いささか古い話となりますが、先月29日、休園間近の青梅鉄道公園へ出かけてきました。
鉄道150年記念のリニューアル工事を行うとのことで、工事完成後は「中央線・青梅線の歴史を伝える学びの場」となるそうで、あわせて展示車輛の見直し、追加も計画されているようです。この「見直し」にキナ臭いものを感じまして、(中央線に関係ない車輛は最悪の場合撤去→解体なんてことになる可能性もゼロではないでしょう)何とか行きたいと思っておりました。しかし今年の酷暑でなかなか出かける気にならず、気づけば残りわずかです。休園2日前の8月29日の午後に何とか休みが取れましたので、青梅へと向かいました。
最寄りの青梅駅です。個人的には日本の駅舎建築では十指に入ると思っています。
青梅駅からは歩いてもそんなにかからない印象でしたが、この日も殺人的な暑さで、鉄道公園までの道のりは難行苦行でした。もっとも前回来たのは、青梅線にEF64 1000の牽く貨物列車が健在の頃でしたから、あの時分はまだ小生も若かったですし、駅からの登り坂もなんてことはなかったのでしょうが、酷暑と加齢のせいで大変なことになりました。
半死半生で青梅鉄道公園に辿りつきました。
100円という、道中お世話になったペットボトル飲料よりも安い入場料を支払い、まずは「記念館」へ。とにかくエアコンの効いた屋内へというわけです。この建物はリニューアル工事で建て替えが決まっています。
記念館内にはお定まりの16番ゲージの大レイアウトもあり、観客が群がっていましたが、そちらは素通りして他の展示品を眺めましょう。
ブルトレのテールマーク各種です。(この反対側にレイアウトがありました)
この種博物館等ではおなじみの大型模型の数々ですが、いずれもこの公園がオープンした昭和37(1962)年当時の最新鋭車輛ということになります。(その後の新車については追加はなかったみたいです)
そして、もっとわからないのがこの模型
多分実物には存在しない湘南色のサハ78です。プレートには「鉄道技術研究所車両運動研究室」とあります。かなりの珍品といえますが、これといった解説はありません。
せっかくなので2階にも上がってみましょう。2階はエアコンが効いておらず長居はできません。
岩崎・渡邉コレクションでしょうか?こんな機関車の写真もありました。
旧型国電に関する展示です。また、隣には地元青梅瀬の歴史に関する展示もありました。
大昔は、こうした電車に関する展示はなかったと思います。その頃は万事がSL一辺倒でした。
以前の展示といえば、かつてはタヌキの剥製が飾られていたと記憶しています。確か「宮ノ平ポン吉」君といって、何でも宮ノ平駅近くで電車にはねられた由。交通安全を訴えていたのですが、いつしか姿を消してしまいました。
さて、表へ出ましょう。
「青梅鉄道公園」の文字は、当時の国鉄総裁、十河信二氏の揮毫になるものです。元々は昭和37(1962)年、鉄道開業90周年記念事業としてオープンしたのでした。
後ろはD51(D51 452)です。この機関車は、鉄道公園開園から10年後にやってきました。開園当時、D51形はまだバリバリの現役でしたから、静態保存など考えられなかったでしょうが、空前のSLブームの中で、「デコイチ」なしは考えられないということで、展示物に加わったのでしょう。
D51のいる場所には、元々は3軸ボギー台車を履いた食堂車、スシ28 102が展示され、実際に食堂として軽食も供していました。この食堂車、展示場所を変えつつも展示されていましたが、昭和55(1980)年、ED16を展示する際にあえなく解体されてしまいました。台車(TR73)のみ現在鉄道博物館に展示されていますが、戦前派の食堂車として貴重な存在であっただけに惜しまれます。
このほか、青梅鉄道公園には過去展示されていた車輛が存在します。まず鉄道創業時の110形110、この機関車は青梅時代はボイラの一部が切開されて痛々しい姿でした(昔は「教材」としてこのような展示が一般的でした)が、復元の上、現在は桜木町で保存されています。大宮の鉄道博物館に移ったのが、C51形C51 5とマイテ39 11です。C51は大雨で保存場所の土砂が崩れ、崖下に転落、数年前にスシ28をあっけなく解体した前科(?)があるだけに心配されましたが、見事に修復、その後大宮へ移りました。マイテもかなり荒廃した状態で、太井工場に引き上げられ保管されていましたが、修復の上鉄道博物館の収蔵品となりました。
こんな調子で続けているとキリがありません。展示車輛の続きは次回ということで、今回はこれにて失礼します。