私の走りの日記(17) | 板橋の自然健康ヨーガ教室

私の走りの日記(17)

 

『全国大会』という看板

 

たとえ予選落ちとはいえ、全国大会に出場するということは、

自分にも、周りにも影響を及ぼすということを、全国大会出場が決まって感じた。

 

まず通信大会後の総体の準決勝の時だった。

1年の最初の大会で惨敗した斉藤義久と同じ組になった。

彼は、前年、全国大会に出場、そして都大会決勝の常連メンバーだったが、

前回の通信大会では、決勝に残れず、全国大会の参加標準記録も突破出来ていなかった。

準決勝の組み合わせを見に行った時、斉藤がその場にいた。

同じ組と確認した彼は、私を見て、「同じ組か」と言った。

私はその彼の言葉に、彼に向かって、にやっと笑った。

1年時には、三度走って、一度も勝てなかったが、

この時は、既に全国大会を決めていた自分は、彼に対しては気持ちの余裕があった。

逆に彼は、私を警戒しなければならない相手と、一目置いてくれていた。

全国大会が決まる、決まらないで、心理的立場が逆転するのだ。

 

板橋区の大会では、2年生だけでなく、3年生も、

私を全国にいったものとして、特別視する。

こちらもそれを感じ、区内では、たとえ上の学年でも負けられないという気持ちになる。

現に、この年に二つ、板橋の大会があったが、

100mに関しては、2大会とも三年生にも勝ち、優勝した。

また200m決勝の時には、

翌年、400mで活躍する中條が、私の前のコースに入っていた。

レース前、彼が私のところに来て、「スタートしたら、早く俺のこと抜かしてね」と言ってきた。

全国組とは勝負にならないと、レース前から決めてかかっていた。

 

全国大会後の都大会でも違った。

 

全国大会前に、出場決定者、関東大会選抜者の合同練習会が行われた。

普段、試合では、レース前に顔を合わせ、走り終わったら退散するので、

会話をする機会というのはほとんどなかった。

よって、この練習会で初めて、決勝常連組と会話をした。

また一緒に走ることにより、彼らの速さをより身近に感じることが出来た。

それらの事は、都大会では大きくプラス面として働き、

まず、競技場で顔を合わせたら、挨拶をするようになる。

そして、練習会で一緒に何本も走った経験から、準決勝、決勝と進んでも、

それまでのように相手の力を、未知数に感じることがなくなった。

 

板橋区の大会では、前に述べた、自分的な「ゾーン」体験もした。

100m決勝。

スタートすると、85mまで3年生の奈良さんが先頭を走っていた。

残り15Mでは追いつけないという位の差がついていたが、

全国のプライドに掛けて絶対勝つ!と強い気持ちから、

あの通信大会の準決勝のような感覚が表れた。

結果、奈良さんを抜き去り、優勝。

全国の看板がなかったら、諦めていたレースだっただろう。

ちなみに、このレースで2着に入った奈良徳仁さんは、

高校3年生時の国体予選の決勝で、10秒4の東京都高校新記録で優勝し、

私の遥か、遥か遠く先に行ってしまった。

このレースの話は、後にする事になると思う。

 

秋の「地区対抗」では、決勝で4着に入った。

この大会では、予選、準決、決勝と全て樋口と同じ組だった。

もうこの時には、樋口に勝つという気持ちはなくなっていた。

予選、準決と樋口についていくつもりで走った。

そしたら意外と離されることなくゴール出来た。

この時には、樋口とも顔見知りになっていたので、

樋口の存在が身近になり、精神的に余裕が生まれていたのも間違いない。

またこの大会では、準決、決勝と、小熊に勝つことが出来た。

彼は、正しく、決勝の常連組で、彼が決勝に残れなかった事は一度もなかった。

そんな彼とも、夏の練習会で、何本もスタート練習で一緒に走り、

何本か、先に走しる事が出来、彼の前を走る経験も生きたと思う。

彼は瞬発力に長けているイメージがあった。

しかしスタートさえ並べれば、勝負になると頭にあったので、

この時の準決、決勝は、彼をマークし、前半を特に気を付けた。

 

結果:

1着-樋口秀之(練馬)11秒3

2着-青山範朝(青梅一)11秒4

3着-神民一(北)11秒5

4着-守屋雅彦(板橋三)11秒6

5着-小熊邦尚(王子)11秒7

6着-曽根田淳也(大泉西)11秒8

 

青山、守屋以外は、昨年のこの大会で決勝に残ったメンバーで、

青山は、この大会から頭角を現し、今後活躍することになる。

そしてこれまで、都大会決勝6位が最高成績だった守屋は、

この都大会4位まで上げることが出来た。

この大会は、これまでの都大会とは精神面的に余裕があった。

それはやはり、自他共に影響を受けた、

「全国大会」という看板によるものであるということは間違いなかった。