511日は「母の日」。

前回よりご案内しております“おかあさん”を描いた絵本です。


2冊目は、

◆『うまれてきた子ども』佐野洋子/作・絵(1990年 ポプラ社)

 

うまれたくなかったから うまれなかった子どもがいた

うまれなかった子どもは、まい日 そのへんを うろうろしていた。 
うちゅうの まんなかで
星の あいだを うごきまわった。
星に ぶつかったって いたくない。
太陽の そばに いったって あつくない。
なにしろ うまれなかったんだから、 かんけいない。

ある日、うまれなかった 子どもは、ちきゅうにやってきた。
どんどん あるいていった。

(以下略)



表紙に描かれるのは、どこか不敵な目をしてどこかに歩いている、はだかんぼうの子どもです。
お腹も足もぷくぷくしています。


「うまれなかった子ども」は蚊に刺されてもかゆくないし、パンの焼ける美味しそうなにおいがしても食べたいと思いません。
なにしろ「うまれてないんだから かんけいない」のです。


そんな時に、街で一人の女の子に出会います。
犬にかまれた少女は泣きながら走っていきます。

「おかあさーん、おかあさーん」

うまれなかった子どもは自分も犬にかまれたけれど、なにしろ「関係ない」ので痛くもかゆくもない。
しかし、
女の子がおかあさんから怪我した所を手当てしてもらいバンソコウを貼ってもらう姿を見て、自分も「バンソコウをペタリと」はりたくなります。
そこで、

「バンソコウ バンソコウ」と、
うまれなかった 子どもは さけんだ。
うまれなかった 子どもは うまれた。
「おかあさーん」


うまれた 子どもは、足とうでがいたくて ないていた。
「おかあさーん、いたいよう」
おかあさんが「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、はしってきた。



「うまれてきた子ども」は、おかあさんから手当てをしてもらってバンソコウをペタリと貼ってもらいます。



「ばんざーい」うまれてきた子どもは、おかあさんに だきついた。
おかあさん、やわらかくって、いい におい。




「うまれなかった子ども」は、初めて“おかあさん”にバンソコウを貼ってもらいたいという願いを持つことによって、「うまれた子ども」となります。

うまれてみたら、お腹はすくし、痛かったりかゆかったり、ゲラゲラ笑ったり遊んだり・・・



よるになると、うまれてきた 子どもは、ねまきをきて、おかあさんに いった。

「もう、ぼくねるよ。うまれているの くたびれるんだ」
おかあさんは わらった。
そして、うまれてきた 子どもを しっかり だいて、おやすみなさいの キスをした。
うまれてきた 子どもは、ゆめも みないで ぐっすり ねむった。


...
と、ただこれだけのお話なのですが、
面白いなあと思うのはキーワードとなる「おかあさーん」という言葉。


「おかあさーん」という魂の呼びかけ(言葉)によって、〈この世への関わり〉・〈感覚の獲得〉という大きな変化が起こるのですね。



同様のキーワード「おかあさーん」は他の絵本の中にも見ることができます。


3冊目。
◆『めっきらもっきら どおんどん』長谷川摂子/作 ふりやなな/
1990年 福音館書店 ※初出1985年「こどものとも」)


この『めっきらもっきらどおんどん』は、ふとした拍子にこの世とは違う〈不思議な世界〉へ迷い込み、異形の者たち(妖怪?)と楽しい時間を夢中ですごした少年が、そのうちにやっぱり心細くなってきて、
夜空に向かって大声で「お・か・あ......」と言いかけるのですが、
少年といつまでも一緒に居たい妖怪たちが、それを必死に止めようとするのです。


「いうなっ!」
「そ、それを いったら おしまい」
てんでに かんたに とびかかり、くちをおさえにかかったけれど、もう まにあわない。

「おかあさーん」
かんたの こえが ひろがると、とつぜん よぞらに ひのひかりが さしこんだ。



「おかあさーん」という自らの魂の呼びかけによって〈この世〉に戻ってきた少年は、
「かんちゃーん、ごはんよー」というお母さんの声でその場をかけだします。


・・・・・・・・


多くの映画や小説、ドキュメンタリー番組や報道をみていると、
人の心には、
大人になった今でも尚、悲しい時、辛い時に思わず「おかあさーん」と大きな声で叫ぶ〈おかあさんの子ども〉としての自分が棲んでいるのではないかと思う事があります。


絵本をきっかけに、
「おかあさーん」という魂のよびかけ(言葉)、その意味について考える今日この頃です。

皆さんも「母の日」の今日は、
「おかあさーん」と呼んだ日、「おかあさーん」と呼ばれた日のことなどをそれぞれに思い巡らせていらっしゃるかもしれませんね。




【プチ情報】

*最初にご紹介した『うまれてきた子ども』作者佐野洋子さん19382008年)には、〈母を愛せなかった娘〉としての自身を描いた小説・エッセイ作品が多くあります。

これについては息子である広瀬弦氏が

「(佐野さんは)若いころに死んでしまったお兄ちゃんとお父さんのことがすごい好きだったから、それでお母さんとの小さいときの思い出をああいう風にしか膨らませられなかったのかなあと思う」と語っています。

 
実は作者である佐野洋子さんの心にも、
「おかあさーん、おかあさーん」と泣いて抱きついてバンソコウをペタリと貼ってもらいたいと思い続けた〈子ども〉が棲み続けていたのかもしれない・・・
そんな風に思ってみたりもするのです。


そしてここまで書いた今、本の奥付を見てみたところ、担当編集者のお名前が以前から存じ上げている方(!)とわかりましたので、今度このあたりのところをぜひ伺ってみようと思います。


(絵本コーディネーター 東條知美)