先日の、三者面談は、2時間30分に及びました。
それが、短いのか、長いのか、言いたいことは全部言えたのか、言えなかったのか、わかりません。
ただ、私も担任も、長男の「辞めたい」という気持ちを責めたり、否定したりしませんでした。
特に、担任に対しては、その点に対して一番感謝しています。
そして、長男の話は、月曜日の結果を待つことなく、ここで終わりにします。
その後のことは、また、気が向いたら書こうと思います。
今日は、タイトルの『何故こうなってしまったのか』について書こうと思います。
年明けすぐ、FBフレンドが、希望者に"おみくじ"を引かせてくれると言い、私も引かせてもらいました。
私が引いたおみくじ(カード)は、
LET GO
手放しなさい
“この状況を手放すときが来ました。「いつどのように解決されるのか」ということにも、「そもそもなぜこうなってしまったのか」ということにさえ、もう心を向けるのはやめましょう。・・・・・・以下つづく”
というものでした。
「なぜこうなってしまったのか」。
普段、日々の生活をこなしている時には、ほぼほぼ考えないことです。
でも、例えば、仕事で失敗してしまったり、何か良くないことが起こった時には、「なぜこうなってしまったのか」という思いが心によぎります。
それは、自分を責める言葉であり、また、誰かに責任を転嫁しようとする言葉。
また、こうなってしまった原因となった過去のポイントにしがみつく言葉でもあります。
大抵は、その時々に自分なりに解決して、またそこからの再出発をするのですが、もしかしたら、「なぜこうなってしまったのか」という思いを十分に消化できず、無理やり閉じ込めたまま、解決したように見せかけているだけなのかもしれません。
私は、年明け早々に、自分の中に消化不良のまま閉じ込めている「なぜこうなってしまったのか」を探しはじめました。
自分を過去にしがみつかせて、一歩踏み出すことを阻止しているもの。
そんな時、長男の話が浮上しました。
当然、「なぜこうなってしまったのか」という思いでいっぱいになりました。
自分を責めました。
と、同時にそれは、長男を否定することでもあることに気づきました。
自分のせいでこうなってしまった...。ということは、今目の前で起きている長男に関する出来事は「良くないこと」であり、「駄目なこと」と、決めつけている...。
でも、本当の問題は、そこではないのです。
「ここで、長男が学校を辞めてしまったら、長男の将来はどうなるんだろう?」
「では、長男が学校を辞めずに続けることが、正解なのだろうか?」
という、未知なる不安を抱え込むこと。
その、どうしようもない不安に対して「なぜこうなってしまったのか」とい
う言葉に逃げていることが問題なのです。
年明け早々、「なぜこうなってしまったのか」という思いについて考え続けていたおかげで、私は、目の前で起こっている長男の問題に対して、「良い」「悪い」のジャッジをすることなく、「事実」と「長男の気持ち」だけに目を向けて立ち向かうことができたのではないかと思っています。
もちろん「なぜこうなってしまったのか」という思いに全く囚われなかったかというと、そんなことはありません。
ただ、「なぜこうなってしまったのか」と考える自分を受け入れ、認めることだけを考えました。
親だから、当たり前なのです。
つくづく、育児というのは、自分自身と向き合うことだと再認識しました。
今年は、ここから、新しい一歩を踏み出そうと思います。
自分の中にある「なぜこうなってしまったのか」...、自分を責める思い、誰かに何かに責任転嫁している思いを消化して、一段上へ上がりたいと思います。