今日1/15は私の誕生日です。
「いちばん好きな絵本はなんですか?」と聞かれると答えに窮してしまうのですが、
毎年誕生日に読み返す絵本」ならばこれです。

☆『ちいちゃな女の子のうた “わたしは生きてるさくらんぼ”』
(デルモア・シュワルツ文/バーバラ・クーニー絵/白石和子訳/1991年ほるぷ出版)


1950年代にアメリカで書かれた詩がベースとなっています。
繊細でやさしい絵のタッチで知られるバーバラ・クーニーが、美しい水彩絵具で1978年に絵をつけたものの翻訳版です。

中をご紹介できないのが残念!
でも実際に手にとっていただき、ページをめくるごとに表れる美しいシーンと研ぎ澄まされたことばのハーモニーを、ゆっくりと味わっていただきたい一冊です。


「まいあさ わたしは あたらしいものに なるのよ」
「わたしは あかよ。」
「わたしは 金。」
「わたしは みどりよ。」
「わたしは 青なの。」
「わたしは いつも わたしでしょう。」


この絵本はこの20年間私にとって、元気がなくなってしまったり落ち込んだときのカンフル剤にもなっております。
プレゼントにもおすすめです♪


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さて、今日は
よい機会ですので、仕事として関わり、こちらのブログのメインテーマともなっております絵本について、“絵本とはなにか?”を考えてみたいと思います。

 

「絵本コーディネーター」を名乗らせていただき、絵本のご案内などの活動をしておりますと、

「なぜそんなに絵本がいいのですか?」

「絵本に何ができますか?」

「絵本やファンタジーはオンナコドモの可愛い世界ですよね」・・・等々の言葉をかけられることが少なくありません。

 

そういったご質問に対しマジメな持論を述べることは、かならずしも(声をかけてくださった)皆さまを絵本に近づけることにはならず、むしろ逆効果になることもあるのでは・・・と考えておりましたが、よい機会なのでアタマの中の整理も兼ね、現時点での考えを簡潔ではございますが記しておくことにします。

 

なぜ“絵本”?

音楽でも漫画でもスポーツでも映画でも、いいと思います。

私は、絵と(簡潔な)言葉とで物語を紡ぐ“絵本”にたいへんな魅力を発見しました。

その形態も手触りも、手渡される「モノ」である点も、それに出会う時期によって生じる各々の心における変化も含め・・・絵本はたいへん面白く興味のつきないメディアであると思っております。

 

私の思う魅力的な“絵本”は、参考書やハウツー本のように、直接何かを教えてくれるものではありません。ただしある程度を経験した者にとって“絵本”は、内なる「子ども」の目と「大人」の目の両方で、外部の世界にある(自分自身をとりまく)現実を捉える事により、自己拡大を図ることが可能である・・・そういった力をそなえていると思います。

 

“絵本”で新たな世界を発見する術を身につけるためには、感受性と想像力を要します。

成長とともに多くの人々が失ってしまいがちな感受性や想像力ですが、そんな大人にこそ絵本を。

あらためて出会う絵本の世界で培われる(あるいは回復される)感受性と想像力は、多くの場面で人生を豊かにすると信じております。

 

(『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』などで知られる)トールキンは、自著『ファンタジーの世界』の中で、大人にとっての「ファンタジー」を「曇りのない視野を取り戻すのに役立つ」と述べ、その働きを《回復》と名付けました。

様々な苦悩や倦怠に身を蝕まれるとき、その人がさらなる成熟を目指す途上にあるならば、まずは《回復》する必要があるのではないでしょうか。ファンタジーや絵本の世界に、そのヒントがあります。それを読み取る愉しさもあります。

また、芸術とよばれるにふさわしい画力、表現力で圧倒させる絵本作品も多くあります。

絵本を子どもだけのものにしておくなんて、もったいない!と思い、手探りながら大人の皆さまに向けて活動しております。

 

 

“子どもと絵本”について

 そもそも絵本は、文字を読めない子どものために絵で表現しわからせるためのメディアとして誕生しました。

子どもにも、よい絵本との出会いを与えられる大人でありたいと思っています。素敵なかけ橋でありたい。でも、押しつけがましかったり「そればっかり」ではつまらないなあというのも正直なところです。

これについては、昔の絵本雑誌に書かれていたものが私の思いをそのまま代弁しているかのようでした(少々おこがましいのですが)ので抜粋して掲載します。

以下、児童文学作家の今江祥智氏(作品に『ぼんぼん』等)によって今から40年も!前に書かれた文章です。

 

「一冊の絵本との出会いが一人の子どもにどれほど豊かな世界への扉を開くものであるかを認めるにやぶさかではありませんが、現実に一日中でも体を動かして遊びたいほどのバイタリティとエネルギーをもつあたりまえの子どもというものをまず考え、次にそういう子どもが現実に生活している社会そのものの歪みや貧しさを考えると、どうしてもそうした発想にはついていけない気になってしまうのです。

「本はなくても子は育つ」。大きな木がほしい、その木で思うさま遊ぶんだ、という子どものゆめを美しく描いた絵本があることよりも、現実に大きな木がデンとあることのほうが、子どもにとっては幸せとちゃうやろか・・・(略)

一つは、絵本を買い与えることができるお母さんたちの中に、何でもかでも絵本に肩代わりさせるきらいがありはしないかということで、今一つは、絵本も買えない現場というものがどれほどたくさんあるかという現実ヌキに、絵本をすすめ、絵本を与える・・・といったことはいったい、どれほどの意味をもつか、ということなのです。(略)

絵本の愉しみを知り、絵本が好きで、絵本の果たす大きな力が分かるだけに、よけいにわたしはこの点についてこれから考えていきたいのです。絵本に何ができるかーということがたしかめられる「現場」のさまざまな現実の重さヌキに、絵本・子ども・大人の問題はやはり考えられないと思うのです。」

 

(※上記、『日本児童文学別冊 絵本』(19748 すばる書房盛光社)より今江祥智(筆)「絵本とはなにか:絵本のおかれている“場”というもの~絵本になにができるか~」から抜粋しました。)

 

「絵本の愉しみを知り、絵本が好きで、絵本の果たす大きな力が分かるだけに、よけいにわたしはこの点についてこれから考えていきたいのです。」

 

学べば学ぶほど、「現場」(社会)というものを考えることになります。

これはきっと、何をやっている人にも共通していえることなのでしょう。

 

ひとまず・・・子どもたちへ絵本を与えてくれる(思いのある)人々はたくさんいらっしゃいますので、私は“大人にこそ絵本を”をコンセプトに、絵本の魅力や力をより多くの皆さまに知っていただきたいと願い活動しております。

 

今年は対面での絵本案内の他に、たとえば企業や医院での「絵本スペース」をコーディネートさせていただける場面もあれば・・・と思っております。

皆さまからのご提案、ご要望などぜひお寄せいただきたく、宜しくお願いします!

 

一冊の絵本との出会いが、人生をきのうよりも少しだけ豊かにするシーンを信じて。

 

2014115日  絵本コーディネーター 東條知美