私の走りの日記(33)
『自然な走りを求めて』
自然な走りを求めるまでに色々な過程、試行錯誤がある。
まず、腕振り、脚の動かし方を色々と試してみた。
中にはいい感触を受ける事もあるのだが、
それを続けていくと、なぜか上手くいかなくなってくる、この繰り返しだった。
上手くいかなる主な要因は、意識する箇所が、
思うように動かなくなることがほとんどだった。
意識の中で強調してしまうのだろうか、
硬くなってしまうのだ。
そこで自然な肉体の衰えを素直に受け入れ、無理のない動きを求めるようにした。
無理にストライドを広げようとか、膝下を伸ばそうとか、また腿も高く上げようとせずに、
足が地面に落ちるまま、そこに体重を乗せて、地面からの反力で前が進むがままに任せて走った。
最初はいい感じで、これだと思ったのだが、
これも次第に感覚がずれていき、身体の乗り込みがうまくいかなくなってきた。
しばらくして、これまで意識していたのは、体の末端が主だったことが分かった。
そして末端部よりも、中心、いわゆる体幹部分から出る力の方が、
より大きいものだということを知り、体幹を意識して走るようにしてみた。
しかし走るという動作は、脚の動きであり、
体幹をどう働かせれば、よい走りに結びつくのかが分からなかった。
そこで今度は、体幹に一番近く、脚の付け根になる股関節、
そして腕の付け根の根っこの肩甲骨に焦点をあててみた。
股関節の動きは、伊東浩司さんや末續選手の走りの文献で読んでいて、それをヒントに試した。
気持ちよく走れる時もあったのだが、
やはり何本も走ると、次第に硬くなり、動きが悪くなってきた。
そこで臀部の筋肉を使えるように走ってみたり、
更には、日本人と黒人の違いである骨盤を前傾させて走ってみた。
元々、上にピョンピョンと跳ねるような走り方だったが、
骨盤を前傾させることにより、推進力が上に逃げないで、前のみに働くことを感じる事が出来た。
しばらくこれを意識して走っていたのだが、
前に進む体に脚が追いつかなくなり流れ気味になってきた。
脚が流れると、体を支えるのにハムストリングに大きく負担がかかるように感じた。
また無理に骨盤を前傾させていた事により、
次第に腰が重くなり、快適に走れなくなってしまった。
身体の中心部に意識を置き、これではないかと思っていたのだが、
またまた壁にぶち当たり、どこに正解があるのか路頭に迷ってしまった。
そんな中、『奇跡のトレーニング』小山裕史著を手に入れた。
言わずと知れた「初動負荷理論」の書である。
「初動負荷理論」については、ここで私が敢えて紹介するまでもない、
いまや運動界で広く知られている理論である。
私には、この本を読んだだけでは、この理論を中々理解出来ないのだが、
それでも自然な動きには、
「重心移動」、「共縮」、「反射」が大事である事が分かった。
身体が移動するには、最初に重心が移動し、安定していた体のバランスが崩れる。
バランスが崩れたままだと、体は転倒してしまう。
その為、脚や腕がバランスを取ろうと動き出す。
この脚や腕の動きが、意識的に行うと余計な力が加わり、自然な動きに結びつかない。
これが筋肉が緊張する「共縮」という状態であるという。
この「共縮」状態にならない為に、重心移動の際に、
骨盤の片方を前に出して、それについていくように股関節も動く。
こうすると、意識的に脚を動かそうとしなくても、骨盤に脚がついてくる。
この筋肉が緊張することのない、自然な動きが「反射」だと現時点では理解している。
そこに自然に体が乗っかっていく。
これが上手くいくと、膝は高く上げる必要はなく、
競歩の延長のような動きになり、
伊東浩司さんが、すり足を求めたのが理解できる。
ここにくるまでに、もっと様々な事を試し、修正、そしてまた新たに試すと繰り返してきた。
ここでは、細かい部分は省くことにして、
現在に行きついた大まかな経緯は上記の通りだ。
まだまだ観なくてはならない点はごまんとあると思うし、
一ヶ月後には、ここから離れて、また新たな方面を模索しているかもしれないが、
今までの試行錯誤とは異なるところは、
これまでは、体の部分的な動きを検討していたのが、
今は身体全体の移動というところに意識を向ける事が出来た。
より中心から走りを見つめる事が出来たように思っている。
次回からは、日記の様式が変わり、
気が付いた事、分かった事、考えの変更などあった時点で、その都度記していくようにする。