私の走りの日記(4)
『一番思い出に残っている徒競走』
私の運動会の思い出となると、
やはり徒競走、リレーの二つに絞られる。
この二つの種目と他の参加種目とでは、
思い入れがまるで違っていた。
特に徒競走。
リレーは、チーム次第で勝敗が左右されるが、
徒競走は完全な実力勝負。
私は、表面にあまり感情を出さない方だったが、
内心は‘負けない’との強い気持ちがいつも宿っていた。
徒競走で一番思い出に残っているのは、
小学4年生の秋の大運動会の時だ。
3年生までは、徒競走の組は背の順で組まれていたのだが、
4年生からの大運動会からは、
その前の体育の授業で計る、50mのタイム順で組まれることを告知されていた。
ここで初めて、学年で誰が一番走るのが速いかが明確になるのだ。
この事は、夏休み前から知っていて、
夏休み、部屋でこの徒競走の事を考えると、
心臓が飛び出しそうな程ドキドキしていたのを今でも覚えている。
走るのが速いと言われていた者が何人かいて、
自分から見ても、速いなと感じていたので、
‘勝てる’という自信が持てなかったのである。
休み明けの50mの計測。
私のタイムは、「9秒0」。
学年で「8秒8」が二人、そして「9秒0」が二人と。
全体で3位タイの記録だった。
上に二人いることに対しては、それ程引け目を感じなかったが、
「8秒8」で走った一人が、しなやかに走り、速いなと感じさせていたHがいたので、
やっぱりHは速いんだなと思った。
1年生の最初の運動会では、恐らくHに負けて2着になっているのだと思う。
他にも速いと評判の体の大きいMがいた。
HとMは同じ3組で、私は2組。
HとMは、学年の番長的存在で、誰からも怖がられていた。
3組は、何となく怖い組で、足を踏み入れるのも嫌だった。
タイム順で編成されるので、
その二人とは同じ、一番速い者が集まる組に私も入った。
運動会当日。
担任の先生が来る前、
3組の連中から、3組の部屋に来てくれと呼ばれた。
隣の3組の部屋にいったところ、
いきなり掃除用具が仕舞ってあるロッカーの前で5、6人に囲まれた。
そしてHとMが
「おまえ、今日、何等取りたいんだ?」と言ってきた。
私は、すっかりビビってしまい、
「H君もM君も速いから分からないな、勝手ないと思うよ」
と答えた。
そしたら二人が
「おまえ、今日、もし一位になったらどうなるか分かってるんだろうな」
と脅してきた。
そして私は、その掃除用具のロッカーの中に閉じ込められてしまった。
袋叩きにされたわけではないので、泣きはしなかったが、
外から
「泣くまで出すな」
との声が聞こえたので、泣くまで出られないと怖くなってしまった。
我慢すれば泣くことはなかったのだが、
涙を出さなければ出してもらえないと思い、少々無理をして泣いた。
そしたら3組の担任の先生が入ってきて、
囲んでいた連中はさっと散り、
私は涙をこぼしながらロッカーの扉を開け、2組の部屋に戻った。
こんな脅しを受けての徒競走だった。
本気で走ろうか、力を抜こうか、正直迷った。
もし1位になったら、後日本当にリンチを食らうことになるだろうと思っていた。
気持ちの整理がつかないまま、徒競走を向かえた。
スタートのピストル音がなったら、一生懸命走っていた。
結果、1着。
Hは3着、Mは5着だった。
同じ3組のそれ程目立たない子が、2着に入った。
走り終わった後は、彼らの顔を見れなかった。
スタートした瞬間、無意識の中で、全力で走ることを選択したのだった。
結局、後日、彼らに暴力などを振るわれることはなかった。
しかし2着に入った彼は、当日、2等のリボンを二人に取り上げられ、
二つに切り裂かれたそうだ。
その後の5年、6年と、徒競走で彼らからちゃちは入れられたが、
力を抜く事はなかった。
この思い出を記していて思った事だが、
もしあの時、力を抜いて負けていたら、
学年で一番速いという確信も持てなかったし、
走る事に関しては負けられない、という強い気持ちも植え付かなかったと思う。
もしこの時点で、走ることに対するこだわりが失われていたら、
この後の私の走る経験はなかったかもしれない。
そう考えると、あの時は、人生の最初のターニング・ポイントだったのかもしれない。
いずれにしても、手を抜いて良かったと、
心の中でけりがつくことは、まずないのではないかと思う。