中年女性のバランスに学ぶ
朝はあんなに晴れていたのにもの凄い雷雨だ。
昼過ぎに一天にわかにかき曇り、とたんに大粒の雨が降り始めた。
雷まで鳴っている。
雨に濡れた駅のコンコースはかなり危険だ。
濡れた大理石の上では革靴はまったくと言ってよいほど役に立たない。
しっかりと足の指で大地を掴んで踏ん張ることができないのだ。
普段からそんな歩き方などしていないのに、雨に濡れた大理石を革靴で歩くような危険を冒すときだけそのような歩き方を要求されても、できる訳もない。
今の世の中で踏ん張る場面と言えば、和式便器か土俵際か、雨に濡れた大理石を革靴で歩くときぐらいしかない。
和式便器は最近では探す方が難しいし、一般人では土俵際で踏ん張る場面を作るのも難しい。
結果として今日のように濡れた大理石を革靴で歩くことが数少ない踏ん張りどころになる。
更にこんな日に限って封筒を抱えていたりする。
片手に傘を持ち、もう一方の手では封筒を抱えて濡れた大理石をソロリソロリとバランスをとりながら歩いている。
かなり不格好だ。
バランスをとっているのに見た目のバランスが悪いとはおかしな話しである。
姿勢も恰好もよくバランスをとる方法があるならば、ぜひ教えてもらいたい。
そうこう考えていると、かたわらを無人の自転車がサァーっと滑っていった。
これだけ滑るのはスキーか、受験か、ワタシの口かといったくらいの滑りっぷりだ。
タイヤが空転しているので、最近はやりの乗り方なのか、はたまた新しい遊びなのかと思ったら、自転車の後ろに女子高生が倒れていた。
傘をさして自転車に乗っていたら、濡れた大理石で自転車のタイヤが滑ったらしい。
濡れた大理石は、革靴だけではなく自転車のゴムタイヤでも踏ん張れないのだ。
なんとか起きあがってスカートの泥をはらっているが、膝には少し血が滲んでいる。
すると近くをスタスタ歩いていた中年女性がすぐさま「大丈夫?」と声をかけた。
「大丈夫?」と聞かれ、ダメだと答える人も珍しいが、女子高生も多分に漏れず、「大丈夫です」と答えている。
(ちなみにワタシは上司に「大丈夫?」と聞かれると、必ず「かなりダメです」と答えるようにしている珍しいタイプだ)
どう見ても大丈夫ではないが、恥ずかしさもあるのだろう。
そうこうしているうちに通りがかりのこれまた別の中年女性が倒れた自転車を立てて女子高生のところまで押してきた。
女子高生は恐縮しながら自転車を受け取っている。
中年女性はこういうときに直ぐに手を出せるところがすばらしい。
ワタシは、と言うと傍らでつっ立っていた。
女子高生に手を貸すべきだったが、日ごろから身体と栄養のバランスをとるのに精一杯なのだ。
今日は更に両手両足が塞がっており、文字どおり手も足もでなかった。
ワタシとて、こういうときにさっと手を差し伸べられるダンディなオトコに憧れている。
ただ、両手さえ塞がっていなければ、とがっかりしたが、やはりこういうときに役に立つのは中年女性である。
さっと手を出して、自然体でフォローし、さっと去っていく。
このような中年女性のおおらかさ、図太さ、更には腰の太さと男らしさは、賞賛に値する。
濡れた大理石の上だろうが、混雑したレストランだろうが、バーゲンセールの殺気立った売り場だろうが、どっしり構えて、しっかり安定し、がっつり戦えるのは中年女性だけである。
そういう意味でのバランスの取り方は、中年女性が一番だろう。
太っ腹な性格は太っ腹な体型にしか宿らないのだ。
ここ最近では、ワタシもだんだんと太っ腹な体型になっているので、バランスのいいダンディなオジサマになるかといえばそれは難しい。
中年女性とは精神力が決定的に違う。
本来、中年女性には、悩むような事柄が多いはずだ。
若い頃から比べると容姿も衰え、将来にも期待できず、家族にも期待できない上にダイエットも効果がない。
しかし、中年女性はこのような試練に対しても、悩むのではなく笑い飛ばすだけの余裕がある。
中年女性の余裕などは、ワタシにはとても持つことができない。
一緒にいる中年女性に余裕があればあるほど、ワタシはとても不安な気持ちになっていく。
同僚のワイフといるワタシをみてもらえば一目瞭然だ。
安定感のある同僚のワイフと比べて、落ち着きのなくそわそわしているワタシを目にするだろう。
どっしりとバランスがよい同僚のワイフの横にワタシがいる映像は、ヤクザの事務所に気の弱いラーメン屋が出前を運んできたような感じになる。
とてもバランスがよいとはいえない。
やはり中年女性は、生き方でも歩き方でも落ち着きがありバランスがとれていると言える。
スタイルも重心が低くて安定しており、座りがいい。
話にオチがないところを除けば、バランスのよさと落ち着きは、中年女性が最高だと言えよう。
自転車を押して怪我をしたであろう足をかばいながら歩く女子高生を見ながら、どうしてこのような可憐な女子高生が中年女性のような地上最強の生物に変身するのか不思議に思ったが、考えてみると不思議でもない。
中年女性はオトコとの戦いに勝ち、子育てに成功し、ダイエットに失敗し、食べ過ぎ、呑みすぎ、太りすぎ、あらゆる困難に向き合い、そしてその修羅場をくぐり抜けてきたのだ。
ワタシにはとても太刀打ちできない。
願わくばこの中年女性のバランスの取り方について、濡れた大理石の上を歩く方法くらいはきちんと学んでおきたい、と強く思いながら傘とビショビショの紙袋を手に、ヨタヨタとバランスを取りながら帰宅した。