映画に出てきた料理を、美味しそうだなと作ってみる。
ってのがいつもの流れなのだけど、このときはお盆休み、家に誰もいなくて、そうだ、おいしいものつくって、のんびりアマプラ観よう
ってなって
米粉のお焼きの生地が余っていたので、蒸したかぼちゃとホットケーキミックスを足して、ドーナッツ揚げて、塩ふって、気になっていた「丘の上の本屋さん」を視聴。
本屋のおじいさんは、レモ・ジローネ、味のある思慮深い雰囲気の俳優さん。クラウディオ・ロッシ・マッシミ監督作品。
美しいイタリアの田舎の街。本屋のおじいさん、リベロが、移民の少年にタダで古本を貸し、返しに来ると本の内容について語り合う。
ちょっとジブリっぽい、親以外にこんなオトナがそばにいるといいよね、という存在。
リベロをさりげなく助けるのは、隣のカフェの、お調子者で気立てのいい、ウェーターさん。
彼が差し入れてきたのが、黄色い筒状の揚げ菓子だった。
え?これって、これじゃない?
と手元のドーナツを見たんだが、あとで検索してみるも、イタリア料理にかぼちゃを練り込んだ揚げ菓子は見つからず。
卵がたっぷり入ってるから黄色いんだろうな。
私が住んでいる愛媛県松山市は、司馬遼太郎が軍人の秋山兄弟や俳人の正岡子規の一生を描いた長編小説「坂の上の雲」の舞台である。
松山より、東京や戦争の現場にいる方が、ページ数は圧倒的に多いのだろうが (2巻ぐらいまでしか読んでないので自信はない) 。
関係ないけど「丘の上」から「坂の上」を思い出した。
この時代、鎖国を解いた日本は、世界の列強に肩を並べようともがく。
秋山兄弟の家庭は裕福ではないが、勉学に秀でていたので、学費のかからない、軍人の道に進むべく上京する。
日本は、努力と工夫と精神性で(?)、日露戦争に勝ってしまう。
彼らも、日本という国も、坂の上の雲を見上げて、世界の上に立とうとしていたんだよね。
その視線は時代を経て、80年前の敗戦を経験してもなお変わらず、今防衛費をガンガン増やしている真っ最中、そんな他国との付き合い方しかしていない中で
原爆や終戦の記念日に「戦争はいけないよね」という言葉が上滑りする。
映画を観たのがお盆だったため、映画のタイトルから司馬遼太郎の世界に連想が飛んだのだが中身はまったく逆である。
リベロは、古書を買い取り、必要な人に販売する。本は読んだ人の人生や心によって、違う顔を見せるという。
移民の男の子は本を買うお金は持っていないが、将来医者になりたいという夢を持ち、輝く瞳で、リベロに導かれるように作品の世界に入っていく。
この子役の男の子の目は、ほんとにキラキラなの!
なんて会話も交わされるし
リベロはスマホ電話でお客さんの注文を受けたりしてるんだけど
YouTubeではなく、ねじを回してオルゴールの音色を楽しむ。
紙袋に大切に本を入れ、お客さんの心に届く言葉を添えて、手渡す。
戦時中、自由が奪われた時代の発禁本を集めて、コーナーを作って並べる。
そもそも、彼の名前がリベロ=自由。
男の子に
ちょっと難しいけど君に読んでほしい、だったか、君なら読めるよ、だったかのメッセージとともに、最後に手渡した本のタイトルは
世界人権宣言
そうなんだよ、日露戦争の頃と同じことをしていちゃだめ
私たちは、賢くならなきゃ!
わたしたちひとりひとりに、リベロからのメッセージが送られた気がするよ。
などと思うお盆休み、8月。死にたくはなかった、たくさんの魂に、私たちはどう向き合うのか、どう生きていくのか、そんなことまで思わせた、小さな、ファンタジックな映画でした。