私の走りの日記(12)
『秋の大会、そして一年を終えて』
カールルイスの真似した走り方に変えてから最初の試合が、
9月の板橋区の総体だった。
この大会で勝てば、10月に行われる東京都の「地区対抗」に選ばれる可能性が出てくる。
これまでの都大会で、決勝メンバーに板橋区の選手はいなかった。
よって板橋区の中では負けられない、その気持ちは強く持っていた。
会場は、板橋区の中学校の校庭。
今考えると、よく学校の校庭で大会が開かれたなと思うが、
区内に競技場もそうはなく、時代が時代だった。
指を真っ直ぐ立て、カールルイス走りで力一杯走り、
予選、12秒6、決勝、12秒4と、大会での初めての一位だった。
またリレーも勝ち、個人とリレーで、「地区対抗」に選抜された。
翌月の「板橋区民大会」でも、
ライバル視されていた隣の中学のYと初対戦し、先着し一着。
2度の優勝で、自己流のカールルイス走りに自信を深めていった。
10月の後半、「地区対抗」の日が近づいてきた。
試合が近づくにつれて、どうしたことか、
腰からお尻の下の部分に痛みやら違和感を感じ始めるようになった。
中々、違和感が治まらないので、初めてカイロプラクティックに行って、施術してもらった。
1回行っただけだから、治らなかったが、そんな状態で試合当日を迎えた。
10月も後半になるので、気温も低くなり、気になる箇所を中心に、体が思うように動かない。
予選はギリギリで通過し、準決勝は4着で、決勝には進出できなかった。
(本当は5着だったが、4着の選手が失格だったので、繰り上げされた)
(決勝の結果)
1着-樋口秀之(練馬)12秒1
2着-神民一(北)12秒5
3着
4着-小熊邦尚(王子)12秒5
5着-曽根田淳也(大泉西?)12秒5
6着-斉藤義久(大森一)12秒6
やはり樋口が優勝した。
またこの小熊や斉藤もきっちり決勝に残り、東京都ファイナリストの常連となっていた。
またこの大会で初めて聞く名前に、2着の神、3着の渋谷区の選手、そして5着の曽根田がいた。
神は、小熊と同じ北区、曽根田は、樋口と同じ練馬区だが、
練馬区と言えばもう一人、桐畑がいるはずだが、
桐畑は区の予選会で3着で、この試合には出られなかった。
あの桐畑も出られない練馬区、決勝に二人残った北区、
板橋区の両隣の区は、なんてレベルが高いのだろう。
まだまだ東京都には、自分の知らない速い奴が潜んでいたのだ、
と感じさせられた中学一年の最後の試合だった。
そしてやっぱり東京都で一番速いのは、樋口なんだ。
東京都の誰と走っても勝つ樋口に対し、特別視するようになった。
この試合を機に、私のカールルイス走りの自信も陰り始めた。
見た目だけを真似しただけの、浅はかなものだったから、
メッキが剥がれるのも早いものだった。
シーズンが終わり、冬季の練習に入る前に、
ちょっとした出来事があった。
一つ上にOさんという女性の先輩がいた。
Oさんは、我々の知らないところで、
国立競技場で行われていた陸上教室に通っていた。
それを聞きつけた池ちゃんが、Oさんと一緒にこの教室に通いだした。
池ちゃんも、このシーズンは、出たい試合も出られなく、悔しい思いをしていたのだろう。
私も色々悔しい思いをしたが、
池ちゃんは、また違った面で悔しい思いを感じ続けていたのだと思う。
池ちゃんは、感情を表に出すタイプだったから、
教室の話を聞くと、すぐに行動に出たが、
私は、そんなところに通わなくても速くなってやるという思いを内に潜ませ、
教室には通わなかった。
しかし内心は、どんなことをやっているのだろうと気にもなっていた。
教えている人は、全国区で慣らした人らしいし、場所もあの国立競技場だ。
どう考えても、陳腐な教室ではないはずだった。
教室に参加してから少し経ったとき、池ちゃんがグランドでダッシュをした。
その走りは、滑らかに見え、これまでとはスピードが違うように感じた。
内心、少し不安を感じながらも、表には気にしていない風に装った。
一年生の冬は、スピード練習は出来ないので、
駅伝なんかに出場し、少し長距離走もやっていたと思う。
そんな冬を過ごしているうちに、
2年生になってからの目標が漠然と現われてきた。
「全国大会出場、そして東京都のファイナリストの常連になる」
常に心の中には、樋口の名前があった。
この名前が来シーズンに向けて頑張るモチベーションだったのかもしれない。
しかし目標に届くという手ごたえは掴めないまま、一年生の陸上生活を終えた。