女性の体に生まれたけれど、私の性自認はゲイの男性。

 

手術をする予定もないし、母親以外にカミングアウトもしていないし、理解されるとも思っていない。

 

だから、性自認がどうであれ、私は女性として存在して生きている。

 

そうすると、女性としての性差別も受ける。

 

 

家族の中にいても、親戚の集まりの中でも、女性は働かさせられるのが当たり前。

 

男の子が遊び回って、男性が酒を飲んで喋って、真っ先に料理に手をつけ始める。

 

そんな中、女の子や女性だけは、料理を作ったり運んだり男性のお給仕をしたり、せかせか働く。

 

それが当たり前であるかのように。

 

 

「女の子は働いてくれて助かるわ。まったく、男はダメよ」

 

よく言われる。

 

その度、心がモヤモヤする。

 

私は女の子だから真面目に働いてるんじゃない。

 

私自身の意思で、私自身の考えがあって、家事の手伝いをしている。

 

そして、それは当たり前じゃない。

 

 

両親からも、自然と性差別は受けている。

 

私は両親に向かって、生意気な口は絶対に聞かない。

 

両親に対して「バカ」とか「ふざけんな」とか、相当な理由でもない限り、言ってはいけないのは当たり前のことだと思っている。

 

でも、たまに会話の流れで、乱暴な言葉が飛び出てしまうことがある。

 

悪意はないし、感情を込めた暴言でもないけれど、そんなたった一回のミスで私は怒られる。

 

「口の聞き方に気をつけなさい」って。

 

それなのに、兄や弟が「ふざけんなよ!」「バカなんじゃないの」「うるせえ!」なんて暴言を吐くのは、まったく咎められない。

 

 

私が真面目に働いていても、自分の信念に基づいた行いを心がけていても、「私自身」が評価されるわけじゃない。

 

真面目なのも、品行方正なのも、「女の子」だから。

 

良い行いをする理由は「女の子」だから。

 

女の子がちゃんとしているのは「当たり前」。

 

 

男性に生まれて男性の理不尽を受けるのなら、女性に生まれて女性の理不尽を受けるのなら、まだ素直に受け止められたかもしれない。

 

でも、男性としてのプライドがある中で、女性差別を受けるのは、どうにも飲み込みきれないところがある。