bon-witch

bon-witch

~ただ淡々と生きる~

 

 

わざわざ、『昨日の私』を続けなくっていい☆

~これまでの私をダウンロードしない選択~

 

 

∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆

 

 

 

これまでも、この感覚ちょくちょくあったけど

最近多いなあ~。

 

 

「あ、今の私、さっきまでの私じゃない・・・」

って言う、大変聞こえが怪しいこの感覚。

 

 

きっと,皆さまの中にもおられるはず!

この感覚に覚えがある人☆

 

 

それは、『新しい私』が『これまでの私』を

再びダウンロードしている間の不思議な感覚。

 

 

今回は、この件についての

bon-witchなりの理解になります。

 

 

同じように感じる方との

情報の共有になるといいな(^_-)★

 

 

 

∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆

 

ちょくちょく訪れる、おかしな感覚

 

∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆

 

 

 

まただ・・・・

またこの感覚だ・・・(シーン・・・)

 

 

今の私に、これまでの私ダウンロードされているのだ。

 

 

ダウンロードが開始されるまでは

真新しい空っぽの私だったのに。

まるで初めての道を、子供の好奇心のような

ドキドキした新鮮な気持ちでドライブしていたのに。

 

 

✩✩☆彡

 

 

サウナからの帰り道、一人車を運転しながら

度々訪れるこの不思議な感覚にこの日も取り巻かれる。

 

 

(これまでの私・・ダウンロード中・・・)

 

 

 

 

赤信号で停車。

時間は夜の10時半を回っている。

昼間は人と車で賑わう市役所やショッピングビル

に囲まれたこの交差点も、

この時間に横断歩道を渡るのは

地下鉄の時間を気にしてのことだろう、

カップルが一組・手を繋いで小走りに渡っているだけだ。

 

 

信号機は、人のほとんど居ない交差点で

この時とばかりに存在感を主張して

真面目に赤・黄・青とギラついているけれど、

信号機を利用しているのはやはり、

赤信号で停車している私と、

今まさに横断歩道を渡り終えようとしている

カップルだけだ。

 

 

時々通うサウナまでのこの道、この交差点、この街は、

もう何十年も前から通っている馴染みの場所。

この街で仕事もしたし、友達とはしゃいで遊んで、

そんでもって恋もした。

楽しい経験、悲しい思い出がそこかしこにちらばっている。

建物やお店の名前は変わっても、

所々に昔のまんま、時間が止まった場所も

ちゃんと混ざっている。

 

 

そう、この街で沢山の経験をした私が

それから何十年も経った今ここで、赤信号を前方に

ブレーキを踏み停車している。

 

 

・・・(ダウンロード完了・・・)

 

 

信号が青に変わる頃には、

真新しい私の頭の中で、

「そうしてこの私になりましたとさ。」と、

この身体でこの名前、この年齢になるまでの過程が

順序よく並べられ、その私がサウナの帰り道に

この交差点を通過しようとしている・・・

と言う設定・・・、

と言う訳なのだ、

の設定と訳が、頭の中で整理整頓されている。

 

 

「はぁ~・・・」。。

 

 

何とも言えない一息が

内臓からひねり出される。

気分は微妙。

 

 

面倒なのだ。

『昨日の私』を続ける事が。

なんなんだろ、コレ?

 

 

 

∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆

 

「これまでの私」をダウンロード

 

∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆

 

 

 

本当に面倒くさい。

年齢を重ねた分だけ

ダウンロードのデータ量は比例して多くなる。

それだけ、ダウンロードにストレージ(容量・保管場所)と

その為のエネルギーを要するのだ。

 

 

いいじゃないか。

真新しい新鮮な私のままでも。

 

 

「今」真新しい新鮮な感覚が訪れたのなら、

そのまま流れに身を任せて体験し続けたって

いいのではないか?

 

 

子供のように好奇心一杯に。

何のこだわりもない、全てが初めてのような

新鮮な世界の中をただただ体験し、味わい、

思う状態で居たっていいじゃないか?

 

 

私は、半世紀以上も

これまでの私」役を演じてきた。

ここらでこの役柄を返上したいのかも知れない。

若い頃ならこの役に夢中になれたけど、

今の私はもう、パターン化された

この役に飽きてしまったのかもしれない。

 

 

パターン化された私を降板するタイミングは、

これまでにも人生に何度かあったように思う。

 

 

だけど、私は真新しい私これまでの私

ダウンロードし続ける事を選択していた。

もちろん、無意識に。

 

 

「上書き」、じゃなくて「更新」と表現すればいいだろうか?

捨てられない、と思い込んでいる、これまでの私にまつわる

沢山の背景を、真新しい私に重ねて重ねて重ね塗りし続けた。

 

 

だって、気づかなかったから。

気づかないようにしなければならなかったから。

 

 

まっすぐいつだって送られてきている、

本当は一番耳を傾けなければならない

『本当のわたし』からの情報を無視し続けた。

 

 

認められなかったし、

認めるわけにはいかなかったから。

認めると「変な人」って事になって、

そんな生きづらい人生を選択するくらいなら、

外界から教えられる教訓に

自分をまとめる必要があった。

 

 

だけど、

「時間」はそんな風には出来ていない。

ここ数年時々ではあるが、経験もして実感も得た。

 

 

「時間」と呼ばれる

私が存在していると認識している場所は、

「今」であり、この今と次の今、この今とその前の今を順序よく

並べているのは、「時間」と言うものが一直線に

過去から未来へと流れるものだと思い込んでいる私の認識だけで、

実際にはそうとは思えないような出来事が起きる。

今と次の今になんの脈絡もないおかしな出来事が起こるのだ。

※出来事についての1つの事例は以下の参考記事に記載。

 

<参考記事>

 

 

 

 

∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆

 

わざわざ、

『昨日の私』を続けなくっていい

 

∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆∞∞☆

 

 

だけど、もう飽きた。

興味が持てないので、続ける事が

困難である・・・とでも言う?

とにかく、これまでの私をタウンロードせずに

真新しい新鮮な私のままで居たらどうなる?

の方に興味が湧いてしまったのだ。

 

 

それだけ真新しい新鮮な私を認識した瞬間は魅力的✨。

ただただ、全てがワクワクと幸福感で存在している瞬間だから。

 

 

まるで楽しみにしていた初めての土地への旅行のように。

何のこだわりも無い、新しい私が地球体験をしている🌍!

そんな愉快な感覚✩

 

 

この不思議な感覚のタイミングが増えている。

きっと私だけでは無いんじゃないかな?

 

 

これまで当たり前と思い込んでいた

不安定で不確実な側面に気づけば気づくほどに、

この不思議な感覚が訪れるのだ。

 

 

思い込み(概念・ルール)は、

人によって、地域によって、国によって、時代によって、

状況によって、そしてきっと星によって違う。

どの「わたし」かの役柄によって、体験が違う。

 

 

こんな、気づいてみれば当たり前の事が

これまでの私が使ってきた思い込み

取り払ったらどうなるの???と言う、

真新しい新鮮な私のままで居たらどうなる?

の好奇心へと惹きつける。

 

 

これまでの私をダウンロードしない。

この、聞きようによってはかなり危なっかしい

「ゆかいな挑戦」をしてみよう!

 

 

とは言うものの、

この挑戦、なかなか上手くいかない事も多いのだが、

理由は簡単、こう言う事だ。

 

 

これまでの私をダウンロードすること自体が

根強い習慣となってしまっている。

 

 

これまでの私を時系列にそって塗り重ねる「癖」!。

一種の「執着」のようにも感じる。

思い出の中に強い感情が伴っていればいるほどに

ダウンロードは制御不可能な程に一気に進んでしまう

この一連の流れに私は飽きた。

 

 

と言う事で、今の私がこの「癖」を止める為に

やっている事は次のような事。

この記事、かなり変わった事言っている。

だからそんな人居るのか分からないけれど、

私と同じようにこれまでの私、ダウンロードに飽きた人

参考になればと、ここに記してみようと思う。

 

 

 

ダウンロードが始まるタイミングに気づいた時点で

ダウンロード強制停止!思い出す、と言う作業から意識を

何でも良いから在るもの、やっている事柄に向け直す。

とにかく徹底!

 

「今」の五感に集中

(空気の味、呼吸の感じに気づく、心臓の鼓動を感じる、音を感じる

匂いを感じる、頬に当たる風などの感触や情報を感じる

細かな体調をありのままただただ感じる

とにかく置かれている空間の繊細な情報をなるべく肉体の神経で感じる。

 

「今」に好奇心を持つ

持つ事をめちゃめちゃ自分に許す

 

 

 

以上である。

これを、これまでの私をダウンロードする癖に

置き換えている。

この時の私の状態は、『冷静に立ち止まった状態』

であり、自分に対してとても客観的になれる

タイミングであり、『感情的』とは真逆の状態である。

結構うまくいく。

(もちろん、いつも上手くいく訳ではありません。)

 

 

そんでもって私は、ダウンロードを止めた代わりに

自動的に訪れるこの感覚が気に入っている。

 

 

気分が実に良いのだ!

何かが、「わたし」の中でキラン✨キラン✨と

楽しく踊り出す♪

生きている!のだ。

今・ここでそう言う状態であるのだ!

って言う気分の良さがある。

 

 

カラダの細胞がピチピチ喜んでいるような、

ジワ~んとカラダに燃料が運ばれたような・・・

こんな状態にある時には、朝っぱらから、

時には寝る直前までカラダがウキウキ

ニヤニヤしている(のを感じている)事もある。

 

 

頭のどっかで、「私大丈夫?」

って感覚を覚える事すらある。

あるんだけれど、、

元々私は冷めたあまのじゃくな性格であるだけに、

こんな感覚ちょっと怪しいと

そりゃあ思ってしまうのだけれど・・・

それもまた楽しいとも思えてしまうのだ。

 

 

そんな、まだまだ未知の「頑固な癖」を

取り去った後に残る世界観なのである。

しっかりと地球🌍を肌で感じている、

しっかりとここに在る感覚。

「悩み」は「悩み」として存在できない

そんな世界観であり、と言うよりそんな暇はなくて、

この新鮮な感覚、今を全神経で感じている状態で、

「悩む」ことは無理なタイミングなのである

 

 

 

えーーーと(^_^;)・・・

言葉にすると、文章にすると、

物凄く怪しいのだ、と今知った。

 

 

 

だけどね。もしも、もしもね?

 

この状態で生きる事が、

本来の『わたし』で生きると言う状態だとしたら?

 

しっかりと「今」と言う「現実」を生きると言う

状態がこの状態だとしたら?

 

この状態が、100%素直な自分が

今を感じて存在すると言う事だとしたら?

 

「100%のわたし」が今の前にも後ろにも

存在するんじゃない?

って、

既にどうしようもない過去や、

考えたって答えなど出ない未来への不安

に意識を向ける自分に気づくたび、

この事に飽き飽きしてきた私は、

残りの人生を思うとき、

これまでの私をダウンロードする事が、

「今」と言うたった1つの確実なものへの

無駄な何かのように感じてしまうのだ。

 

 

ちょっと、内容が内容だけに、

記していてどう締めくくれば良いのか

そろそろ分からなくなってきた(~_~;)。

 

なので、今回のお話はここまで✩

 

 

追伸:今回のこのお話、ラジオでサラッとですが

お話した回がございます。下記にリンクお貼りしています、

宜しかったら、覗いてみて下さい✩

 

 

もう一つ、追伸です!

これまでの私をダウンロードしない選択をする時に

大切なのが、過去の記憶に結びつくネガティブ感情の処理

です。この方法を、ラジオで配信しました。

参考になればと思います。原理が分かると、簡単で使えます!

あなたの細胞に蓄積された『感情(エネルギー)』の解放方法

 

 

当記事の元になったラジオ配信

 

://stand.fm/episodes/6671a91d83da14402b6a55ea

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました✤。

 

bon-witch ~ただ淡々と生きる~