「オオカミが来たぞー」

 

 

そう何度も嘘をついたがゆえに本当にオオカミが来たときに信じてもらえなかった羊飼いの少年。

 

イソップ物語では、村人たちが信じてくれなかったために羊がオオカミに食べられてしまったという結末になっているが、

 

日本では、オオカミに食べられてしまったのは少年自身であったという結末になっているものがいくつも存在するらしい。

 

 

 

【(狼が来たと嘘をついた)平吉は獣の餌食となりました】

 

『ポケット新譯イソップ物語』 1910年


 

*****

 

これまでのいきさつ:

 

我が家にトコジラミがいる。

 

刺されるのはトトリのみ。

 

今まで捕獲できたのは幼虫一匹だが、

 

それを捕まえるまで夫はトコジラミの存在を信じてくれなかった。

 

*****

 

 

 

 

思えば、東日本大震災のあとの原発事故のときーー

 

わたしは、

 

「もうだめだ! みんな被爆するんだ。関東は終わりだ!」

 

そう思い込み、悲観の末に買い置きのお菓子を爆食した。

 

「トトリ、どうした!?」

 

驚く夫に、

 

「だって、もう体重なんて気にしても意味ないし! この世の終わりが来る前に、食べたいものを食べておくの!」

 

そう答えて、呆れられた。

 

「この世は終わらないよ」

 

夫の言うとおり、この世も関東も別に終わらなかった。

 

 

 

 

 

思えば、シエラレオネでエボラ出血熱が流行って、日本にも来るのではないかと恐れられていたころーー

 

夫の香港出張直前に「香港でエボラ出血熱感染者が出た」というニュースを見たわたしは、

 

「もうだめだ! こんなときに香港に行く夫は感染して帰ってくるかもしれない!」

 

そう不安がり、出張から帰った夫を感染者扱いしてしばらく家庭内隔離生活を送った。

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ。ちゃんとアルコール消毒を心がけたし、感染してないよ」

 

 

夫はそう言ったが。

 

念のためだ。

 

 

結局、夫の言うとおり、感染などしていなかった。

 

 

 

 

トコジラミに怯えるわたしの訴えを夫が信じなかったのは、

 

これらに代表されるわたしの数々の過去の行いが影響したのだろうと思う。

 

それはよく自覚している……


 

 

今回は本当なのに信じてもらえなかったあたり、

 

我ながらまるでオオカミ少年みたいだと思った。

 

「オオカミが来るぞー」と自発的に嘘をついたわけではないけれど。

 

「オオカミが来てる気がするよ、来てる気がするよ」とビビって言いすぎて、本当に来てるときに信じてもらえなかった、みたいな。

 

 

 

 

 

今日も刺されている。

 

「どこを?」と夫に聞かれ、「この辺り」と指し示したが、刺され跡が見えないものだから、

 

「心理的なもので痒いだけじゃないの?」

 

と、相変わらず信じてもらえなかった。

 
 

刺され跡が残ってないだけで、刺されてはいるんだってば。



 

「オオカミが来たぞー」

 

 

 

信じてもらえず、

 

【トトリはトコの餌食となりましたとさ】

 

 

 
 
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