DG「極北戦線1941-42」ソロプレイ記録5ターン | マルコ・ポーロになりたい・その2

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DecisionGames「World at War」誌第5号の「極北戦線 The Finnish Front,1941-42」をソロプレイしてみました。
 

第5ターン(1941年10月)
以下戦線北側から戦いの推移を記述する。旅団・連隊・大隊は0.5個師団相当で計算した。
損害は枢軸軍2個師団、ソ連軍なし。枢軸軍、ソ連軍の勝利条件達成度は変わらず。
枢軸軍の作戦を考えた末、あと1つの勝利条件「シュルセリブルグまたはヴォルホフの占領」を達成する為、独36軍団をカレリア地峡に送る事にした。19山岳軍団、36軍団を投入してもムルマンスクの攻略が容易でない事が分かり早期に決着を図る為。ソ連軍は1942年4月にカレリア軍の大増援が来るし補充ポイントも1942年になれば増える為戦いが長引けば枢軸軍に不利になる。11~3月の冬季2ターンの間はシュルセリブルグを守るネヴァ河の凍結により河川の防御効果が無くなる。この間に何とかシュルセリブルグを落すのだ。一方ムルマンスク~カンダラクシャのムルマンスク鉄道の町を守る19山岳軍団、ノルウェー派遣軍直属部隊もソ連軍12個師団以上を相手にせねばならず苦しい戦いを強いられよう。南部に36軍団を送らずムルマンスク鉄道の町を守る事に専念するのが妥当とも思えるが、敢えて夢を追いかける事にした。あるいはムルマンスク鉄道遮断の成功に気を良くしたヒトラーの無謀な命令と思うか。


1.ムルマンスク方面
独36軍団のSSノルト、装甲旅団がムルマンスク南東の第3戦車師団を空軍支援2個の下攻撃、装甲旅団を失い追加移動で接敵。独193歩兵連隊がムルマンスク南のオルネゴルスクに入る。3山岳師団と機関銃旅団も後退しオルネゴルスクで合流。ノルト師団への無謀攻撃を避ける為ソ連14軍配下の極地海兵旅団が後退。フィンランド軍がムルマンスク西方に陣地構築。ムルマンスク北西のルィバケー半島に閉じ込められたフィンランド2個大隊がポリャールヌィの2個師団を攻撃、スウェーデン義勇兵大隊壊滅、スキー兵大隊は潰走するも半島から抜け出せた。ムルマンスク西方ペツァモに陣地構築。ムルマンスク東南でソ連14軍配下の第1,3戦車、163狙撃師団が空軍支援の下ノルト師団を攻撃、壊滅させ追加移動。フィンランドオイノネン軍団がムルマンスク西南の補給ユニットとスタック。独2山岳師団がオルネゴルスク方面へ移動。


2.カンダラクシャ方面
独19山岳軍団が増援の第6山岳師団受領。独2山岳師団と388歩兵連隊はカンダラクシャ西方で防御。ソ連軍が独6山岳師団の移動妨害の為RAFマーカーをカンダラクシャ西方の道路上に置く。カンダラクシャ南方のソ連14軍は動かず。フィンランド軍がアラクルッチに陣地構築。独空軍が迎撃でRAFマーカーを取り除く。その後独6山岳師団と不確定増援の139山岳旅団がカンダラクシャに向けて移動。独2山岳師団はムルマンスク方面へ。


3.ケステニガ方面
フィンランド第1,3,14師団、パンゼリ旅団が空軍支援2個を得てケステニガの2個師団を攻撃、潰走させた。ただしケステニガは移動禁止区域の為追撃移動による占領はできなかった。ソ連14軍配下の極地狙撃師団がケムから来援。フィンランド3軍団の1個旅団がムルマンスク方面へ移動。


4.ベロモルスク方面
ソ連7軍が67海兵旅団をメドベジエゴルスクから港町ケムへ鉄道移動。北部への海上移動による増援用。


5.オネガ湖方面(メドベジエゴルスク~ペテロザボーツク)
特に動きなし。


6.スヴィリ河方面
独163歩兵師団を引き抜きカレリア地峡に向かわせる。シュルセリブルグ冬季攻撃の為。ソ連軍が戦線強化の為補充にて張り付け師団3個を配置。同様に補充にて回復したNKVD旅団をヴォルホフに配置。ソ連23軍配下の115狙撃師団がヴォルホフに入る。


7.カレリア地峡
独36軍団配下の169歩兵師団を補充で回復、ヘルシンキからヴィープリ西まで鉄道移動。独163歩兵師団が到着しシュルセリブルグの北方に移動。


独軍の壊滅ユニット:SSノルト自動車化歩兵師団
フィンランド軍の壊滅ユニット:スウェーデン義勇兵大隊
ソ連軍の壊滅ユニット:4個張り付け師団、1個狙撃師団、2個NKVD旅団、完全壊滅:1個海兵旅団


5ターン終了時の盤面