「教授の奥さま」と駆け落ちしたA君のその後について、

 

興味を持って下さる方々がいらっしゃったので、続きを書きました。

 

題名は「愛の斑点」。

 

昭和臭漂う題名なのは、舞台が昭和初期だからです。

 

決してわたしの感性が昭和だからではありません。

 

 

*****

 

床虱文学 前回のあらすじ:

 

教授の奥さまと駆け落ちした大学生のA。

 

泊まった安宿で奥さまがひどい床虱(トコジラミ)被害に遭ってしまう。

 

薬を買いに行ったAは、高い薬と安い薬のどちらを買うか迷う。

 

 

効果が薄いかもしれないが安い薬を買えば、あまった金で列車の切符を買い、奥さまを教授の元へ帰すことができる。

 

効き目はあるかもしれないが高い薬を買えば、もう帰りの切符は買えず、後戻りはできなくなる。

 

 

第一話はこちらから↓

 

*****

 

 

第二話

 

 

Aは、高い方の薬瓶に手をかけた。

 

 

ーー今は教授と同じような待遇を奥さまにして差し上げられなくても、いつか必ずできるようになろう。

 

奥さまはきっと、その時まで僕についてきて下さる。

 

 

そう思ったのだが……

 

 

Aは小さくため息をつくと、薬瓶から手を離した。

 

奥さまの手足に広がる無数の赤い斑点を思い出したからだ。

 

 

 

 

いかにも痒そうな床虱の刺し跡。

 

苦痛に歪む奥さまの横顔。

 

 

――ダメだ。

 

やはり奥さまは教授の庇護のもとで生きていった方がいい。

 

安い方の薬を買って、残りの金で帰りの切符を買って差し上げよう。

 

 

そう決めた。

 

なのに、手が動かない。

 

体は硬直し、顔が熱くなってきた。

 

 

 

 

「お客人、どうなさった」

 

 

店主の老人男性が声をかけてきた。

 

 

「いえ、別に……」

 

 

Aがかすれ声で返すと、老人は「これを」と、手ぬぐいを差し出してきた。

 

 

「涙を拭きなされ」

 

 

そう言われて初めて、Aは自身の頬を伝う涙に気づいたのだった。

 

 

「何かご事情がありそうですな。この爺に話してみてはいかがかな」

 

 

老人は店の隅にある椅子にAを座らせると、奥からお茶を淹れて来てくれた。

 

その温かいお茶を一口飲んでから、Aはこれまでのいきさつを語り始めた。

 

 

 

 

「――なるほどなるほど」

 

 

話を聞き終えると、老人は深く頷いて、それからこんなことを言った。

 

 

「そもそも、あなたは大きな勘違いをしておられる」

 

 

「勘違い?」

 

 

困惑するAに老人は笑顔を見せ、次のようなことを告げた。

 

 

 

 

床虱は、なにも不潔で汚い場所に出ると決まっているものではないこと。

 

安宿ゆえに掃除が行き届かず床虱の存在を見逃していたという可能性はあるかもしれないが、

 

だからといって高級宿に泊まっていたなら絶対に出なかったというものでもないこと。

 

つまり、たとえば教授が奥さまを高級旅館に連れて行った場合でも、

 

運悪く前の客が床虱を落としていれば、刺される可能性は十分にあるのだということ――

 

 

 

 

「高級旅館でも出ることがあるのですか……」

 

 

「ああ、もちろんじゃ。

 

ようするに、床虱被害はあくまでも時の運。

 

宿の値段に関わらず、出るときは出る。

 

床虱に関しては君がそこまで教授に引け目を感じ、罪悪感を覚える必要はないということじゃよ」

 

 

老人の言葉に、Aは少し心が軽くなるのを感じた。

 

しかし、そうは言っても問題は何も解決していない。

 

奥さまは本当に痒そうで、見ているのも辛いのだ。

 

 

 

 

「刺すなら、僕を刺してくれれば良かったのに」

 

 

奥さまの身代わりになれるのならば、全身を刺されたって構わないのに。

 

 

Aは湯呑に残ったお茶をぐいっと飲み干したが、

 

 

「まあ、床虱は女性の加齢臭を好みますからな」

 

 

老人の言葉に、飲んだお茶を噴出してしまった。

 

 

 

 

「お……奥さまは僕と同世代です! 加齢臭なんてしません!」

 

 

 

 

失敬な!

 

失敬な!

 

 

 

つづく

 

 

 

このブログを最初から読むには↓