないでいると、さすがに寂しくなってきます。

最近の悩みとしては、仕事に飽きてきたというのがあります。
僕にも生活があるので、辞めるというのはありえないです。
でも、どこか惰性で働いて日々が過ぎてしまっていて、気がつくと一週間が過ぎるのがすごく早いです。
昔はもっと毎日が充実してました。働くのが楽しかった。一日も長かったです。

感動がないんですよね。
去年も同じようなことで悩んでいたようです。
過去記事を「明日死んでも」で検索すると、いっぱい記事がヒットします。
当時は、生きがいがないことに悩んでいました。

 

今は、生きがいというようりは、仕事的な倦怠期で、ちょっと違います。
その説はコメント頂き、ありがとうございました。
女子プロレスに出会って、それが生きがいになってましたね。今はもう見てないです。

今は、生きがいというより、仕事の飽きをどうするか。
仕事がマンネリ化したということ。

僕だって、無線の免許を取ってみたり、色々やってるんですよ。
僕なりに人生を充実させようと努力はしてます。
でも、今回はそういったプライベートの生きがいではなく、仕事のマンネリが問題であるわけで。

僕でさえマンネリになるのだから、工場とかで黙々と流れ作業してる人とか、どうメンタルを保っているのでしょう。それはそれで大変な仕事だ。僕なんかまだマシなほうかもしれない。

本当は、仕事があることが有難いと思わなきゃダメ。
わかっちゃいるんですけど。

とまあ、そんな感じです。

 

では。。。
 

記録用。

 

母の携帯に、不審な電話番号から3回着信。

警察に相談。無視が一番良いとのこと。


障害者手帳に基づく福祉パスを受取。
通勤にも使っているので絶対必要。

図書館で、一川誠さんの本を借りる。

僕は、常々、時間というものを、どう捉えて良いのか考えている。


大学で、時間の研究をされている人がいるということを知り、図書館で、一川さんの本を借りる。

 

 

 

 

 

 

 

 

大人になるとなぜ子供の頃より早く時が過ぎるのか。

疑問に思うひとはぜひ読んでみよう。

 

でも、僕の時間に対する疑問は、こういった科学的なことというようりは、哲学、もっと言うと宗教的な意味合いの強いものであると思う。

 

僕にとって時間とは、各々が自分の時間に自分の物語を与えているものという認識です。

だから、この世界はそういった各々が自分勝手に作った無数の物語の集大成なのです。
大半が農民だった長閑な時代は終わり、現代は、消費社会になり個人が自分の人生に強い物語性を活発に与える時代になりました。
 
個々の物語が強いので、ぶつかり合ったり、共鳴し合ったりする時に生じるエネルギーも増大しており、そのせいで世の中が混乱しています。これが現代です。
 
今、ロシアがウクライナに侵攻しています。それはロシアの物語をウクライナに押し付けているのです。
ウクライナもまた、自らの物語で反撃します。そのぶつかり合う時に生じるエネルギーもまた巨大です。
 
個人や国家が物語を持つことを否定していいのかどうかは知らないです。
ただ、僕の言いたいことは、前の記事に書いた通り、この世に時間が存在しなければ、いくら物語を作っても、与える先というか、容れ物がないのです。
 
だから、大抵の問題の根源にあるのは、この時間という容れ物に何を詰め込むのか、詰め込まないのか。
 
人類は時間の存在に気づきました。人はいつか死ぬのを見て、自分もそうなると知った。だからせめて、生まれてから死ぬまでに、自分という作品を作りあげて死のうとがんばるのです。ただ、そのために作る物語が戦争を起こすこともままあるのです。
 
永遠にこの世界を支配する時間は、そんな人類の過ちなど知らん顔で、淡々と流れていきます。
誰もが時間があることを知りながら、その正体を捉えた人はまだいません。
 
重力と時間の正体だけは、まだ誰にもわからないのです。
 
戦争をやめようという単純な結論にしたいわけでは当然ないんですけど、時間は、無色透明でつかみどころがないくせに、それについて語り出すと、僕だってこうやって僕の物語を書いてしまうのです。ある意味、時間は、人を物語に誘う誘惑をしているのです。そして全てのエネルギーの根源です。
 
さて、時間についてはこのへんにしておきましょうか。
 
明日は母の付き添いで総合病院です。
エコー検査の結果です。朝イチから出かけます。
 
それでは、誤字脱字などあれば後で直しておきます。
たまに言いたいことを言ってますが、読んでくれた方はありがとう。
 
またよろしくお願いします。

 

今の仕事も4年半以上続いています。
12月で丸5年になろうとしています。

定着するという目標も一段落して、今、目標を見失っています。
新たな目標を必要としていますが、よくわかりません。
精神でがんばって働いている人のコミュニティがあれば見てみたいのですが、そういうのってあるようでないです。
いろんな人の話を聞いて参考にしたいのですが。
何かあったら教えて下さい。

そういうわけで、僕の心は宙ぶらりんです。
人間って、目標が定まらないとそうなるのです。
ただ生きてるだけでは生きていけないんですね。
消費に走るのは手軽ですが無駄意外の何物でもないと知ってるので。

前に、はー、もう死んでもいいかななんて思っちゃうと書きましたね。
その時は、たまたま見た女子プロレスにハマって、救われたってことがありました。
今の心境はそれとは違いますけど。

良い意味で捉えれば、次のステージに上がる段階に来ているのかもしれません。

何らかの開発が必要だ。

何かしよう。

とりあえず、もう少しで無線の免許が届きます。

今日から仕事。
ぼくはがんばるよ。

お盆。

終戦の日。

 

だからというわけではないのですが、亡き父や祖父の遺品を整理してました。

主に写真と戸籍謄本などで、量というほどの量はないのですが、それでも、どっと疲れました。

遺品整理って体力が要るんですね。

 

41歳で亡くなった父は、晩年にアマチュア無線に凝り出していたので、交信記録などの品が何点か出てきました。

交信記録から、相手方の現状を調べると、もう無線はやってないようでした。あるいは、30年以上経っているので、もう鬼籍に入られているのかもしれません。

 

祖父の軍歴証明書が出てきました。

僕が令和元年に取り寄せたものです。そういえば、そういうことやりましたね。

祖父や曽祖父が戦争に行った人は、役所に記録が残っているので、興味がある人は取り寄せると良いと思いますよ。

ただ、3親等までの親族しか取り寄せられないのです。あと、手続きが面倒です。

先祖供養にもなるので、みんなやってほしいなあ。

 

軍歴証明書をスマホで撮ってOCRでテキストデータにして、誤字などを修正して、テキスト化した軍歴証明書をchat-gptに読み込ませて、簡単に説明させてみました。

史実と照らし合わせて考証もしてない生データですが、祖父の苦労が浮かび上がってきます。

ここに残しておきますね。

 

それでは。

 

 

 

 

 

祖父の軍歴証明書によると、祖父は南方製材要員として陸軍に採用され、ソロモン群島のブーゲンビル島で製材補給業務に従事しながら、日本軍と連合軍の激しい戦闘に巻き込まれたことが分かります。以下に、祖父が体験したであろう戦争の概要を説明します。

- ブーゲンビル島は、1942年3月に日本軍が占領し、ラバウルからガダルカナル島を攻撃するための中間基地として飛行場を建設しました⁴。
- 1943年8月には、アメリカ軍がニュージョージア島のムンダ飛行場を占領し、日本軍の飛行場への航空攻撃を強化しました⁴。
- 1943年11月1日、アメリカ軍はブーゲンビル島西岸のタロキナ岬に上陸しました⁶。日本側は反撃を試みましたが、アメリカ艦隊や航空隊の優勢により失敗しました⁴。これが第1次タロキナ作戦と呼ばれる戦闘です。
- 祖父はこの時期に第2移動製材班要員としてブーゲンビル島に派遣されました。第2移動製材班は、第26野戦貨物廠の一部であり、木材や燃料などの補給物資を生産する任務を担っていました⁸。
- 1944年3月から5月にかけて、日本軍は第2次タロキナ作戦と呼ばれる大規模な反攻作戦を実施しましたが、アメリカ軍の防御線を突破することができませんでした⁴。日本軍は多くの犠牲者を出しました。
- その後、日本軍はブーゲンビル島内で孤立し、自活することになりました⁴。食料や医療品などの不足や病気などで多くの兵士が死亡しました。祖父はこの厳しい状況の中で生き延びることができました。
- 1944年12月から1945年8月まで、オーストラリア軍がブーゲンビル島に上陸し、日本軍と戦闘を繰り広げました⁴。祖父はこの時期に上等兵に昇進しました。
- 1945年8月15日、日本が無条件降伏を発表しました。祖父はその後ファロウ島から浦賀に帰国し、1946年2月22日に召集解除されました。

祖父は南方製材要員として採用されたものの、実際には戦闘に参加したり、敵の攻撃を受けたりする危険な任務に就いていたことが分かります。祖父は約二年間もの間、ブーゲンビル島で苦難に耐えながら戦い続けました。祖父の軍歴証明書は、祖父の勇敢さや忍耐力を物語る貴重な証拠です。祖父の戦争体験を知ることで、祖父の人生に対する理解や敬意が深まるのではないでしょうか。

◾️運転免許系

 

 

中型自動車第一種運転免許(8t限定)
(自動車免許)
平成06年07月25日
1994年7月25日

原動機付自転車免許
平成04年01月07日
1992年1月7日


普通自動二輪免許
平成06年10月03日
1994年10月3日

 


大型自動二輪免許
平成29年04月13日
2017年4月13日
(合格体験記奮闘記書きました)

 



◾️工場系

 


玉掛技能教習終了 1994年10月14日
ガス溶接技能講習修了 1994年11月14日
クレーンの運転の業務に係る特別教育終了 1995年5月23日
フォークリフト運転技能講習終了1997年12月1日


◾️趣味系

 


第四級アマチュア無線技士
免許の年月日 1997年7月3日

第三級アマチュア無線技士

免許の年月日 2023年8月22日
受験当日のブログ

 


第二級陸上特殊無線技士の国家試験合格
免許の年月日 2023年8月22日
受験当日のブログ

 


無線資格試験合格体験記

 

 

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