4/18(土曜)、 21世紀 紙芝居学校vol.13 「紙芝居の楽しみ・絵本の楽しみ」

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まずは午前10:30~ スズキコージさん(公式ホームページ http://www.zuking.com/)による講演が行われました。
タイトルは「紙芝居を作る 絵本を作る」です。

会場後方より、手製の馬のお面をつけて登場。会場を沸かせます。


【お面】
このようなお面は子どもたちとのワークショップで作られることがあるそうです。
みんなで身に着けてパレードを行ったりもされるそうで、「これが最高に面白い」
、「子どもたちを大勢ひきつれ楽器を鳴らしながらの行列は、ハーメルンの笛吹き男みたいかもしれない・・・いま放射能のことなんかを考えると、本当に笛吹き男のように連れ出してやりたいなんて思ったりもしますが・・・・・とにかく今僕はアートをやるしかない」との言葉も。




バティック(ろうけつ染め)]

会場に10点展示された布製の作品はバリ島の“腰巻”で、バティック(ろうけつ染め)であるとのこと。


バリ島に何度も通い現地の職人と(半屋外のような場所で)作られたというこれらのバティック。
まずはスズキさんが白布に鉛筆で下書きを書き、これに合わせ現地の職人さんが「蠟引き」します。これを広げ、色を塗ります。定着液を塗り、巨大な鉄鍋でぐつぐつ煮てから太陽の下に晒して完成。ざっとこんな説明でしたが、

このバティックの絵柄の、繊細かつダイナミックなこと!

すべての生物の命の息吹・美・躍動感がビンビンと伝わってくるようです。



【縄文ケータイ】

「千葉の海辺で拾った流木で作った」という〈縄文ケータイ〉(原始ケータイ)
もちろんスズキコージさんのネーミングによるものですが、
「これを耳に当てて電車の中でメチャクチャ語でしゃべっタリすると、すっごい大注目をあびます」とのこと。
会場も大笑いです。


流木で作ったというケータイ


陶器製のケータイ



【生れ】
スズキコージさんは昭和23年生れ、ご出身は浜北市。
天竜川のほとりで生まれ育ったとのことです。
昨日はご実家で泊まったとのことですが、「91歳の母はボクに会うたびに「はいコージ、これでさようなら」と言う」と笑っておられました。

昭和23年といえば、まだ終戦から間もない頃です。お母様のお乳の出が悪かったそうで、「山羊の乳で育てられた」というスズキさん。
「僕の描くものにしょっちゅう角の生えてる動物が出てくるのは、本当の母を山羊だと思っているからかもしれない」と、またまた会場に笑いをまき起こします。

*長野ヒデ子さんとの共作、最新作『やぎや』(すずき出版刊)の主人公も、山羊ですね。この絵本は会場で即完売となりました!




【絵本と紙芝居】

浜北市の田舎でのびのびとした少年時代を過ごしたというスズキコージさん。

「はなくそ飛ばして遊んでるような“先住民のような日々を送る”僕らのところへ、ある日真っ白いシャツを来た男の子と女の子がやってきた。「ぜったい東京の子だ!」「どうする?「逃げる?」とうろたえる僕らに向かって男の子の方が、
「君たち・・・」
と話しかけてきた。・・・君たち!これにはシビレましたねえ。なんてかっこいいんだと。
こんな風ですから、“絵本”を読むような子ども時代ではなかったんです。

“紙芝居”はみんなで楽しめるメディア。
“絵本”は基本ひとりで見るもの、という(どちらかというと)文学的なイメージですね。




【壁画と紙芝居】

いろいろな場所で依頼を受け“壁画”も描いてこられたスズキさん。
「壁画(ストリートピクチャー)と紙芝居は、みんなに見てもらえるという点で似ている」
と思われたそうで、
あるときは創作中にお婆さんに何度も肩を叩かれ、「東京駅はどっちですか?」と訊ねられたり、あるときは酒臭いおじいさんに「一日見ていたがあんたの絵には、センスのひとかけらもない」と断言され「却ってすがすかしいくらいでした(笑)」とエピソードも交え、
「(壁画を描いていると)僕の絵を普段見てくれそうもない人たちが、こうして見て話しかけてくれる。この経験はそうできるものではない。面白いなあと感じた」
とのことです。

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スズキコージさんの講演及び午後からの作家による紙芝居実演レポートは「本編②」へと続きます。
引き続きご覧ください♪


(絵本コーディネーター 東條)