中国から持ち帰った土産物 | マルコ・ポーロになりたい・その2

マルコ・ポーロになりたい・その2

マルコ・ポーロが歩いた道を辿る海外旅行ブログです。

1.ホータンで買った白玉、青玉

東方見聞録にこうある。「国内には碧玉・玉髄を多量に産出する河川が数条流れている。」
ホータンの玉の美しさは古来から有名で、ホータン川の上流の崑崙山脈から流れてくる。値が張って(あるいはぼったくりかも)ビー玉ほどの白玉も買えなかったが、東方見聞録に記述のある玉を買えて満足。

 

2.ホータンの白玉河で拾った石

町の東側の白玉河のほかに町の西側に黒玉河がある。かつては両河川の間に緑玉河があった。このうち良質の玉を産するのは白玉河である。
白玉河では家族連れで玉を探しに来ている。石を持った地元の子供がこれを買え買えと言ってうるさい。どれも偽物だろう。私もそれらしき石を探して持ち帰ったが今見返すとどれも玉とは思えない。

3.ニヤ~チャルチャン間の砂漠で採集した砂と胡楊の枯れ枝


胡楊の林の中で写真ストップした時に採集した胡楊の枯れ枝混じりの砂。
胡楊はポプラの一種で、生命力が強く、日照りやアルカリ土壌、風砂に耐える植物である。酷暑、厳寒、少雨の過酷な環境でも育つ。そのせいか「砂漠の勇者」と呼ばれている。「育って千年死なず、死んで千年倒れず、倒れて千年腐らず」と言われるほど生命力がある。

4.チャルチャン~チャルクリク間の砂漠で採集した砂

この時の旅行で私が経験したかったのは砂丘の中を歩くこと。ところが意外にも道路沿いには本格的な砂丘がない。かろうじて見つけた小さな砂丘で写真ストップし砂を採集した。

 

5.敦煌・陽関でもらった通関証

陽関博物館にて、陽関通関式というイベントがありその時もらった通関証。
昔の役人姿をした館員が我々一人一人に「間諜」???と書かれた通関証を手渡す。中には私の名前と日付、承認した役人たちの印鑑、たぶん西域への通行を許すという意味の漢語が書かれている。お役人と記念撮影した後通関証を出口の門番の兵士に見せて印を押してもらう。役人も兵士も照れくさそうだった。

6.敦煌・鳴沙山の砂

生まれて初めて本格的な砂丘に登った。感激だった。その時採集した砂。

 

7.敦煌と酒泉で買った夜光杯

夜光杯は敦煌と酒泉と2回買った。

なぜ酒泉の杯が夜光杯と呼ばれるようになったのか、書籍を見るとこのように書かれている。
大昔に酒泉には酒を出す泉があった。
酒の匂いをかぎつけた二人の仙人が地上に降り、近くの石を杯に変え酒を味わったという。
そのうちの一人が杯の中の酒が月光にきらめくのを見て、この杯の事を夜光杯と呼んだ。
それをたまたま牧童が聞きつけて人々に話したことから、酒泉の杯は夜光杯と呼ばれるようになったという。
酒泉では夜光杯製作の各工程を細かく見ることができた。

8.駱駝城で採集した瓦

駱駝城は酒泉と張掖の間にある4世紀末~5世紀前半の遺跡である。広大な遺跡の中に、瓦と思しきものが落ちていたので採集した。今考えるとよく遺跡から戻ってこれたなと思う。

9.黒水国城堡遺址で採集した砂

黒水国城堡遺址は漢の城跡か、敵対する匈奴の建てた黒水国の都かのどちらかだという。
遺跡は砂に埋もれておりその砂を採集した。

10.張掖で買った大仏寺涅槃仏のポスター

東方見聞録にこうある「偶像の中には実際に十ペースにも及ぶ巨大なものがあり、その素材も木あり粘土あり岩石ありといった多様さであるが、一様に塗金されて細工もなかなかすぐれている。巨像は多く横臥の姿勢をとり、その周囲にはうやうやしくこれにかしずいている多数の小像が取り巻いている。」
大仏寺涅槃仏は全長34.5メートル。大仏殿の中は撮影禁止なのでこのポスターを買いました。

11.張掖で買った大仏寺の案内書

中国語なので詳細は分からないが、大規模な整備作業が進行中のようである。

12.張掖で買った張掖観光地のポストカード

大仏寺涅槃仏を足側から撮影した写真がある。

13.武威で買った武威観光地のポストカード

西夏博物館(武威市博物館)で有名な西夏碑(重修護国寺感応塔)を見たかったが、何と博物館が修復中で休み。代わりにこのポストカードで西夏碑を見ました。

14.銀川近郊賀蘭山で採れた賀蘭石の小物

銀川は東方見聞録ではエグリガイアとして紹介されている。銀川の郊外に賀蘭山(3556メートル)がある。標高2000メートル付近では賀蘭石がとれ、硯などの加工に使われている。賀蘭山は「賀蘭山岩画」で有名。これは「賀蘭山岩画」近くの土産物屋で買ったもの。ドラえもんの顔を彫ったものもあった。「ドラえもん」と言ったら理解したようで店の人がうなずいて笑った。

 

15.フフホトで買ったラクダの毛が入った布団


東方見聞録にこうある。「カラチャン市ではラクダの毛で駝毛布を織造しているが、その品質の良さは世界に類がない。白い駝毛を使った白駝毛布は特に上等で見事な品である。しかもこれら駝毛布の生産は莫大な量に上がっており、商人の手を経て世界の各地、特にカタイ国に多く搬出されている。」

ラクダ製品は毛布はなかったが布団があったので買った。

16.上都遺跡で採集した土器のかけら

上都は元帝国の夏の都。もちろんポーロ一行も訪れている。詩人コールリッジはザナドゥと呼んだ。遺跡のあちらこちらで土器陶器の破片が散らばっており、うずたかく積まれた場所もある。その中から数辺を採集した。

17.北京で買った武器武具の模型

「中国古代兵器展」と書かれたパネルに張り付けられた18種類の武具。どれも珍しい物ばかりだ。2002年の北京で模型はないかと探し回ってようやく見つけた。この当時は土産物と言えばお茶や質の悪いお菓子ばかりで模型などなかった。

 

18.北京の妙応寺で買った白塔の模型

白塔のある妙応寺では癖になりそうな音楽が延々と流れており、白塔の周りを信者と思しき人がお経を唱えながら一周し、最後に一礼していた。

1271年、元朝のフビライ・ハーンが仏舎利塔の跡地にチベット式仏塔の白塔を建てた。第一帝師であった八思巴(パスパ)の助言により、ネパールからアニグという職人を呼んで建てさせたという。フビライはこの寺を大聖寿万安寺と名づけ、八思巴の異母弟で第二帝師の亦怜真を住職とし、皇室のチベット仏教の活動の中心地とした。

 

19.北京の鼓楼の土産物屋で買った鼓楼の模型

鼓楼の土産物屋に立ち寄った。ここに私が欲しかったものがあった。中国の建築模型だ。ここには鼓楼、鐘楼、胡同(フートン)=中庭を囲んだ形の庶民の平屋住宅の模型があった。しかもプラスチック製で精巧な出来ばえ、塗装の感じも良い。中にLEDが仕込んでありライトアップできる。2002年に訪れたときはこんな精巧な模型はなかった。6年間でずいぶん変わったものである。日本円での支払いはダメとの事だったので、Aさんから中国元を借りて鼓楼の模型を買った。何とか250元に負けてもらった。たぶん粘ればもっと負けてくれたかもしれない。

20.北京で買った鐘楼の模型

この模型は北京空港で買ったもの。東方見聞録にこうある。「城郭内の中央に一楼があって、そこに大時計、つまり巨鐘が備え付けられている。この鐘は夜分になると三度鳴らされるが、これを合図に以後は市民の街路に出ることが禁止されるのである。」鐘楼は鼓楼と並んで国都の中心部に置かれた。当時この辺りは商業・金融・情報の中心地だった。両方ともポーロ一行は見たに違いない。

 

21.盧溝橋で買った獅子飾りのついた重石

北京郊外の盧溝橋は欄干に501個もの飾り獅子がある。一つ一つ姿や表情が異なっており見飽きない。私はこの飾り獅子の人形を土産に買いたいと思ったが見つからず、たぶん盧溝橋とは関係のないこの獅子飾りのついた重石を買いました。

22.食品

2004年「白毛猴」という品種の茶を買った。白毛猴は、中国の伝統的な名茶で、福建省政和県が原産地です。当地では「白猴」とも呼ばれ、その名前は猿に似ていることに由来している。白毛猴は紅茶と緑茶の中間の製法で作られ、外観は「保毫」(白毫を保持すること)と「做形」(形を整えること)に重点を置いている。茶葉は肥厚で巻き毛があり、白毫が目立ち、橙黄色の液色と香り高い味わいが特徴。
2004年には屯渓老街ではゴマがふんだんにかかった煎餅を買ったがべとついており品質は大丈夫なのかと心配した。2002年にはパンダの形をしたチョコレートを買ったが暑くもないのに溶けだした。2003年にはウルムチで真空パック詰めのドライフルーツを買った。他によく買ったのは安い「ジャスミンティー」のティーパック。

23.どこかの砂

どこかの砂漠の砂だろうが思い出せない。ビニール袋に「ダ」と書いてある。「ダ」で始まる地名って何だ?

24.鄭和のジャンク船

帰国後秋葉原で買った。ボーフォート トイズ 1/700 世界の帆船 コレクション 鄭和艦隊ジャンク船である。メイド・イン・チャイナだからまあいいかと。ポーロ一行が中国からの帰路に使った船もこれより小型だろうが似たようなものではなかっただろうか。模型は帆や建物や索具の細かいところまで再現されており満足の出来。