私の走りの日記(13)
『自主練習』
1年生の冬、
池ちゃんは、バレー部の顧問に勧誘されて、
陸上部の練習よりも、バレー部の練習に多く参加していた。
陸上の冬季練習は、スピード練習がなく地味なものである。
私と違って、器用だった池ちゃんは、
いきなりバレー部の練習に参加しても、
既存の部員に引けを取らなかっただろうから、新鮮味があり、楽しかったのだろう。
国立競技場の教室はいつまで通っていたのかは知らない。
ただ内心は、ここで差をつけられると思い、少しホッとしていた。
それまで池ちゃんとは、5回走って、5回必ず勝てる程の差はなかったと思う。
しかし心の中では、10回走ったら、10回勝てると思い込むようにしていた。
またライバルは、東京都のファイナリストたちで、
あえて池ちゃんをライバル視しないでいた。
これは、心の問題で、学内に目を向けているようだったら、
到底、東京都のトップの舞台では戦えないだろうと思っていたからだ。
池ちゃんも負けず嫌いであり、表にそれを出していたからよく分かっていたが、
私は表にこそ出さないが、池ちゃん以上に負けず嫌いだと自負していた。
こうした心理面で、私は池ちゃんと戦っていた気がする。
3年生の卒業式間近、
3年生のE先輩が、最後に一緒に走ろうと声をかけてきた。
E先輩は、板橋区で100M2番だった人で、持ちタイムも私より速かった。
しかしいざ走ってみたら、私の方が速かった。
受験勉強で体を動かしていなかっただろうから、勝てたのは当然かもしれない。
けど、その時は、実感はなかったが、少しは速くなったのかなと思ったりもした。
E先輩も勝てなくなっちゃったなと笑って言ってくれた。
2年生になり、最初のレースが、「西部地区」だった。
この年は、例年と異なり、リレーなどは4月に行い、100mなどは5月に行われた。
リレーは、4×200m。私はアンカーで走った。
200mは、昨年、リレーで一度走っただけだった。
どの程度走れるのか分からなかったが、
3年生まで混成のチームの中で、私は3,4人抜かしてトップでテープを切った。
このごぼう抜きには、先生を含め、みんな凄かったと褒めてくれた。
しかしその後、私はトイレに行っていて見れなかったのだが、
あの樋口が、これまたごぼう抜きの芸当を見せてくれたらしく、
そのスピードは、私のよりも凄かったと、一瞬で評価が霞んでしまった。
私が学校で散々、樋口、樋口と言っていたので、
クラブの連中は、みんな樋口の事を知っていた。
後日、一皮むけなければ、立てた目標に現実味が帯びてこないと思い、
朝、6時に起きて、家の前で走ることにした。
家の前は、直線で72mあり、民家が密集する狭い路地にもかかわらず、
朝早くから、二人の弟を練習相手に何本もダッシュをし、タイムをとった。
私が72m、小学6年の弟が60m、小学3年の弟が40mのラインで走っていた。
人を前にして、ゴールまでに追い抜くことを訓練した。
この自主練が、初めて自分で考えて、自ら行動を起こした練習だった。
最初の頃は、ただ走るだけで、72m走なんてタイムを計った事がないので、
それが速いのか、どうかは分からなかった。
また走りに工夫もなかった。
それを毎日繰り返し、しばらくした日、ふと思った。
‘100mは、ただ前に進む競技だ。
そしたら脚が前へ、前へ出た方が得なのではないだろうか’
その考えから、膝下を投げ出すようにして走ってみた。
とにかく脚だけが前に行けばいいと思っていたから、上半身は随分と反った状態になった。
タイムを見たら、これまでのタイムより格段に速い。
計り間違えか、まぐれか?
もう一度同じように走った。
やはり同じようなタイムが出る。
これはもしや!
光が見え始めた瞬間だった。
翌日、翌々日と同じように走るが、これまでよりも随分高いレベルでタイムが安定していた。
走っているスピード感も含め、一皮剥けたと実感出来た。
この記録用紙を、顧問の先生に見せ、記録が向上した経緯を説明した。
そしてこの走りに自信を持てるようになってきた。
一体、今、100mを何秒で走れるだろう。
当時の2年生の全国大会参加標準記録は、「11秒6」。
昨年の自己ベスト記録が「12秒4」。
現在は、どの位の力があるのか?
それを試すには、5月の西部地区まで待たなければならなかった。
この年の西部地区は、大井競技場だった。
ここは風が強く吹きぬける土地柄なのか、この日も風が強く逆走した。
これは、先の二つの都大会の出場権を獲得出来るかの大会なので、
ここでたとえ全国大会参加標準記録を突破しても、参加資格は得られない。
学校で選抜されれば、持ちタイム関係なく、各校2名まで参加出来るので、
大勢の参加者がずらっと集まっていた。
その中には、あの樋口もいた。
樋口は、私の随分前の組で走っていた。
後ろからだから、どの位の速さだったか分からないが、
やはり一着でゴールしていた様に見えた。
樋口も順調に伸びているのだろうと思った。
いざ、自分のレース。
この一皮剥けた走りを試す時がきた。
号砲がなり、力を込め、膝下を前に投げ出すように走った。
2着とは随分差がついたと思う。
結果、「11秒5」(+2.7)。
追い風参考ながら、全国大会参加標準記録を超えていた。
これには自分ながらびっくりした。
‘この走りは本物だ’、そう思えた走りだった。
そして目標に掲げていた、全国大会出場も現実味を帯びてきた。
あの時、樋口は何秒で走っていたのだろう?
それは分からなかったが、昨年と比べ、
間違いなく彼との差は縮まっている、そう強く思えた。
この日は、顧問の五十嵐先生は、用事で引率出来なく、
後日、結果を知らせた。
このタイムには、先生もびっくりしていた。
そして先生の中でも、全国大会を視野に入れたようだった。
自主練のあの時のひらめきは、
私の陸上競技の大きなターニング・ポイントになった。
そして人生のターニング・ポイントの一つだったといっても過言ではないと思う。