新聞奨学生時代④ | 夜明けから真っ赤に燃える情熱の太陽へ(第二章)練馬で行政書士開業へ
朝3時半に新聞が到着するので、その時間に起きてくるようにとのこと。

店の2階に住み込みだったので起きてすぐに下に行くと5、6人が黙々と新聞にチラシを入れる作業をしています。

皆さん若く、私と同じくらいの歳に見えます。


しばらく、ぼーっとしていると、私の配ることになる区域の先輩という方が来て、今日は初日なんで、とりあえず、後ろについてくるだけでいいからと言われました。


八区域ある中規模な販売所(従業員約10名)でしたね。

新聞配達用の自転車に初めて乗ったが、ハンドルが大きく、また、チャリも重い。

私の配る区域は約310部で店で一番多いとのこと

さらに、配達する一軒目が一番遠いとのこと。


先輩は前カゴに五段くらい新聞を積み(前が見えないくらい高く)、後ろの荷台にも、いっぱい積み、それでも約120部。

残りの約200は中継と言って、手の空いてる人が車や自転車で配達区域の途中のマンションなどに運んでくれます。


新聞にチラシを入れ、そして自転車に積むと30分くらいかかり、4時に店を出発。


私を教える先輩、めちゃくちゃ走りながら配達します。

付いていくだけで結構大変。
中学生の時は陸上部の長距離、高校はサッカーをしていた私で走りは自信ありましたが、疲れました。


6時半前には終わりましたが、あくまで先輩が配ってだ。


これを一人で私が配れるのかと、早くも自信なくす。

もっと少ない新聞の部数だと思ってました。
三回も自転車に新聞積むとはね…


配達終わると食事が用意されていて、食べ終わるとあとは予備校に行くという生活が始まる。

そして夕刊があるので夕方の3時半、遅くても4時半までには店に帰って来なければなりません。

そして夕刊が終わると、今度は明日配るチラシをセットしなくてはなりません。
チラシのセットとは、当時の機械ではチラシが十枚しか組めないので、チラシが例えば十八枚あると、十枚と八枚との機械でセットしたものをあとは人が手で組んでいかないてはなりません。(わかるかな?)
当時はバブル真っ最中でチラシも多かったな(特に不動産関係)

これは慣れれば十五分くらいで終わるようになります。

そしたら、夕食が用意されていますので食堂で食べ終わると、もう夜7時くらいに。


これに月末一週間、月初め一週間、計二週間は集金業務があります。それに、営業までやらされます。色々と他の新聞配達員の話を聞くと、とにかくA新聞はどこの販売所も厳しいので、Y新聞、N経新聞の方が断然に楽なんで、奨学生をするならそちらへ。

この販売所は予備校生にも集金業務(八月いっぱいまで)をやってもらう厳しい店でした。


こんなんで受験受かるのか?

これが最初の印象でしたが、もう後戻りできません。
途中で仕事辞めると、入会金、授業料など返さないといけません。
だから途中で辞めれないのです。


とにかく、まずは仕事を早く覚えて、一人で配達、チラシ入れ出来るようにならないと。