bokulab -5ページ目

bokulab

ボクの実験室

朝早くに準備できたから、せっかくならゆったり過ごそうとして喫茶店の窓から走る人を眺めていました。


いつもなら講義に向けて大人しくまってるんですけどね。


それから本屋に向かって、立ち読みしたり、眺めたり。

立ち読みが大事なんですよ。手に取らずとも表紙を読むんです。

雑誌なんて面白い見出しが躍ってますもんね。

電車のつり広告を見るのもいいですね。


ことばの変化、ものごとの流行、企業の戦略。

身近なものから情報ってすごいんです。実は。


いつも携帯いじってる人は眺めることも大切ですよ。

まだまだ人体は機械に馴染んでないから、しんどくなるし、機械便りじゃ想像力もなんも縮こまってしまう。

いつも同じ電車に乗ってる人も、ずらしてみたり、一駅手前で降りたり、小さなことで発見ありますよ。

あんま決まりきった行動とってると、関係性も情報も少なくなりがちやねんな。


なぜか規律を守りまくることだけが重要とされがちやねんけどな。

「いつも」が毎度どこでも通じるわけがないねんって。


小さいことって図るみたいやけど、大きいもんに化けてくる。

しんどくなる前に、朝は窓開けたり、声を出したりしとくねん。

西向いて、3回おっぱいって言うだけでもいいからさあ。なんか楽しいやん。


まあ、そこに女の人がいたらシバかれるかもしれないけれど、目が覚めるからいいかもな。






ぷちぷちって一般に言われている梱包用品ありますよね。

あれを潰すことによって快感を得ることが出来てストレス軽減って、たまに聞きます。


生後数ヶ月の子に触らしても潰すんですよ。

ぷちいってぎゅっと押さえるんですね。


あと、小さな穴に指を入れたりね。


今日は赤ちゃんの実験から、選択の極論について。


ぬいぐるみ2つを置きます。

1つを嫌いだーって目で見ます。眉間に力を入れて筋肉を硬くする。

もう1つは好きだって目で見ます。目の力を抜く。


んじゃ、何もいってないのに好きだって見つめたほうを取るんです。

赤ちゃん、わかってますよ。

表情で伝えられるんです。伝わってるんです。


赤ちゃんは表情、仕草、泣き声でしかコミュニケーション取れません。

赤ちゃんにことばが通じても、こちらに伝える方法はそれしかないんです。


でも、子供だからって理解してないと思って言葉遣いが酷い親がいてますね。

こどもはわかっています。

それを真似します。学んでしまいます。


おだやかな気持ちから出ていないことばだと、すぐに理解します。

この前、算数が出来ない子を「ボケかお前は!シバくぞ!一年生からやり直せ!」

って罵倒してる親がいました。なんなんやろな。


算数が出来なくてシバかれるなら、あなたは処刑か?

って怖くなったもんな。

自分自身が親に乱暴な言葉で罵られた経験が少ないってことかも知れんけど、それは萎縮するし、それを言われて勉強が楽しくなるとは絶対に思えないねんな。


その子は100×100を200と思ってたみたいやねん。

足し算は出来るけど、記号が理解できてないようやねんな。

で、サッカーをしてるらしい。親が「サッカーやめさせて塾行かすぞボケ」って大声出してたわ。


もう勉強が運動のどっちかをとるしか考えられないねんな。

ほんま極論いってしまう。

どっちも楽しんだ結果、勉強の方が楽しくって時間が惜しいからって優先理由があるならわからんでもないけど、なぜか一方しか取らせないねん。


母親「こいつボケやで?100×100を200言いよる!」

父親「ふ~ん」

子供「わからんねんもん。アホやねんって」

母親「ほんまボケや!あそこの塾行かすぞ!」


って父親は携帯いじって聞いてないわ、こどもは自分でアホとか言ってしまうわ、母親は追い討ちかけるわ、救いようがないもんなあ。


その携帯いじりは娘さんの明日より大切なんか。そうなんか。


なんで生まれてわずかなら理解していないって思うんやろ。胎児の頃からわかってるねんで。名前の候補とか、生まれる前に話していたことを知ってるねん。


教えるときとか、相手が何も理解してないって思い込むんじゃなくて理解していることをわかることって、こうゆうことでもあります。


かといって、前提条件ありきで指導しまくるのもあれやけど。









おっと、更新が止ってる。


漢字検定申し込んできた。準一級。

って準一級より、4級あたりが難しいと思うんだよな。

小学校を卒業するころにはある程度の教養が身につくけれど、中学から漢字学習ってなぜか重要視しない国語教師が増えるんだよ。ほんと『出来ない子』に合わせるようにひらがなにしていったり。


『出来ない』ってのと、手を抜くのは違うんちゃうか?

教える、教えられるって100と0の立場からじゃなくって、一緒に成長するぞ!ええからついて来い!マネでいいからやってみろ!って相手が出来ないことに合わせる必要がないと思う。わからないことさえ、わかってあげれていればね。


たまに「なぜ、できない?」「こんなこともできないのか?」


わからないこと、わからない立場を理解できていない人ほど言います。

ほんま分からない人の中には、自分自身が理解できてない範囲を伝えることも難しいねんって。


わからないから聞きたいけど、その伝え方がわからないからってデスループやねん。

そんな状況で「わからないなら聞きに来い」って乱暴やったりしてしまうねんな。


何がわからない を 見つけるより、 どこまで理解できるか が問題やねん。


わからないって溢れてくるやん。

もう、やればやるほど増えるねんって。


責めないで褒めろとか、極端なことを言いたいわけではなくて、比率が大事と思う。


倫理も道徳も人それぞれに見えるとこあるしなあ。