先日所用のために桜木町駅を夜11時頃利用した。この時間帯は酔っ払った人や疲れ切って帰路についている人がほとんどで駅の雰囲気は弛緩し切っている、構内にはゴミをかたづける人もなく放置されていることも多い。そんな時間帯に駅の便所に入ったのだが、朝顔(便器)の上にポツリと一輪の赤いバラが放置されていた。一輪ではあるが、ちゃんとプレゼント用の包装がほどこされていた。はたしてどのような理由でこの花が便所に置き去りにされたのか、もらった花束を忘れてしまったのか、それとも家に持って帰るとまずかったのか、好きな女に渡そうとして渡せなかった痛恨の花なのか、そんな勝手な空想をして遊んでみた。仏教のキーワードで泥濘の中に清浄に咲く白い蓮の花というのがよく使われるが、便所に咲く赤いバラというのはどんなものであろうか、私はこのコントラストを色々愉しんでみた。人にあげるとしたら大きなバラの花束というのも壮観であるが、私は一輪のバラにかえって強いインパクト、その一輪にかけた思いのたけというか、潔さというか、そんなものを強く感じてしまう、茶室に置かれる「一輪挿し」をめでるときと同じ極めて日本人的な感性なのかもしれないが。こんな考えを愉しんでいると「塵裡に閑を偸む」という言葉が浮かんで来た。この言葉はむかし読んだ小説か何かに書いてあった言葉で、私はずっと禅語であると思っていた、調べてみると「香道(華道と同じようにお香をめでる道)」の言葉であるらしい。「香道十徳」というお香の効能を歌った言葉の中にあった。

感は鬼人に格る、心身を清浄にす、
能く汚穢を除く、能く睡眠を覚ます、
静中に友となる、塵裡に閑を偸む、
多くして厭わず、寡して衰えてくちず、
常にもちいて障りなし。

何か薬の効能の能書きのようであるが、「静中に友となる、塵裡に閑を偸む」この部分に惹かれてしまう。


『百花、春至って誰がためにか開く』

まあこれらの気持ちの動きはすべて人間側の問題である、バラは庭園にあろうが、花束になろうが、便所に置き去りにされようが唯我独尊、バラとして咲いている、そういうところが花の普遍的で絶対的な美しさなのではないだろうか。

一輪のバラのおかげで塵裡に閑を偸ませてもらった。





私がよく利用する喫茶店は駅前からは少し離れた場所に位置している。その店ででコーヒーを飲みながら読書することが私の愉しみである。大きな本屋は駅前近辺に集中しているのでそこまで行って本を買うのは億劫である。それゆえ喫茶店の向かいにある古本屋で本を購入することも多い。古本屋に駅前の本屋程バラエティーに富んだ品揃えを求めるのは無理な話で、適当に本を買っては読み捨ててしまうことがほとんどである。大体は文庫本を購入するのだが、気まぐれでハード・カバーの本を選ぶこともある。

以前古ぼけたハード・カバーの本を購入したのだが、その本の奥付には前の所有者によって署名、購入日、購入店が書き込まれていた。日付は『昭和36年二十歳の春』と記されていた。そして本文にも几帳面な書き込みが各所になされていた。『所感』のような文章、まるで詩のような書き込み、日記のような記述まで、心の内面深くにまで触れている文ばかりであった。特に日記的な記述には恋の悩み、思想的な悩みについて多く書き込みがなされていた。

今の時代、ネット上で赤の他人が赤裸々に自分の内面を告白している文章に出会う機会は多いが、これらはいくら『赤裸々に』とはいっても、あくまでも他人に読まれることを前提として書かれた文章である。それに比べて私が手にした古本にある書き込みは、恐らく他人に見られることを前提としていなかっただろう。この本がどのような経緯で再び世間に流通したのかはわからない。所有者が書き込みをしたことを忘れて売り飛ばしたのか、あるいは所有者が亡くなって第三者が売ってしまったのか、または本人がある『心境』に至って気持ちの整理のために手放したのか・・・。

いずれにしても私はこの古ぼけた古本にある書き込みに『青春の苦悩』を感じた。それはゲーテの『若きウェルテルの悩み』の如く、現代社会では取るに足らない、『時代』に置き去りにされてしまった『悩み』なのかも知れない、しかしながらその『悩み』の内容云々よりも、純粋に『苦悩』する姿に深く心を打たれた。

書き込みをした前の所有者、それを知らずに購入した私、両者ともに望んだ訳ではないが書き込みの文章を私は読み、その内面を『共有』してしまった。『事実は小説よりも奇なり』というが、実際その本自体の内容よりも書き込まれた文章の方が余程私の関心を惹いた。そして私は恐らく私の父親の世代であろうこの『悩める若者』に『中年』の立場で対峙し、その熱き血に嫉妬さえ感じている、否!『青春』そのものに嫉妬しているのかも知れない・・・。

古本に封じ込められた青春には今なお体温があった。




給食の「コッペパン」を懐かしい味にあげる人は多い。小学校時代はあたりまえのごとく毎日給食時に出て来たものだが、学校を卒業した後は食べる機会が無くなってしまった。
当時の小学生はランドセルの横に「給食袋」なる物をぶら下げていた。給食のパンを食べ残したときにそれを家に持ち帰るときに使う袋であった。当時はパンを持ち帰っていたのである。学校を欠席した子がいると近くに住んでいる子がわざわざパンを届けに行った、学校を欠席するくらい体調が悪いのであるからそんな固くなりかけのパンを持って行っても食べる気はしないとも思うのだが、これもコミュニケーションの一つだったのだろう。
私もよくパンを持ち帰った。低学年の内は給食自体がうれしくて残したパンも後生大事に持ち帰りしっかりと食べた。食べるときにはカチンカチンに固まっていたので、砂糖を皿に盛って、少しお湯をかけてそれにパンをちぎってつけて食べた。高学年になるとパンは遊びの道具になった。学校の池には鯉がいてパンを餌によく釣ったものである。先生に見つかれば当然怒られてしまうので密かにやった。竹箒の先っぽや、鉛筆に釣り糸、針をくくりつけて、その先にパンをダンゴ状にしてつける。先生が来ると池のそばから離れて隠れる。鉛筆の釣り竿であるから沈むことはないし「浮き」を兼ねている。そんな「釣堀」遊びの他には「桃太郎」よろしく、犬などの動物を買収、懐柔して手なずけるのに使った。小学生が代わる代わる犬に餌を与えるので太って困るとの苦情が飼い主からきたらしい。

今思えばこれらの「遊び」も一つの「生態系」を構築していたかのように思えてしまう。パンを捨ててしまうよりは余程エコロジカルである。

上記のように始末していた「コッペパン」ではあるが、私も他の人と同様にまた食べてみたいなあと思っている。みんなと楽しく食べた「コッペパン」の味を忘れられない




ふと自分の体に目を向けてみる。知らぬ間に腹筋の分かれ目が無くなってしまっていた。小学校高学年の頃に『腕相撲』がクラスではやった。強くなりたかったので私は『自主トレ?』を始めた、腕立てふせである。今考えると『腕相撲』で使う筋肉と腕立てふせで鍛えられる筋肉が同じなのかは疑問であるがそれなりに強くなれたような記憶がある。その後『腕立てふせ』の他に箪笥の引出しを引っ張りだして足の先を引っ掛けて『腹筋』もするようになった。体の成長期と重なっていたので目に見えて効果が現われた。高校生になると素直に鉄アレイを買えばいいものを灯油缶に水を入れて重さを調整してトレーニングに使っていた。私は『文科系』の人間だったが『腕相撲』ならば『体育会系』の人間と互角に張り合えた。当時すでに握力は70キロ程あった。
初めは単純に『腕相撲』に勝ちたいがために始めた『自主トレ』だったがいつ頃からか確実に異性の目を意識し始めていたように思われる。それは男子高であるがゆえになおさらだったのかも知れない。

先の長者番付でもダイエット、健康、美容食品の経営者が高位についていた。日本人の関心が何処にあるのかを如実に表わしていた。はたして私たちは『誰のために?』『理想の体型』を求めて努力するのか?また『理想の体型』とはいったいどんな体型なのだろうか。本来人間は本能的に異性の目を意識するようにできていると思われる。そして異性に良く観られようと様々な努力をする。美容、ダイエットの起源も恐らくこの『異性の目』を意識したものだったのではないだろうか。しかしながら昨今の状況を鑑みるに男性が求める女性の理想的体型と女性の求める自分の理想的体型。そして女性の求める男性の理想的体型と男性の求める自分の理想的体型。ここに生じる『誤差』の幅はかなり大きくなったようだ。はっきりいって『異性の目』は完全に黙殺されてそれにとって替わって『同性の目』が意識されるようになったように思われる。『異性の目』というのは案外温かいものである。お互いのことを知らないがゆえに妥協ができるという側面がある。しかしながら『同性の目』というのはお互いを熟知しているがゆえに辛辣で容赦がない。それゆえに『ライバル意識』が生まれ『終わりなき自己格闘』を促し、このうえもない金もうけの種になりうるのかも知れない。

『腕相撲』に勝つため、『異性の目』を意識して・・・今まではそんな理由で体を鍛えていた私であるが、まじまじと割れ目の無くなってしまった自分の腹を眺めてそろそろ自分自身のために体を鍛えよう!そう考え始めたのである





まだ残照を残した鹿児島空港を飛び立った。鹿児島空港は羽田空港に比べると小さくてとてもキュートな空港であった。展望台に出てみると前方に山々が綺麗に並んでいてフェンスのそばにその山々を図解した看板があり名前、標高などの説明が書かれていた。飛行場というのは途轍もなくでかく、でかくなければいけないというイメージがあった私だが、この空港を観て実に美しいと思った。
そんなキュートな空港に名残を惜しむ間も与えず飛行機は飛び立った。やがて下界は闇に溶け込み雲なのか海なのか山なのかまったくわからなくなってしまった。時折覗くか細い灯りのみが地上であることを訴えかけて来た。空から垣間見る地上の灯りは美しかった。地上ではそれぞれ街、道路、ビル、家・・・を照らすためにしっかりとした意味を持って灯された灯りだが、空から見える灯りはいかなる意味、それぞれの相関関係を持たない。その無意味さ、無意識さが灯りをことのほか美しくしているように思えた。地上では『意味』『理由』がなければすべては『無駄』『浪費』というレッテルを貼られてしまう。私は上空から観る灯りに人工的な灯りではあるが『自然』、そして『自由』を感じた。これらの灯りは人間の手、思惑とは離れてひしめき合いながら瞬いていた・・・。

飛行機が東京に近づき次第に高度を下げていくと『翼よ!あれが巴里の灯だ・・・』ではないが、やっと帰ってきた、懐かしいという気持ちが起こった。高度が下がるにつれ、街、建物の形が明確になりそれぞれの灯りが『意味』『理由』をもち始めて行った。灯りの『マジック』は終焉を迎えた。

そして今、私は『意味』『理由』に閉じ込められた世界の中で実に無意味に生きている。




小学生のとき同じクラスにMちゃんという子がいた。Mちゃんは家が貧しく風呂にもあまり入っていないようだった。髪の毛はフケだらけで先生が見かねて学校の流しで洗ってあげたら髪の毛の中にガムが絡みついていたりしたようである。一年間程、給食室新築のために弁当を持参しなくてはいけないときがあった。M君の弁当は、ご飯の上に沢庵が2枚程載っているだけであった。弁当を持ってこないこともあった。そんな時は先生が自分の弁当箱のフタを持って教室を廻り、みんなからおカズのカンパをした。M君はまさに天衣無縫といった感じの子であった。授業中に突然教室から消えて虫とりに行ってしまったり、飼育小屋のウサギを見に行ってしまったりしていた。今の時代なら病名がつけられてしまい、病気だから仕方ないという感じに無理やり説明されてしまうのだろうが、私はちょっと寂しく感じてしまう、M君に野生動物のような「自由」を感じてしまうからである。表には出さないが、内心ビクビクしつつ反抗して授業をさぼる奴はたくさんいるが、M君の場合は誰に逆らうつもりもなく、誰を傷つけるつもりもなく、気持ちの赴くままに好きなことをしているのである、私たちはこのようにドロップ・アウトしているM君を内心嘲笑していたが、M君の方が余程子供らしかったように思う、逆にM君のような個性をはじきだして「病気」として片付けて画一化教育をする学校、社会がはたして子供のためにいいのかと疑問に思ってしまう。
そんなM君であるから成績が良い訳はない、ただ絵だけはすごくうまかった、もともと芸術家肌だったのかもしれない。そんな個性的なM君であるからやはりいじめる奴もいた。M君はいじめられてもだまってやられている子ではなかった。泣かされつつも野生動物のごとく抵抗した。でもすぐにケロリとして他のことに集中してしまった。ある日、M君が数人にいじめられているところに所用で学校に来ていたM君のお母さんが出くわしてしまった。お母さんは一瞬の躊躇もなくいじめている子を張り倒した、そして授業中の静かな廊下を走って逃げる子を追いかけスリッパでちょうちゃくした。後日、M君のお母さんは言い訳することもなく学校に謝りに来た。私たち子供や、多くの大人たちはこのときM君のお母さんを変な人、子供の喧嘩に大人が出て来るなんてと笑ったが、今思えばこれほど深い子供への愛情表現はないように思える。社会常識、世間体などを飛び越えて自分の子供を守ろうとしたのであるから、もっとも原始的で純粋な「母性愛」ではないだろうか、M君は母子ともに野生動物に近かったのかもしれない。これだけ強く、ストレートな愛情表現をされれば子供がぐれたり、自殺することもできなくなるのではないかと思ってしまうのである。恐らくM君のお母さんは息子が再びいじめられていたら躊躇なく同じ行動に出たであろう。

M君のような子を病気としてしまい、M君のお母さんを非常識としてしまう、もっとも人間的である彼らを特別扱いしてしまう私達の社会の方が余程病気であるといえるかもしれない。
はたしてM君は今頃どうしているのだろうか。





『均衡』

意識している訳でもないのに
適度な力で握られて
落下しない掌中のコップ
逆に意識し始めると
その均衡は不自然さによって
壊されてしまう

世の中はそんな危うい均衡で
なりたっている

生命はそんな危うい均衡で
なりたっている


時折・・・
意識せずにコップを落下させてみたい・・・
そんな衝動にかられる

あたりまえのようでいて・・・
安定しているように思われて・・・
実は危うい綱渡り・・・

そんな均衡のうえで
我々は寝たり、起きたり
食べたり、働いたり、
遊んだりして生きている



私は子供のときから動かずに同じ土地に住んでいる。町の変遷をずっと観て来たわけである。古くからの人がいなくなり、新しい人がやってきて、亡くなる人もいれば、生まれて来る人もいる。トータルで見ると人の数は大分増えているようであるがどうにも一人一人の人が見えてこない。もともとこの町は町工場が多かったので朝でも昼でもその人を見かけることが多かった。そして「勤め人」といってもそれらの町工場や、近所の商店街で働いている人が多かったのでだいたいその人がどんな人であるかは把握していた。それにむかしは近所の人ともよくしゃべったものであった。

かつて近所の人は「仲間」以外の何物でもなかったが、最近はその人がどんな人であるかよく見えないために「警戒」の対象にまでなってしまっている。(もちろん、すべての人ではないのだが・・)。「プライバシー」と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、どんどんその「壁」がこちらにせまってきているような気がする。やがて相手の「プライバシー」の「壁」によって押しつぶされかねない勢いである。

「祭り」はうるさいから止めろ!朝のラジオ体操は騒音以外の何物でもない!子供を集めればうるさいに決まっているじゃないか!花火は迷惑だ・・・etc。

むかしでは考えられなかったような苦情が平気で飛び交っている。もはや「プライバシー」の「壁」は「護る」ための「壁」ではなく相手を攻める「武器」になっている。「壁」に四方を囲まれてしまえばそれは「プライバシー」でもなんでもなく「監獄」に他ならない。




子供の頃、自転車に乗るようになって行動範囲は飛躍的に拡大した。多摩川には片道18キロのサイクリングコースがあり、よく出かけたものだった。野球などをしていて飽きて来ると次にやることが思い浮かばないままサイクリングコースにでかけて行ったものだった。
あたりまえのことであるが、行ったら戻って来なければならない。遅い時間に出かけた場合、もしくは途中で天候が変わった場合など、ひどい目にあった記憶もある。


60年代のオランダに「行っても戻って来なくていい自転車」というものがあった。当時のヒッピー達の「ハプニング芸術、ショー」の一種で
「白い自転車」と呼ばれていた。誰かが白い自転車に乗りどこかまで走り乗り捨てる。すると次の誰かがその自転車に乗りどこかまで行く。その繰り返しで人は替われども自転車は走り続けるといったものだった。勿論、自転車は誰が乗ってもかまわない。60年代のカウンター・カルチャーの中にはこのようなおもしろいものが沢山あり興味深い。

多摩川のサイクリング・コースにも「黄色い自転車」というものがあったが、これは貸し出し用の自転車で当然のことながら行ったら戻って来なければならないものだった。今はこれだけ自転車が世の中にあふれ返っているので「黄色い自転車」は多分もう無くなってしまっただろう。昔から地方の観光地には「貸し自転車」なるものがあったが、最近は都会でも「貸し自転車」を始めたような話を聞いたことがある。恐らく交通渋滞、公害対策の一環なのだろうが・・・。

今でも自転車は私の重要な「足」となっている。当たり前の如くそこにある自転車であるが、もしそれがなくなったときの不便さを考えるといかに便利なものであるかわかる。
天気の良い日などは魔法瓶にコーヒーを入れて居心地のいい場所を探しに自転車で出かけることがある。気に入った場所でコーヒーを飲みつつ、川の流れを眺めたり、読書にふけるわけである。

駅前には「放置自転車」があふれている。しかしながら自転車のよく似合う景色はやはり「牧歌的風景」である。このような素晴らしい乗り物を「社会の迷惑」にしてしまうのは誠に忍びない。自転車利用者のマナーも問題であるが、歩行者や自転車を道の隅に追いやった「車優先社会」にも問題があると思うのである。駅周辺の車の駐車場の充実度に比べれば駐輪場というのは選択肢もなく実に不便である。

駅に行くためだけ、買い物に行くためだけの自転車に終わらせてしまうにはこの乗り物は無限の可能性を秘めている。季節もよくなることであるし魔法瓶にコーヒー、お茶、おにぎりなどを持ってサイクリングとは行かないまでも、散歩、ポタリングというのはいかがだろうか・・・。


やはり自転車は「いやっほお~!」といった気分で乗ろうではないか!





無意識のうちに歌を口ずさんでいることがある。私の場合は「童謡」が多いようだ。感受性が強く、多感で頭が柔軟であった頃に覚えたものは忘れられないらしい。

その中でも「おぼろ月夜」はよく口ずさむ曲だ。この曲の詞を紐解いてみると感情移入の言葉はない。ただ情景描写に終始している。しかしながら、あのメロディーに乗ってくると頭の中には一面の菜の花畑が浮かんで来て溢れかえり、様々な想い出が重なり聴いている方、歌っている方は感情移入に没入してしまう。

「童謡」というのはいわば明治政府の「脱亜入欧政策」の一環で西洋音階を子供に習わせようとしたものだった。当時の漢文調、7・5調の詩が西洋のメロディーに乗せられると実に不思議な化学変化を起こし独自のものに昇華する。今にいたっては「童謡」は古き良き日本を思い出すよすがとして語られることの方が多いが・・・。

今の政府はこれらの「童謡」を「わかりにくい」というだけの理由でつぎつぎと教科書からはずしているらしい。わかりにくければ教えればすむことだろうし、例え意味がわからず歌っていても大人になってこういう意味であったのかと感動することもある。これらの「童謡」をきっかけにむかしの詩に興味を持つ子供もいるかも知れない。要は教える側の勉強不足、努力不足に過ぎないのではないだろうか。このようにして(伝統文化)という物は怠慢な(空白)によって破壊されて行く・・・二度と取り戻すことができない物であるにもかかわらず・・・。

「国際化」が進む中、「英語」の勉強を始める年齢が早くなっていっているようだ。「日本語」の方が先ではないか?と疑問に思わざる得ない。例え英語に堪能でも自国の文化を知らずして「国際交流」ができるのか疑問に思う。自国の文化を誇りに思い、他国の文化を尊敬する、ここからが本当の意味での国際交流のスタートだと思う。「国際化教育」というのは自国文化も知らずに、ただ英語をしゃべる『わからん人』をつくるためのものではないだろう。実際問題、外国人の方が日本の文化、歴史について博識で向こうから質問されて答えに窮するケースは多いのではないだろうか。(しかしながら何をもって明確に日本文化というか、現代日本では、はっきりわからないのが現状なのかも知れない。食生活も純粋な和食だけという人はいないだろうし、民族衣装である着物を常時着ているという人はひじょうに稀だろうし金を払って人に着付けをしてもらう人がほとんどだろう。そのような状況の中で残された数少ない伝統的日本文化というのは「日本語」という言語だけではないだろうか。

『国際化教育』における(英語教育)は英語を単なる『ツール』としか考えていないようにも思える。(日本語)に関しても同じような解釈で教育されたのならばたまったものではない。

確かに日本語は乱れる一方であるが、言語は(生き物)であるからその変容は仕方がないことなのかも知れない。だからこそ英語の時間を増やすよりも先に綺麗な日本語を伝えていって欲しいと思うのである。

「西洋化」のためにつくられた「童謡」を聞いて「日本」に思いをよせる。一見不思議なことのように思えるが、これは西洋的音階を拝借しつつも、当時の日本人が美しい日本語に対する誇りを失わずに曲を作ったからではないだろうか。