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スピプレ・サークル発起人、

和歌山の占い、タマの隠れ家『BONHEUR(ボヌール)』の

占師タマこと、玉置絵美です。

 

 

今回の記事は、「タマって、どんな人?」シリーズの第8弾です。

今更ではありますが、タマってどんな人なのかを、少しずつアップしていこうと思います。

 

※前話が気になる方は、こちらからご確認くださいね(^^)

タマって、どんな人?

 

 

Q8,「タマさんは、どうやってオーラを見ているんですか?」

 

タマがオーラ(らしきもの)を見るようになったのは、ずいぶん小さい頃からでした。

でもその頃はまだ、オーラという言葉も知らないし、自分に見えるものはみんな見えているものだと思っていたので、何も不思議に思ったことはありませんでした。

 

実際、かなり幼いうちは、どの子供もたいていは、何かしら妖精のようなものが見えたり、木や風と会話したり、人の周りに光のようなものが見えたりしているものなんだと、タマは思います。

 

それが小学校に上がる前後になると、見えなくなる子が増えていき。

かつて見えていたことを、すっかり忘れてしまう人が、多くなっていくようです。

 

これがどうしてなのかと、ずっと考えていた時期があるのですが。

だいたい学校などの集団生活が始まるようになると、大人たちが子供たちの見えているものを、「そんな嘘(うそ)つかないで!」「そんなもの、いるわけないでしょ?」「夢物語みたいなこと言ってないで、はやく○○しなさい」などと、否定するようになるからじゃないかと思います。

 

タマの周囲ではそうで、幼少期には見えていた様子の友達と、これまで通りの感覚で会話していると、「あんなのは、ごっこ遊びよ?」と無邪気に言われるようになり。

周囲から浮きたくなかったタマは、見えているものを自分から先に言わないよう、気を付けるようになりました。

みんなが見えないものと、見えているものの区別が、つかなかったからです。

 

そしてタマは、自分が見えているものを、母以外に話すことはなくなっていきました。

母は、タマがどんなことを言っても、頭ごなしに否定する人ではなく、きちんと話を理解しようと聞いてくれたので。

母にだけは何を話しても大丈夫だ、という気持ちがあったのです。

 

この受け入れてもらえている、という安心感というか、信頼があったから。

タマはずっと子供の時と変わらず、オーラが見える状態のまま、成人したのかもしれません。

 

 

とはいえ、他の子には見えない、人の周りにある光のようなものの正体について、タマも自分の目か頭がおかしくて見えているに違(ちが)いないと、考えていたので。

一生懸命、見えなくなるように、見えていないと思い込む努力をしていました。

それはある程度成功して、そのうち自分が見た妙(みょう)なものを、忘れるくせがついたのです。

 

 

そんなはずない、とおっしゃる方もいるかもしれませんが。

脳は見たいものしか見ない、という話を読んだことがあります。

タマはその記事を、いつだったかネットニュースで目にし、なるほどそうかもしれない、と思いました。

 

そこに書かれていた記事は、かつて日本がまだ江戸時代で鎖国中だった時、生活圏に近い海に黒船が結構な期間、停泊していたのに、浜で暮らす庶民たちは、まったく気付いていなかった。

そもそもそんな船は、目に入っていなかった、というものでした。

 

そんなばかな、と思いませんか? タマは最初、そう思いました。

だって、黒船は外洋を航行できるような巨大な帆船で、幽霊とはちがって、誰の目にも見えるはずの物体です。

ところが、当時の庶民たちには、まったく見えていなかった。

 

これは、「そんな巨大な船が、この世にあるはずがない」「ましてや、自分たちの生活圏のすぐ近くに、そんなものが存在しているわけがない」という、心理によるものだそうです。

 

だから、黒船が日本の庶民たちの暮らしぶりを、船から見ていることも知らぬまま。

庶民たちは普段通り、船を出して漁をしたり、談笑したりしながら、のんびり暮らしていた。

…という記録が残っていると、その記事には書かれていました。

 

 

そこまで読んだ時、タマはひょっとして…と思うことがありました。

それは、見知らぬ人と、すれ違った時の話です。

 

みなさん、普段から人通りが多い道を歩いている時のことを、思い浮かべてください。

 

いろんな人と、たくさんすれ違っているはずですが。

たいていの人は、自分のことでいっぱいなので。

すれ違った人たちの顔や性別、服装、人数など。

よっぽど特徴的な人や、知り合いでもない限り、まったくと言っていいほど、覚えていないのではないでしょうか?

 

実は、これ。

関心がないから、目では見ていても、脳が忘れたり、見ていなかったこととして、記憶を処理してしまうからなんです。

 

タマが思うに、人間には霊やオーラが見える人、見えない人がいるわけではなく。

目には入っているけれども、自分にとって重要ではない、必要でないと感じたものは、「見ていなかった(こと)」になっているだけなのじゃないでしょうか。

自分にとって興味のない見知らぬ通行人は、幽霊とそんなに変わらないのだと、タマは思います。

 

 

…前置きが、長くなってしまいましたが。

このお話は、今回の「タマさんはどうやって、オーラを見ているんですか?」というタイトルにも、つながってくるのですが。

 

前提として、タマはオーラというものがあるのを知っています。

どんな種類があって、どんな雰囲気(ふんいき)を持つものか。

またそれぞれのオーラの性質はどんなものか、経験的に知っています。

 

そして、必要に応じて、オーラを「見よう」とします。

 

オーラは、必要なければ「見ないことにしている」ものの1つです。

雑踏ですれ違う見知らぬ他人を、意識の外に置いて「見ないことにしている」のと同じことです。

 

タマはオーラがどんなものか知っているので、自分が見ているものがオーラだ、と認識できるのです。

また、各オーラごとの平均的な色や雰囲気を知っているので、見ているオーラが魂の本質のものなのか、感情や体調で変化する着重ねオーラなのか、見分けがつくのです。

 

この見分けは、リンゴとナシの違いが分かるのと同じです。

タマはリンゴとナシを、色や形、においや味で見分けられます。

リンゴの中でも、フジやジョナゴールド、王林という品種があるのを知っているし、食感や甘味、風味などの違いがわかります。

 

それに、目の前にあるのが、本物のリンゴなのか、模型か、写真か、イラストかの違いがわかります。

 

でも、食べる気がない時や、話題に上がらない時、タマは目の端(はし)にリンゴやナシがあっても、気づかないかもしれません。

 

オーラを見るという感覚は、そういうものだとタマは思います。

見えているものすべてに、いちいち注意を払っていたら、とっても疲(つか)れると思いませんか?

 

 

だからタマは普段、必要のないものは気にしないし、見なかったことにしています。

オーラも、本当は常(つね)に見えているんだろうけれども、「見なかったこと」にしているのです。

「見なかったこと」になったものは、記憶に残らないので、見えていないのと変わりません。

 

つまり、四六時中、見えるものに振り回されていた中学生時代は、けっこう大変だったんですね。

雑踏の見知らぬ人と、すれ違うたびに。

「ああっ、人がものすごく近くを通り過ぎた…!(←気配に過敏すぎ)」

「いま通った人は、本当に生きてる人だろうか…?(←疑心暗鬼)」

「この動物は、みんなにも見えているんだろうか…?(←不安)」

「…やっぱり私、目とか頭の異常なんだ…(←自信喪失)」

 

ちょっと大げさではありますが、そうやって、内心びくびくしていたんですから。

 

 

でもよく考えたら、別に他の人に見えていようが、見えていまいが、どうでもよかったはずなんです。

見えているけれど、別に見えているだけなら、何の問題もありません。

いきなり見知らぬ存在が、自分に対して暴挙に出ることなんて、普通に暮らしていれば、めったにないことなんですから。

 

そして、こちらが見えていることがわかって、目が合ってしまった場合。

もし相手が無害な人や霊なら、特に何事もなく終了するでしょう。

もし相手が有害そうな人や霊なら、全力で関わらないように努力するだけです。

 

相手が怪(あや)しい人間なら、周囲の人たちも警戒(けいかい)しているでしょうから、みんなでさっさと立ち去ればいいだけです。

誰にも見えていない霊だった場合は、見知らぬ不審者に対応するのと同じでいいです。

私たち生きた人間は、肉体という鎧(よろい)に護(まも)られているので。

自分の方が強いぞ、という意識を持って無視し続ければ、たいていの霊は、こちらに何も干渉(かんしょう)することができません。

 

「見えていないこと」にすればいいのです。

 

タマはそんな感じで、オーラや霊的なものを見るセンサー(着眼点)を、普段はオフにしています。

リーディングしたい時だけ、オンにします。

 

 

以前、大阪でオーラセミナーのご依頼をいただいた時、「タマさんはオーラを、どうやって見ているんですか?」「どうしたら、見えるようになりますか?」「タマさんのやり方でいいので、教えてください」と、ご質問をいただきました。

 

その時は、「タマさんは、どうやって息をしているんですか?」「息の仕方を教えてください」という疑問にお答えするような難しさだったので、タマには答えられず、困りました。

だって、生まれた時から意識しなくてもできていたことを、どうやって説明したらいいんでしょう? って。 

                                                  

そのセミナー以降、タマはずっとその質問が引っかかっていて、「自分はどうやってオーラを見ているんだろう?」と、じっくり考えるようになりました。

 

結果として、オーラを見ている時は、普通に物を見ている時と、観察する着眼点が違うだけなんじゃないか、と思い至(いた)りました。

さっきの、リンゴとナシの違いを見分けるお話に、+α(プラス・アルファ)した物の見方です。

 

人は視覚から膨大(ぼうだい)な情報を得ている割(わり)に、普段はほとんどの情報を、無意識のうちに淘汰(とうた)して、利用していません。

見ているはずなのに、見えていないことになっているのです。

 

実はオーラは、ただ見るだけなら、ほとんどの方ができるんじゃないかと思います。

仏像の後輪や宗教画の後光とか、見たことありませんか?

描かれているということは、そういうふうに見えていた人がいるんでしょう。

 

 

ちなみに、見たオーラから意味を読み取っていくには、別の知識というか、要素が必要になるのですが…

この話をし始めると、またたくさん脱線してしまいそうなので、今日のところはこの辺で(*^^*)

 

 

ちなみにタマは、原理や理屈を考えるのが好きです(自分が納得したいから、理由を探したい)。

もし、タマといろいろ話してみたいとか。

オーラを見る着眼点とか、その他諸々、もっと知りたい、という方がいらっしゃいましたら。

 

お茶会やお話会が再開した時にはぜひ、そちらでご質問くださいね。

 

 

~貴方への1枚~

 

「淡き光」の正位置

 

本当に大事なことは、ゆっくり、じっくり、時間をかけて。

時間のかかる、煮込み料理のように。

とろ火でコトコト、芯(しん)まで、やわらかくなるように。

 

火が消えた後も、自然に鍋(なべ)が冷めるのを待って。

味がしっかり、しみこむまでは

味見以上のつまみ食いも、我慢(がまん)、我慢。

 

そうすれば最高の出来栄(できば)えを、味わう楽しみも増(ま)すはずですから。

 

 

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それでは、また。

貴方と周囲の人たちが、力強く生きていけますように🍀