悟り
先日、竹林を歩いた。
日差しの強い日だったが、竹林に入った途端、とても静かで涼しかった。
凛と立っている竹、
何事にも動じないようだ。
ただ静かに立っている。
その時思った。
この竹は既に悟っているのだ。
そう思って竹を改めて眺めると一層凛々しく感じる。
竹だけじゃない、周りにある敷石、枯葉、人間以外は全て悟っている状態なのだ。
ヨーガでも他の宗教でも、最終的に目指すところは‘悟りの境地’。
一般的に生物といわれている物以外は全て悟りの境地に達していたのだ、
いや最初から達しているのだ。
日本のお寺の庭園がなぜあのように静かで凛とした雰囲気を醸し出しているのか?
あれはある種、悟りの境地を形で表しているのだろう。
人間は、周り全てが悟っている状態に囲まれているのだから、
本当はどこにいても悟れる。
しかし人間は欲多き生き物だから、
お寺のような悟りを形に表した場所で瞑想するのが最もその域に近づきやすいと
昔から僧は気づいてたのだろう。
インドでは修行者は1人山に閉じ篭もり瞑想するという。
これも同じだ。
瞑想時にこの竹を思い描き、これと同化したら一歩その域に近づけるのだろうか?
自然は人間よりも上だ。
しかし本来は人間も自然も同じ、全てが尊い。
それに気付きなさいというのがヨーガの教え。
竹になれ!自然に帰れ!
