東條:(会場に映し出された画像を指す。)先生はミュージシャンの方ともコラボされているんです。これはセカイイチ
というバンドミュージシャンの方々です。
なかえ:ご存知ですか?
西野:知ってます。
西浦:セカイイチさん
は、お世話になった方が昔ディレクターか何かされていたとか仰られていたような。
東條:このセカイイチの楽曲のプロモーションビデオの中で、ねずみくんが登場しています。(※13.セカイイチの楽曲とねずみくんがコラボレーションしたのは2008年11月。)音楽と絵本・・・いいですね。
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西野:『ねずみくんのチョッキ』なんかは、ひじょうに落語に近いというか・・・オチがあるじゃないですか。こうきて、こうきて、こうきて、最後の1ページでストンと落とす。オチっていうのは笑うだけじゃなくて、話がきちんと落ちている。絵本にはそうでないものもありますよね?「今日~しました。たのしかったよ」で終わってしまうようなもの。僕ね、絵本に限らずなんですけど、オチが無いとダメなんですよ。映画でもなんでもそうなんですけど、オチの無いやつって本当にダメで。
なかえ:そうですね。オチっていうのは「アイデア」ですから。オチがないってことは、アイデアがないっていうこと。お話っていうのは、思いつきで書いていけばなんとなくまとまるじゃないですか。それが創り手からは見えちゃうんですよ。オチは計算しなきゃなんないでしょう?最初から、展開するために。だから、オチの無いのは、ねえ・・・。
西野:もうね、オチがないんやったら、表紙に「これ、オチはありません」って書いといて欲しいんですよ!
(会場 笑)
西浦:ちなみに、結構そういう本が多いんですか?
西野:どうでしょうね・・・例えば、オシャレなかんじのやつだとか。映画でもあるじゃないですか。日常のワンシーンを切り取ったような。ああいうのが僕、本当にダメで。なんで2時間かけてこんなもんをダラダラダラダラと、って。
西浦:わかります。
西野:でもね、そういうのを好きな人もいるんですよね。
西浦:垂れ流し感が、好きな人もいらっしゃる。
東條:垂れ流し(笑)
西浦:批判じゃないですよ!(笑)でも垂れ流すだけじゃなくてね、ちゃんと、こう・・・
西野:西浦さんはどうなんですか?好きな作品とか、そういうのはあるんですか?
西浦:僕もモヤッとして終わるのは非常に苦手なタイプでして。気持ち悪い、異形なモノとかはすごい好きなんですけど、そういった作品でもこう・・・「エンディングはみんなが考えて」みたいなのもあるじゃないですか。それもアリだとは思うんですけども、やっぱりモヤッとしてしまって。
西野:ダメですよねえ!「想像にお任せします」みたいな、あんなのは。そこはちゃんと責任とって、「これがオチだ!」って言うてほしい。それですべっちゃったら全部こっちの責任。「想像にお任せします」って言うて、じゃあ、おねえさんが想像したやつ(エンディング)がすごく面白かった場合、それが僕(作り手)の手柄になっちゃうじゃないですか。この勝負の仕方が、ねえ!!・・・ ちょっと、熱くなってきちゃいました。
(会場 笑)
西野:だから作り手は、「こうで、こうで、こうですよ!」で、「おもろい?おもろない?どっち?」ってくらいハッキリしていないと。絵本に限らず映画、小説・・なんでもそうなんですけど。
なかえ:映画なんかでも、僕はヒッチコック
が好きなんですよ。
西野:わかります、わかります。
なかえ:最後、裏切られるシーンなんかがある。裏切られるってことは、驚くってことでしょう。作品っていうのは、驚かせるために作るわけだから。それをね、驚きもしないのを、さっきのお話にあったようにダラダラと2時間も見せられては・・・2時間返せ!って。
(会場 笑)
西野:先生、星新一
とかは好きでしょう?
なかえ:はい。「星新一とヒッチコックを観ろ」ってよく言うんだけれども、そうすると「なんでそんなこと言ってんだろう」って顔で見られてね。
(会場 笑)
西野:でもちょっと嬉しいですよね。『ねずみくんのチョッキ』を書かれてる方が、そういうことを言ってくださるのは。
西浦:ちなみにお二人は、ストーリーを書かれる時はオチを考えてから書かれるんですか?
西野:僕はもう絶対。絵よりもなによりも、まずオチです。
東條:なかえ先生も、同じでいらっしゃいますよね?40年前からいろいろな場で・・・インタビュー等で「必ずオチから考える」とお話しされていますね。(『上野紀子』(※14.))
なかえ:オチをうまく見せるために途中を考えるわけで。
東條:それではここで、上野紀子先生のご紹介をさせていただきます!先生の作品は、40年前のデビュー以来ずっと「文と構成」をなかえよしを先生が、「絵」を奥様でもあられる上野紀子さんが担当していらっしゃいます。
(客席にいらしてくださった 画家の上野紀子先生が立ちあがり、お客様へ向け会釈してくださいました。)
(会場 拍手)
東條:まずオチまでの展開をなかえ先生がお考えになり、それを上野先生に口頭でラフ画と共に説明され、ひとつの作品に仕上げていかれる。この形を40年間続けてこられたということです。
西野:・・・すごいなあ!
西浦:それで200冊ですもんねえ。
なかえ:でも(作品の内容については)二人でokが出ても、編集者がいるわけです。この編集者がいいって言わないとね。
西野:そうですよね、ここ(編集者)をクドかないと世に出せないわけですから。
西浦:それってちなみに漫才とかでもあったりするんですか?ネタを書いて事務所に出すとか・・・
西野:事務所(に見せること)はないですよ。僕が書いて、梶原
に見せるんです。コンビによって様々なんですけど、作家さんを入れて3人でやる人もいるんですよ。僕それはちょっとダメで。まず一人でバーっと作っちゃって、で、例えば単独ライブで漫才が7本必要だったら40~50本くらいはバーっと作っちゃって、全部(梶原に)見せて、梶原が「やりたくない」って言うのを切っていくだけで。だから相談して(作る)っていうのはあんまり・・・
西浦:編集者の立場的なものは・・・梶原さんが、そういう役目を?
西野:いや、あいつは編集者なんてそんな能力はないんで。(笑)あんなんもうね、ホンットごみ人間ですよ!知ってます?梶原ってねえ、不正受給の・・・
(会場 笑)
西野:絵本の場合は、僕は一冊目からずーっと幻冬舎の袖山さんという方(編集者)に見せては、「ここはもうちょっとこうじゃないですか」みたいなことをやりながら。
西浦:信頼関係があってのものっていうことですね。
西野:そうですね、はい。それはありますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(記録⑥へ続く。)