9. 子供を持って思う事/ 異なるものへのプレッシャ | Bokensdorfのブログ

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国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
加えて「世の中の仕組みは実はこうなっている」について書きます

■ 異なるものへのプレッシャ

日本の幼稚園や学校でミックスの子供が特別な目で見られるという話はきりがない。

『先生方が年配で、あまりにも元気なうちの子がいやみたいなんです。
 他にも元気な子がいるのに、
 うちだけが
 「やっぱりお国がちがうから」
  とか
 「こんなに小さいうちから自立心の強い子は後々つまずきますよ」
 とかいやみを毎日いわれる始末。

 私は息子が少し他の子とは違うということを、欠点としてみたことがなく、
 むしろ個性としてほほえましくもあったのですが、
 年いった先生方にわかったように言われると・・・』


人は出会った先生によって人生に影響を受けるものである。
そういうイヤミを言うような場所でもし自分をサポートしてくれる人が廻りにいないと、
きっと辛いだろうなと思う。

このことは子供が生まれてから私もよく考えるようになった。

廻りの親しい日本人のお母さん達は
『大丈夫よ、私達がへんな差別はさせないから』
と言ってくれるけれど、
個性を出す事を抑える国、
異なるものにプレッシャをかける環境でのびのびと息子が生きられるだろうか。


よく、本人と家族がしっかりしてれば、という事を言う人もいるが、
9歳の子供が I feel very sad that people here can not express themselves fully.
と言ったのが忘れられない。

他の国ならどうなのか、と言う人もよくいるが、日本はこの点ではかなりひどい国だ。
周りと違うというだけで世間から「はみ出しもの」の扱いを受ける。

髪の毛の色が違うというだけで就職もできないかも知れない。

家を借りるのさえ断られるかも知れない。
【家内と不動産屋を回った時でさえそういう態度を取られた事がある】



若い世代は変わってくれるだろうと期待しているが、これだって、
よそにもっと良い環境が既にあるなら、
変わるかどうか分からない日本が変わるのを期待して留まるより、
さっさとそういう所へ行ってしまう事も選択肢のひとつであると思う。



息子の保育園の先生は若い先生(二人)で、
一人はオーストラリアにワーキングホリデイに行った事があるそうで英語が上手だった。
それで『息子さんは英語で話しかけた方が良いですか?』などと気を使ってくれて、
良い先生に出会ったと思う。

それでも、息子は上のクラスの子から「英語喋ってみて」などと言われる。
本人は自分が何語で喋っているのかまだ分かっていないのに(まだ2歳になっていなかった)、
それに、アメリカ人じゃないのに「英語の子」などと言われている。

既に日本人としてのアイデンティティが周りから崩されている。


国際結婚家庭の子が回りに何人かいたが(30人くらい)、
日本語しか話さない子がずいぶんいる事に気がついてお母さんに聞くと、
「小さいときは母語を教えようとしたが、ガイジン扱いされるのがいやで子供が受け付けなくなった」
という例がずいぶんあることを知った。

「お母さんはどうして日本人じゃないの、日本人だったら良かったのに」
と言われたという話をあるお母さんから聞いたときは、かける言葉も無かった。


人と違う事がプレッシャとなる日本では当たり前にある話なのだろう。
見かけがまったく日本人ではない子が半分くらいいたが、
その子たちのほうがより苦労が多い事は想像に難くない。


【続く】


 美しい日本の美 2011年 晩秋

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