「全てを、あるがままに流れに身を委ねて生きる」って出来る?
怖いよね? 宇宙の無条件の愛って何?
(そろそろ、我が家のニャンコ
をお風呂に入れなきゃな。)
猫のシャンプーは大仕事だ。
愛猫は、決して協力的態度とは言えない、
お風呂嫌いである。
私も全身ビチャビチャになるの覚悟で、
愛猫をシャンプーからタオルドライ、
ドライヤー、耳掃除、爪切りまで
お世話させていただく。
お風呂に連れていかれる事を悟ったニャンコ![]()
は、
シャーッ!![]()
っと私を威嚇しながら、
結局ひょいと持ち上げられてお風呂場へ。
そこからは、我が家の外を通りがかる人が、
(猫?はたまた子供の声?え??虐待???)
って絶対に誤解されていそうな声で
ニャンコは遠慮なく大鳴きするのだ
。
人間の赤ちゃん用のバスタブを使って、
ニャンコの入浴タイムが始まる。
「絶対溺れないから大丈夫だよ
。」って、
いくら私が言っても、
ギャーギャー!二”ャーーー![]()
![]()
!!!大騒ぎ。
途中で気持ちよさも感じているはずなのに、
体を固くし、バスタブの淵にしっかりとつかまり、
私の大丈夫だと言う言葉など信用なるものか!と
言わんばかりに、目をギョロギョロさせて
焦りまくっている![]()
![]()
![]()
これなのですよ。
ここにヒントがあった。
宇宙の無条件の愛に身を委ねて生きるヒントがね。
「全てを、あるがままに流れに身を委ねて生きる」
ヒントがね。
私たちの暮らしている世界は、フラクタル構造。
どこを切り取っても同じパターンが現れる構造の事。
ミクロはマクロ、マクロはミクロ。
そんな風に言ったりもする。
自分の体内で起こっている事は、
外側の世界にちゃんと表現されている。
大人の社会で起こっている事は、
子供の社会でも起こっている。
私達の世界が丸っと含まれている宇宙も、
銀河の分布は、原子核の周りの電子分布に現れている。
私が使っている占星術も、
私が興味を持った一番の理由がここにあった。
何故?私が生まれた時の地球から見た
宇宙に浮かぶ天体の配置図を読み解くと
自分自身の事が分かるのか??
何故?宇宙に「わたし」が描かれているのか??
何故???ってね。
とにかく、この世界の全ての内側が外側に現れ、
この世界の全ての外側は内側を表現しているのだ。
つまり、「わたし」とは、
内側にも外側にも表れている存在?
そのすべてが実は「わたし」?
私達は、その全ての中のほんの一部分、
自分の名前と、その名前にまつわる背景を持った自分、
それだけを「私」として解釈し生きている状態?
そうなの…?
そして今回のテーマ、
「全てを、あるがままに流れに身を委ねて生きる」
この構図が、私と愛猫との間にちゃんと表現されていた。
あなたは、
「全てをあるがままに流れに身を委ねて生きる」
事ができますか?
この宇宙の流れを「愛」と知り、
その流れに身を委ねることが出来ますか?
私は、暴れる愛猫をお風呂に入れる時、
こんな気持ちになっていた。
そして言葉の通じない愛猫に
口にも出してこう言った。
「そんなに怯えなくても大丈夫。
ちゃんと支えてるよ。ね?」
そう言っても猫には伝わるわけもなく、
二”ャー!!二”ャーーー![]()
![]()
![]()
!!!
私の心は愛猫に思う。
(怖いよね。君からしたら私の言葉が通じない。
何をどう安心して大丈夫と思えるのか?ってなるよね。
事実、君は今シャンプーの臭いに圧倒され、
胸までお湯につかり、
いつ溺れるか分からないと
誤解しても仕方のない経験をしている![]()
けれど君は溺れないんだよ。
こうして私が支えているのだから。
信じられなくてもいい。
でも私は君から目を離さない。
君の体を綺麗にしてあげたいだけなんだ。
私が君にどんなに誤解されても、嫌われても、
痒がっている君の体を
綺麗に気持ちよくしてあげたいだけなんだ。
こうやって大騒ぎしても大好きだよ。
君が私を嫌いになっても、
私は君が大好きだよ。
臆病な君のまま、
私は君をすでに引き受けているよ。)
あえて言葉にするなら、
私は愛猫に対してこんな事を感じながら、
シャンプーの間中、
共にビチャビチャになって体験している。
これなのだ。
私達人間は、この世界(宇宙)にとって
シャンプー中の愛猫そのものである。
いくら大丈夫と教えられても、
実際に恐怖を感じているではないか?
実際に恐ろしい目に合っているではないか?
宇宙の言葉が分からない。
どうやってその無条件の愛を捉えればいい?
けれど、こうやって大騒ぎしている私ごと丸っと、
私はすでに、この世界に存在してしまっているのだ。
この世界に抱きかかえられてしまっている状態、なのだ。
この世界で笑い、泣き、恐怖におののき、
再び立ち上がり、また笑って。
その全ての私が、すでに丸っとこの世界に
表現されてしまっているのだ。
私と言う存在が許可されるかどうか?
確認するまでもなく、議論の余地なく、
すでにこの世界に私は表現されている。
どんな私が出てきても、
この世界(宇宙)は、
私が表現されたときには、既に受け入れている。
私は、無条件に存在を許可されてしまっているのだ。
無条件の許可=無条件の愛=宇宙=私たちが委ねるもの
である。
無条件なのである。
どの存在にも、許可の為の条件が無いのだ。
どんな状態の私も。
その状態がダメだと宇宙は一切言わない。
ただただ存在の表現を許している。
抱きしめている。
既に。
それでいいよ。その君でいいんだ。何も間違っていない。
この宇宙の言葉は、
言葉ではなく事実として、私たちに語りかけられる。
我が家の愛猫がどんな状態でも
私は既に彼女
を受け入れている。
彼女と共に在る。
私がどんな状態でも、
あなたがどんな状態でも、
私もあなたも、
既に宇宙に身をあずけているし、
宇宙は私たちを既に受け入れている。
あとは、この事実と私たちがどう向き合うか?
それだけなのである。
宇宙は、委ねられても委ねることを拒まれても、
事実すでに丸っと受け入れてしまっているのだから。
でも確かに、怖い。
無条件の愛の宇宙の存在は、
言葉で受け取れるものではなく、
体で感じるものだから。
【 終わりに】
※ 本来私達は、
「全てを、あるがままに流れに身を委ねて生きる」姿こそ
超自然な姿・生き方です。
これがなかなか出来ない生物は人間だけ。
なぜなら、人間には発達した脳があり、
脳は、自分の生命を永らえる為に過剰な
危機管理情報を保持しております。
人間以外の動物にも危機管理能力はありますが、
人間のそれとは違います。
動物の危機管理は生存本能そのものだけ。
我が家の愛猫は、
シャンプー・お風呂の恐怖の時間が終わると
自分をひどい目に合わせた私を恨むでもなく、
以後恐れるでもなく、ちゃんと今まで通り
すり寄ってきてくれます。
猫は知っているんです。
どんなに怯えて恐怖な態度を自分がとっても
その一部始終の自分の存在状態が既に、
この宇宙に受け入れられている事を知っているので、
素直にシャンプー・お風呂で自分の恐怖心を表現し、
恐怖の時間が終わればケロッと、
いつも通りのお転婆な彼女
に戻るんです。
猫は、自分の全てが受け入れられている事を
体で感じているんですよ。
体で理解しているんです。
だから、遠慮なく素直に自分を表現するんです。
人間は、なかなかそうはいきません。
人間が猫なら、
飼い主に嫌われたら生きてはいけないからと、
恐怖を感じているのに、苦笑いでごまかしたり、
自分をこんな目に合わせた人との関係が
こじれたりします。
人間の脳では、
身体の安全を守るための生存的危機管理以外に、
恥をかく、評価が下がる、空気を壊すなど、
社会の中で生きるための危機管理が行われており、
それは、本来の生存とは関係のないところで
危機を感じている状態と言えます。
これは、人間が集団で生きる動物だからで、
昔の人間社会では、
集団から外れる=生存の危機
とされていた情報が
私たちの脳に蓄積されているからです。
更に、膨大な情報社会は
妄想による危機感を膨らませます。
人間以外の動物たちは、
生存本能による危機管理だけの
とてもシンプルな生き方をしているわけです。
生存本能が働くのは、主に扁桃体と呼ばれる
頭の中の部分が関係していて、
そこが危険を察知すると
ほぼ反射的・自動的に行動が起こる仕組み。
だから、動物たちは、
勝手に体が身を守る行動を起こすので、
その自動反応を信じられているし、
その反応が起こらなければ
全て流れに身を任せている状態なのです。
のほほオ〜ん
と。
それに比べると難しいんですよ。
人間には。
生きるために気にしなければならない物事が
自分の周りには溢れていると
私達人間は思って生活しているんです。
全てを、あるがままに流れに身を委ねて生きる瞬間が、
動物たちに比べて圧倒的に少ないのです。
けれど、人間にも動物たちと同じように
生存本能がちゃんと働く仕組みはあるし、
動物たち同様、同じ宇宙に抱かれているわけです。
私は愛猫を見ていてとても勉強になっています。
猫は、自分に訪れている今と言う流れを、
本当に体で信頼しているんですよ。
私の人生には、
これまでほとんど猫がいました。
何匹かの猫を老衰で私の腕の中で
看取ったのですが、凄いですよ。
どの猫の最期も。
ほんとに自然に、
人間から見たら苦しいはずなのに、
最後の最後まで流れに身を委ねて
スウっと旅立っていきました。
もちろん、
私自身が体験するまで、
その真相は分かりませんが、
死の間際において騒ぎ立てているのは、
飼い主である人間の方です。
天国に旅立った猫たちはどの子も、
自分の苦しさが、
何かの間違いだと抵抗せず
一番楽な体の体勢をそのまま表現します。
歳を取ってどんどん体が動かなくなっても、
ちゃんとまだ動くところを上手に使って
ご飯を自分で食べれるところまでは自分で食べて、
トイレにも自分で行こうとします。
動けなくなったら、
ただただその状態に身を委ねて、
ある時、その時が来ると
抵抗するでなく状態に身を任せて
スウっと旅立っているように
私には見えました。
繋がっているんですよ。
全ての自分の状態が、
ありのままの状態が、
宇宙とちゃんとリンクしていることを
猫は体で知っているんですよ。
どの猫の最期をみても、
私はそう感じました。
これは、私が宇宙やら、
目に見えない世界の真理に興味を持つ
前から感じていたことです。
現在は一匹の愛猫と暮らしておりますが、
私は彼女
の在り方を、
いつも観察しています。
本当に大切そうに自分の体をグルーミングして、
気持ちの良い場所を選び眠る。
食べたくないときは食べない。
食べたいときは、
おやつを素直におねだり。
具合が悪ければじっとして、
体が一番楽な体勢をとる。
とても素直です。
どの自分の状態も流れに身を委ねているのだと
私は観察していて感じております。
本当に見事なんです。
私も少しずつでも、
せっかく楽な生き方を教えてくれる
ニャンコ先生が傍にいてくれるのですから、
これからも学ばせてもらい、
実践して、肩に力の入った
その無駄なエネルギーの使い方を
少しずつ手放し、
楽に流れに身を委ねて生きる事を
今練習しています。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
bon-witch〜ただ淡々と生きる〜
おすすめリンク![]()
あなたの本質(真理)とのちょうどいい距離。習わなかった私のちょうど良かった距離。
