『曲がり角の向こう側』





















畦道をガタゴト揺れながら

駅へと向かうタクシー



私は後部座席から

何度も・・・

何度も・・・

後ろを振り返る




すると


そこには必ず

ポツンと淋しげに立っている

祖父がいる




そして曲がり角が

無情にも祖父を掻き消してしまう
























親しい人が亡くなったあと

その人を偲んで

想い出話などするが

どうにも

想い出も

悲しみも

生々しくて辛さが伴う










三年・・・

五年・・・

十年・・・





・・・と


時を経てから

何かの拍子で飛び出して来る

想い出話というのは味があり

微笑みを伴いながら語れるものである









ふと・・・


15年前に94歳で亡くなった

福島の田舎の祖父の話が出た









めったに村から出ない人だが

私と姉が訪ねて行くと

従姉妹たち(4姉妹)も一緒に連れて

(おでかけ)してくれたものだった



かまびすしい

女の子たちの会話に

祖父はいつも

莞爾とした笑顔を浮かべ

聴き入っていた






かつての常磐ハワイアン・センターに

長いこと電車に揺られて

連れて行ってもらったことがあった



祖父がロビーで突然股引姿になってしまい

私たちはヤキモキしたものだった



だけど当時は周りの人も

馬鹿にするような人はいなかったように思う

お年寄りにはそれなりの敬意が

しっかりと払われていた









そんな祖父の話で

両親が話していたのは




田舎を訪ねるとき祖父には

日程をわざと知らせなかったそうだ


教えてしまうと

朝早くから家の前の畔道に立ち

まだか…

まだか…


・・・・と

我々を

ずうっと待っていてくれたからだ



子供の私は

そんな事はまったく知らなかった

ただ、祖父の蕩けるような

優しい笑顔を見ることが

楽しみだった











祖父が亡くなる少し前に

本当に久しぶりに訪ねてみた






祖父は自宅のベッドで寝た切りになって

診察を受けていたのだが

何故だか医者の先生を励ましていた





どうやら先生は最近

奥さんと別れてしまったそうで

しきりと60歳を超えた先生に

人生これからだからメゲるな!

とおぼつかない言葉で話しかけていた



94歳の祖父に医者の先生も形無しであった








私はあの頑健な祖父が

痩せさらばえて床に伏せっている姿を

見るのが辛かった


それゆえにあまり祖父の床へは

近づかなかった

それが今でも後悔として

残っているのだが








私が帰る段になって

祖父に挨拶しに行くと

何か言いた気な素振りなので

顔を近づけると






(死んだら

爺ちゃんが護ってやるから

安心しろ・・・)



・・・とかすれた声を振り絞っての

言葉を確かに聞き取った・・・








励まされるべき人が

誰に対しても

最後の最期まで

励ます人であった












去って行ってしまった人に対しては

いつまで経っても

拭いきれない後悔が募る


















もうすぐ

また祖父の命日が巡って来る




曲がり角の向こう側から

ひょっこりと・・・




再び・・・

あの蕩けるような笑顔を

見せてくれるような気がして仕方ない










『不相応』



















帰りの電車,

ちょっぴり不相応な時間に

乳母車に乗った赤ちゃんが・・・




両親は会話に夢中

赤ちゃんはどんぐりまなこで

あたりを見回している


なにに興味を惹かれているのか?

なにに注意を惹かれているのか?



ぱちりと開いた瞳が踊る

扉が開くたびに

入って来たり

出て行ったり

入れ替る人たち


赤ちゃんにはとても不思議で

おもしろいらしい。




ニコニコ微笑みかけて

手を降る外人さん


いないいないバアを

大袈裟にする

少しアルコールの入ったおじさん



見向きもせず

乳母車の前に立ちはだかり

イヤホーンの音楽に夢中の学生さん



両親のまったく気がつかないところで

赤ちゃんの心は動き



両親の知らないところで

周りの人の心も動いている。




ちょっぴり不相応な時間に

電車に乗っている

乳母車の赤ちゃん



彼にしてみれば

まわりのすべてが不相応

そんなすべての不相応が

楽しくて楽しくて・・・




さあて

我々にも何か愉しい

『不相応』はないかな?

探してみよう
















『ちっちゃな手』


















スーパーに勤めていた頃に

店の前の広場の草むしりを

店長直々に命じられたことがあった






浴びるような蝉時雨の中

作業していると

何やら視線を感じた



すると・・・



幼稚園児とおぼしき

女の子二人

男の子二人




少し離れた場所から

こちらの様子を

じっと伺っていた









しばらく経っても

こちらを眺めているので

なんか見世物みたいで

嫌だなあと思った





すると

意を決したのか

四人のチビ助たちは

こちらに近付いて来て

もじもじしながら






(おじちゃんなにしてるの?)




と訊いて来た





草をとって綺麗にしてるんだよ

と答えると






(大変だね)




と言って

離れて行ったのだが




また

少し離れた場所で

こちらの様子を伺っている



気にしないことにして

作業を進めていると




突然・・・



目の前に

にゅっと

ちっちゃな手が現れた



チビ助たちは

私のそばに集まり

草をむしり始めた




何が始まったのか

びっくりしている私に







(おじちゃんひとりじゃかわいそうだからわたしも草とるよ)



と・・・


女の子が満面の笑みを浮かべながら言った






ジーンと来てしまった・・・





そして自分を振り返ってみて

こんな気持ちをなくしてしまったのは

いつ頃なのか・・・・

考えてしまった





大人がその勝手な思い込みで

何も出来やしないと決め付けている


この


(ちっちゃな手)・・・





(出来ること)は


手の大きさからは推し量れない・・・








こういった純粋で

優しく・・・

美しい・・・

心根というやつは

どこから沸き起こって来るのだろうか





(教育)と答える人がほとんどだろうが

二歳や、三歳、四歳・・・

どれだけ(教育)を受けて来たというのだろう



恐らく彼らが

持って生まれて来たものに

違いないだろう













この炎天下の昼下がり

子供たちに作業をさせるのは

あまりにも忍びないので

やめさせようと言葉を捜したのだが

出て来る言葉は





(ありがとう)





それ以外になかった・・・


こんなに心の奥底からほとばしって来る

(ありがとう)は


生まれて初めてだった







仕方なく

ジュースを渡して

一人ずつ頭を撫ぜて

作業を中止してもらった













あれから15年・・・









あの可愛い

ちっちゃな・・・

ちっちゃな・・・

手をしていたチビ助たちも

二十歳を超えているんだろうな




この世知辛い世の中で・・・

普通な顔して狂った世の中で・・・





健やかに育ち



そして・・・



いつまでも

いつまでも

健やかでいて欲しいなあ










『手の記憶』













小学校2年生の頃

一人でバスに乗って

歯医者に通っていたことがあった




当時の自分にしてみれば

相当な冒険だったような気もする

少しばかり大人になったような気もした




そんな道程の中でのことだった



自分の前の席に座っている中年男性の手が

突然大きく震え始め

何かの発作を起こしたのか

体ごと床に転げ落ちた



幼い自分には何が起きたのか

すぐには理解できなかった



憶えているのは

男性が倒れたとき介抱をしに

後ろの席から駆付けて来たおばあちゃんが




だいじょうぶ・・・

だいじょうぶ・・・




・・・と何度も繰り返し


ずっと私の手を握っていてくれたことだ




バスは急停車して

この男性はあわただしく

救急車で運ばれて行った





そのときはこのおばあちゃん

大袈裟だな・・・

と思ったものだけど


大人になって考えてみると

あんな状況の中で

よく気配りのできる人だったなあと思う



そしてありがたかったと思う







あれから三十有余年・・・

中年男性にしろ

おばちゃんにしろ


すでに幽明境を異にしてしまったのかも知れないが


一番強く印象に残っている

(手)の記憶である
http://www.youtube.com/watch?v=QOeRI7-xw0E





「日常的」なものであるべき銭湯が「非日常的」なものになってしまったのはいつ頃からだろうか・・・。勿論、今でも銭湯に日常的に通っている人はいる。私の家の近くの昭和23年築の四階建て集合住宅群に住む人達は風呂がないこともあって通う人も多い。しかしながらベランダにユニット・バスをもうける人も多いようだ。確かに銭湯の値上げにより毎日通うのは不経済になってしまった。家に風呂がつき、銭湯に行く人が減りやむなく値上げし、その悪循環が銭湯の「非日常化」を助長してしまった。

私の子供の頃もすでに銭湯の非日常化は始まっていた。私自身も風呂が壊れたときや友達ともっと遊びたいときの口実に銭湯を利用した。「裸のつきあい」とはよく言ったもので、服を着ているときとはまた違ったつきあい方ができたものである。

大人になってから行った銭湯でまず感じたのは、足をいっぱいに伸ばして浴槽につかれる幸せである。体が大きくなってしまったこともあるが、子供の頃には意識しなかったことである(というよりも、子供の時は泳ぐ事が楽しかった)。

今でも知らない街へ行った時にフラリと銭湯に入ることがある。手ブラである。番台で手ぬぐいを2枚、洗うためのものとバス・タオルの代用、それと石鹸を買って入る。銭湯に入ればその土地のことが一番よくわかるように思える。混んでいる時間帯ではなく早めの時間に行くと地元の爺さんたちが話しかけてくれることもある。

銭湯を出たあとに地元の居酒屋にでも入れば「インスタント温泉旅行気分」に浸れる。これからの季節はビア・ガーデンだろうか。ビア・ガーデンに行く前に近くの銭湯をチェックして湯上りで行けばビールのうまさ倍増である。

「非日常化」してしまった銭湯であるが、「非日常=心の贅沢」と解して逆手に利用するというのも一つの手なのかも知れない。こんなに身近にオアシスがあるのだから。





「恋文」、「艶書」・・・。なんとも風情のある言葉である、「ラブ・レター」というポップな響きと比べてみると妙に奥行きが深く感じられる。昔、渋谷に「恋文横丁」という場所があった(私が生まれる前の話であるが)、この名前がつけられたのは、終戦後に進駐軍のGI達がいわゆる「パンパン」の女性達に渡すラブ・レターを代筆してくれる人が多くいたらしい。おそらくヤンキーのみなさんが書く「恋文」であるから、思い切りオーバー・アクションで「I
LOVE YOU!」の羅列になってしまうのだろうが
、はたして翻訳する人達はそのまま訳したのか、それとも「恋文横丁」というくらいだから当時の日本人に合わせた「奥ゆかしさ」を持った手紙にリメイクしたのか非常に興味深いところである。
しかしながらこれらの「恋文」がもたらした「恋?」の結末は、そのほとんどが悲しい物であった歴史的事実を忘れてはならないであろう。

恥ずかしながら私も「恋文」(というには格調がないものであったが)を書いたことが数回あった、ほとんどの場合「悲しい結末」というよりも、「痛い結末」に到ることが多かったが(笑)。露骨な感情表現を照れてできなかった分、「行間の書かれていない文字、凝縮して破裂しそうな気持ちを読んでくれ!」みたいな文章であったのだが、ほとんどの場合は気づいてもらえなかったようである、やはり自分の都合ばかり考えていてもうまくいくものではないのである。                  はたして、今の10代の人達は「恋文」とはいわないまでも、「ラブ・レター」を書くのだろうか、これだけPC、携帯のメールが普及しているのだからやはり「メール」で済ましてしまうのだろうか、私はすでに久しく「部外者」であるが(笑)、それではあまりにも味気ないではないか、と思ってしまうのである。「血」と「汗」と「涙」、「執念」と「怨念」と「思惑」がこもった、神社でお払いしなければ念が消えないような凄みのある手書きの手紙の方がもらった人の心を動かすのではないか(そんなわけないか・・・)とも思ってしまうのである。

アメリカ映画などを観ていてもむこうの人は実にスマートに日常生活の中で「I LOVE YOU!」を連発するが、そんなにこの言葉を連発してしまって、どれが一世一代で必殺の「I LOVE YOU!」であるのかわかるのであろうか、それをおもうと、そこらへんを徘徊している口の重い日本人のお父さん達のかつて言い放った「I LOVE YOU!」の渾身の一撃は、さぞかし凄みがあったろうと思うのである。

昔の日本人の和歌、反歌のやりとりをみると、一見、「淡白」のように見えるのだが、実にスマートに求愛していると思うのである。(アメリカ人の「I LOVE YOU!」とはまた違った意味で・・・。)そして「建礼門院右京太夫集」を読んだとき、火傷しそうなくらい熱いものを感じたものである。

「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」
日本人の「秘せられた炎」は限りなく熱く燃えていたように思えるのである。





先日某フランチャイズのコーヒー店に入ったら店員の子が客の老人に親しげに声をかけていた。「今日の服装決まってますね、どこかにお出かけだったのですか?」とか。そしてその老人が帰る際に雨が降り出すと「どうぞこの傘を持って行ってください」と傘を貸していた。とかく「マニュアル」通りの応対が多いフランチャイズ、チェーン店が多い中でとてもすがすがしいものを感じた。
某ファースト・フード店が「笑顔はただです!」というキャッチ・コピーでCMを流していたが、私は少し気になった。このファースト・フード店をよく利用するのだが店員はまさにロボットのごとく「マニュアル」通りの応対をする。しゃべる言葉もそうなのだが「○○円になります!」と言われて財布から金を出し店員に渡そうと手を伸ばしているのに「少々お待ちください!」とシャット・アウトして去って行ってしまう。金を握りしめ手を伸ばしたままの格好で一人取り残された私はまるで馬鹿みたいである。確かに言葉遣い等は丁寧なのだろうが、この応対は「慇懃無礼」に他ならないように思える。そもそも「礼儀作法」というのは相手を思いやり、相手を一番に考えたところから出て来るということが基本なのだろうが、ここには「相手」は不在である、「猿まわし」の猿が教えられた通りに客に頭を下げているのと同じである。猿は客がいようがいまいが餌をもらえるならばいくらでも頭を下げるであろう、それは「礼儀」ではなく「演技」である。
そして「笑顔」までが「サービス」の一部としてとらえられることがひじょうにせちがらく感じられるのである。「笑顔」は人それぞれ個人の所有物であって、他の人から強制されるようなものではないはずである、ましてや資本の所有物ではけしてない。「笑顔はただです!」確かに「心」から離れてしまっている「笑顔」など虚しく、無意味で、そして無価値であろう




漫画をよく読んでいた頃はそれこそ腹がよじれる程に笑ったものだった、というよりは四六時中何かにつけてゲラゲラ笑っていたようにも思える、友達ともバカ話ばかりしていたし、私自身も相手が自制できなくなるまでとことん笑わせることを念頭にして会話をしていた。さすがに大人になるとそうもいかなくなってしまったが。昔から私は人から「いつもニコニコしているね」と言われた、それが悪友の手にかかると「いつもニヤニヤしてるんじゃあねえよ」とか「口にしまりがねえな」などとこきおろされた。どうやら私は素顔が笑顔に見えるのかもしれない、学校の先生には叱られているときに「何ニヤニヤしてるんだ!」とさらに怒られたものだった。

西洋人がよく言うことで日本人はいつも意味もなくニヤニヤしていておかしいというのがある。はたしてどの様な「ニヤニヤした顔」を指して言っているのかわからないが、確かに西洋人というのは自分がおもしろいと感じるとき、笑いたいと思うとき以外は笑っていない人が多いように思える、したがって普段の顔はちょっと怖いようにさえ思える。日本人でもニヤニヤして気色悪い奴は街にたくさん溢れているが、古来日本人の『微笑』というのはホスピタリティーから出たものだと思うのである、(『葉隠れ』などを読むと武士階級は『笑い』を戒めていたようであるが・・・)、初対面の相手でも相手が『微笑』を浮べていたら好感を持ちリラックスできるしコミュニケーションを円滑に進めることも出来るであろう、それを意識しないうちにしてしまうのが日本人の『微笑』ではないだろうか、こういってしまえば語弊があるかもしれないが西洋的な考えだと『笑い』というものはあくまでも自分の所有物であって自分のためにだけある物で、人に向ける『微笑』さえも自分がしたいから自然にする(勿論、功利的に計算された物もあるだろう)というものなのではないだろうか、そういう考え方からすれば日本人は自分のためにだけでなく人のためにもあえて『微笑』するわけである。西洋的個人主義の見地からたてば『笑い』は自分自身のためにするものであるから日本人のホスピタリティー的な『微笑』は意味の無い『ニヤニヤ』と捉えられてしまうのかもしれない。
これらの事を国民性、民族性の違いという事で片付けてしまえばそれまでであるが、これを『世界史』の中の『東洋』と『西洋』の歴史という視点から観ると考えさせられてしまうことがたくさんある、「個人主義」というのは結構なことであるが、それが「エゴイズム」になり他の人は劣っているように思うようになりやがて表向きは助けてやる、啓蒙してやると言いつつ『帝国主義』になっていく。
個人主義者が集まった国が民主主義に基づいた選挙で指導者を選びその指導者は世界に向けても民主主義を標榜するが、その民主主義は自国内で完結してしまっている、世界に対してはエゴイズムとしかとれない行動ばかりが目立っている。

自分がうれしいときおかしいとき笑いたいときに笑うのはおおいに結構である、しかしながら多くの人と一緒に笑えばもっと心から幸せになれると思うのである、他の人の『笑顔』を誘うための『微笑』というのも必要であると思うのである。

本当にすべての人が心から笑えるような時代がくればいいのであるが・・・。






たまに空から言葉が降って来ることがある。何の脈絡もない単語、名前など色々である。
先日ふと(尺取り虫)という言葉が思い浮かんだ。しかしながらよくこの名前を思いついたものだと思う。まさに見た通りそのままなのだが・・・ひねくれた大人にはなかなかその言葉が浮かばないであろうなと思う。そういえば子供の頃は勝手に思い付いた名前をつけていたものだ。虫の名前は勿論、鳥の名前草木の名前・・・なんでもありだった。自分が勝手に名づけた名前が他の人に言い得て妙だと共感を覚えて貰うとうれしかったものである。

植物図鑑,昆虫図鑑・・・図鑑類を眺めていると学術名ということでカタカナ表記されているが、 よくよく読んで眺めてみると人を喰ったようなおもしろい名前が数多くある。名前をつけた人の無邪気さと堅苦しい学術名、カタカナ表記のしかつめらしさ・・・その組み合わせがなんとも滑稽!みんなそれに気付かずにむづかしい顔をしながら図鑑を手にする姿もまた滑稽に思えてしまう名前をつけたむかしの人の素朴で素直な感性を感じる。こういうのを『遊び心』とでも言うのだろうか、現代人には失われつつある感性なのかもしれない。

これらの名前の名づけ親である我々の先達諸兄は我々真面目腐った現代人に(してやったり!)と舌を出しているかも知れない。






子供の頃『マイク』は特別の存在だった。教室で、遠足のバスの中で好きな歌手の歌を唄うときは必ず手に「架空」の『マイク』を握り緊めて唄ったものだった。『マイク』のオモチャが売られていたくらいであるから私たち当時の子供にとって『マイク』とはまさにテレビの中の世界にだけ存在し、それを持つことはその四角い画面の中に収まることができる者だけに許される特権であった。私は人一倍『マイク』に対する憧れが強かったように思える。要するに馬鹿な子供だった。人前で恥ずかしがることもなくバカをやってのける『目立とう精神』(懐かしい言葉である)の持ち主であった。『マイク』を握りたい!テレビに写りたい!それだけの単純な理由から中学校、高校と放送部に籍を置いていた。入ってから気付いたのだが放送部というのはテレビに写るというよりは写す方であり、『マイク』を握ることは握るのだが自分でしゃべるのではなく相手にしゃべらせる方の立場であった。

高校の放送部に入部してすぐに『インタビュー・デス・マッチ』なる物をやらさせられた。一日に何人のインタビューを取って来れるか新入生同士で競わせるという企画である。どんな内容のインタビューだったか憶えていないが友達と一緒にいる奴にマイクを向けると必ずそいつはふざけてまともなインタビューにはならない。例え本人が真面目にインタビューに答えていてもその友達が横から『放送禁止用語』をボソボソつぶやき、せっかくのインタビューを台無しにしてしまう。まあこれは男子校ならではの事なのかも知れないが・・・。かといって一人でいる奴にマイクを向けてもうまく答えられる奴は少ない、必ずドギマギしてしまい言っていることが支離滅裂になったりしてしまう。そういうときはマイクを相手に持たせるとうまく行くことが多かった。『マイク』を突き付けられるのは『銃』を突き付けられるのと似ているかもしれない。『マイク』も『銃身』も同じ『円筒形』であるし(?)・・・マレーの虎の山下将軍ではないが『イエスか!ノーか!』と有無を言わさず答えをその場で求められる威圧感がある。

昨今はカラオケの普及によって『マイク』は特別な物でなくなってしまった。テレビのインタビュー、バラエティー番組などで素人が臆することなくしゃべっている。『マイク』は向けられるものではなく自分の手に持つ物に変って来たのかもしれない。私はノルマを早くこなすために安易に相手に『マイク』を預けてしまったがこれを公共の放送局がやったらそれは世も末である。実際バラエティー番組などを観ていると素人だろうが芸能人だろうがこの人に『マイク』を預けてしまっていいのか、と疑問に思うことが多い。モラル、言葉の乱れを見るにつけ「やったもん勝ち」みたいにどんどん既成事実を作ってエスカレートさせ、それが当たり前のことのように視聴者を慣らせて調教し取り込んでいるかのような風潮も見られる。やる方、観る方ともに歯止めが利かなくなっている。大宅壮一氏がテレビ放送の黎明期に『一億総白痴化』とすでに喝破していた慧眼には感服する。

私は放送部であったのが縁で数々のドキュメンタリーを観てきた。昭和史に興味があったことも重なって必然的に激動の昭和史を記録した番組が多かった。『歴史』を記録する『マイク』、『歴史』の中の『マイク』その素晴らしさに感激したものである。『マイク』はけして人を傷つける『銃身』になってはいけない。『マイク』は常に持っている人の『眼差し』でなければならないと強く感じた。それゆえに『マイク』を完全に相手に委ねてはならないのである。それは『無条件降伏』を意味するのである・・・何に対する(無条件降伏)か?それをじっくり考えてみることが我々の最も重要な課題 なのかも知れない・・・。