2015/7/31本日の気づき
『ひろさちやの般若心経88講新潮文庫』から1節。
「隣家からの貰い火で、自分の家が焼けてしまい、何もかもが灰になってしまった。
家主は悔しくてたまらない、そして腹が立ってしょうがない。
何とかして隣家に仕返ししてやろうと悶々と考えていた。
こういう状態で出てくる人間の知恵は、所詮悪知恵にしかならない。
自分が罪にならずに相手を苦しめてやろうといった知恵では、結局は問題を解決できない。
考えれば考えるほど、よけいに腹が立ってくる。
「家を焼かれた」という見方をしていては、復習したくなる。
そこで彼はふと気が付いた。
自分のものの見方を変えてみよう。
「自分で自分の家を焼いた」と見ようとした。
けれども、実際は彼は焼いていないのだからその見方は不可能。
そして彼が思い立ったのは、
「焼けた」と見る見方でした。
焼かれたのではない、焼いたのでもない、ただ焼けたのです。
かれはただ焼けたのだと思うように努力した。
これは事実に反している事ではない。
そうするとだんだん心が落ち着いてきました。
これが「彼岸の智慧」であり、「般若の智慧」だと思います。」
ここまでものの見方を変える事は難しいことかもしれない。
しかし誰が等の余計な事を捨て、ただ「焼けた」という事実だけを認識することが出来れば、
怒りから平常心へと向かえる。
怒りたければ怒ればいい、しかしいくら怒っても焼けた家は元には戻らない。
心の荷物を引いていくと、事実のみを見る事が出来、平常心が保たれる事を教えてくれた
とてもシンプルで簡潔なお話でした。