9. 子供を持って思う事/ ガイジンと外国人 | Bokensdorfのブログ

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国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
加えて「世の中の仕組みは実はこうなっている」について書きます

■ ガイジンと外国人

ガイジンという言葉について、良い悪いの議論がよく聞かれる。

ガイジンという言葉自体に悪い意味は無かったはずだ。
だから私は平気で使って良いもの、と考えていたが、
抵抗感がある人がいることを知って使うのに注意するようになった。

例えば、1996 年頃、東京都で
「外国人が増えたことをどう思うか」
という調査をしたら、半数以上が
「不安に思う」
と答えたという記事があった。

家内はこの記事を読んで

「外国人が増えてどうしてフアンと言うのか」

とかなり怒っていた。

そのとき、
私はこの設問を
「最近、都内ではガイジンを以前より多くみかけるようになったがどう思うか」
と変えたらどうだったか、

と考えた。

「国際化がすすんでいると思う」

かなにかになったのではなかろうか。

すると、ここでは「外国人」が不法労働者をイメージしていることが浮かんでくる。
そうすると
「ガイジン」は悪い用法で「外国人」なら良い、
などというのもおかしな理屈になってくる。

要は、その言葉を使うとときにどういう意識があるかが問題なので、
言葉自体を捕まえて「良い・悪い」を言うべきで無い、と思う。


それにしても、
外国人をみかけるとすぐに「あ、ガイジン」と言うのは思慮の足りない幼稚な行為だ。

子供ならまだしも、日本では大人でもそういう事を言う人がいる。
そうなると、これは言葉の善し悪しではなく、躾の問題である。


そこで話は飛ぶが、
海外に駐在している日本人が現地採用の人をガイジンとは呼ばずに、
西洋なら「アオメ」(Blue eyes)と呼んでいるのを見聞きしたことがある。

これも日本人をAlmondというのと同じかな、
と私は抵抗を感じたのだが(日本人の目はアーモンドの実の形という事だそうだ)、
紅毛碧眼とか金髪碧眼碧眼はまさに青い目のことだから、
青い目と呼ぶことは悪気があるのではないだろうが、
外国でそういう呼び方をして威を示したい気にもなるのかなと思ったりもした。
これも幼稚な行為に思われる。


幼稚な大人が多い、
それがたびたび私達が不愉快な思い、
又はがっかりすることが多い理由だと思う。

日本のお母さんたちにお願いします。
お子さんには

『あ、ガイジン』と思った時は『コンニチハ』と言いなさい」

と躾けて下さい。


【続く】




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