ドラえもん
私は映画が大好きである、と言っても数はそれほど見ていない。
私の記憶が確かなら、初めて観た映画は5歳の時に日曜洋画劇場でTV放映された
ブルース・リーの‘ドラゴン危機一髪’だ。
ブルース・リーという俳優は当然知らなかったが、5歳ながら完全にリーの強さに魅せられたのを覚えている。
それから2年後の小学2年生、ブルース・リーの幻の遺作と話題になった
‘ブルース・リー死亡遊戯’を近所のおじさんに映画館へ連れて行ってもらった。
この映画を観て、ブルース・リーという名前がきっちり脳に刻まれ、自分の中で特別な存在となった。
来る日も来る日もブルース・リー。
そして小学3年生になって映画雑誌‘ロードショウ’や‘スクリーン’を毎月発売日に本屋で立ち読みしていた。
なぜ発売日に本屋へ向かうのか?
これらの雑誌には、先一か月のテレビで放映される番組予定表が載っていたからだ。
一日でも早くこの予定表を見て、ブルース・リーの映画がテレビで放映されるかをチェックしていたのだ。
1本の映画は1、2年に一回テレビ放映されるかされないかであった。
そんな確立の中、予定表にブルース・リーの映画を見つけた時には、
本屋で立ち読みしながら、身体に震えが走ったものだった。
テレビ放映日まで、心の中で毎日カウントダウン。
遂にの放映日には、一秒のシーンも見逃すまいと瞬きもしないようにと気をつけたほど。
終わった後は何とも寂しい思い。
そうこうしながら数年を過ごし、
テープレコーダーをテレビの音声の出る小さなスピーカーにくっ付けて音声を録音する技を身につける。
音声を無事録音出来た翌日からはしつこいほど繰り返し復習。
それから少し時間が経ち、信じられない物が世に出現した。
‘ビデオデッキ’だ。
テレビで放映された映画を何回も何回も繰り返し映像付きで観ることが出来るようになったのだ。
夢のような出来事、ドラえもんのポケットから出てきたようなドリーム・アイテムだった。
ビデオで録画して、当然ながら繰り返し繰り返し観るのだが、そんな中で次第に自分の中で変化が起こった。
小さい時にテレビ放映された時に味わったあの高揚感が次第に薄れていったのだ。
そしてレンタルビデオの出現。
テレビでカットされていた映画をノーカットで観ることが出来る。
それもダビングすれば自分のコレクションに出来る。
いつでも観たいときに観ることが出来るようになったのだ。
小さい時には信じられないようなことも、何でも手に入りやすい世の中になると、
それと同時に失うものがあることに最近気がついた。
一期一会の喜びだ。
現在はテレビ放映で映画を観ることがほとんどなくなった。
観たい映画はレンタルで借りてくる、またはもっと生意気になってDVDソフトを購入する。
現代ではノーカットの映画は当たり前のこと、未発表映像も見られる時代である。
こんな時代では、
いつ観られるか分からないテレビ放映の映画を観たときのあの感動はもう二度と味わえないことだろう。
完全なものを観ることが出来るのに寂しさを覚える。
そう、何でも夢をかなえるアイテムを持っているドラえもんは、
夢のままで、実際には存在しない方がいいのだろうと私は思う。
