後日談ですが、実際にカンボジアに来て驚いたのは空手やテコンドーが浸透していて、全然自分なんかより強い人や経験があるカンボジア人がいたことに驚きました。
その後カンボジアから帰国した2ヶ月後に就職をして、なんだかんだで仕事をこなして、でもどっかで自分のやりたい事はこういう事じゃないっていう思いもありながら日々を重ねていたんですけど、自分のぼんやりした夢があってもそれまでの道順が分からないって訳で会社員として働いてました。
就職した会社の仕事は医療機器の営業でした。毎日お医者さんのもとを訪問しながら営業して、手術に立ち会って先生に術式を提案するところまでありました。前日に「明日○○の手術があるんだけど、レントゲン一緒に見てもらえないですか?」みたいに先生から電話が掛かってきて、病院の外来室でレントゲン見ながら「患者さんの年齢を考えると」みたいに話したりして、その為にも家に帰ってからも医学書を読んだりして、やりがいは凄いあって本当に充実していました。
その間にもカンボジアで空手を教えたいっていう思いから、そのカンボジアの選手達を集めて『カンボジアン トップチーム』を名乗って『カンボジアからの黒船襲来』とか銘打って日本のリングに送り込もうとか。
PRIDEやK-1のリングで活躍した、元クロアチア特殊部隊のミルコクロコップのように、元カンボジアの革命戦士や少年兵に格闘技を教えて日本の格闘技界を盛り上げようとかワクワクしちゃいだしまして。『カンボジアの激戦を生き抜いた革命戦士が今夜再び戦場に舞い戻る』とかあったら、自分ならそんな試合を観てみたいなと思いまして。(付いて来れなかったらゴメンなさい。)

元クロアチアの特殊部隊ミルコ・クロコップ
それが盛り上がって、タイの子供たちが『お金持ちになりたいなら勉強をするかムエタイの選手を目指して練習をしろ』みたいな感じで格闘技によってカンボジアにカンボジア・ドリームの文化を作ることが出来たら素敵だなって思った頃にはもう妄想だけが暴走していまして。
でもそこまで考えているくせに、どういう風に行動に移せばいいかも分からないし、きっかけもなく日常に埋もれて生活していました。
そんなある時にフルコミッションの営業の転職のお話を頂きました。そこでトップクラスの成績の方のライフスタイルを聞いたりしていると、1年の内の4分の1は海外にいるとか年収も何千万単位とか海外にしょっちゅう行っているとかで、「こういう人達を目指せば自分の夢は叶うんじゃないかな」って思いまして、1年の4分の1をカンボジアで格闘技してる営業マンってかっこいいなーとか思っていて、もうそうなったら止められない性格だから、ノリノリになっていて。
で、まず考えたのがそこに転職して、転職をするまでに1ヶ月くらいの有休消化で海外に語学留学したいなって。
だってカンボジアで格闘技するにしても英語が完璧じゃなきゃダメかなと思って。それで仕事をしながらお金を貯めて、英語も喋れます、語学留学してました、夢のために頑張ってますみたいな未来像を描いていました。
こういう話をすると、大抵の人は「夢っていいですねー」とか「面白い夢ですね」みたいな話でたまに「変わってますね」って笑われたり、
でも僕の周りには「おっ、面白そうじゃん」で止まらずに、「だったら誰も日本でやってない格闘技をやる方がいいでしょ」とか「そんなの直接外国に行って、『わざわざ日本から来ました。弟子入りさせて下さい、日本法人作らせて下さい』でいいでしょ」って夢の背中を押しまくってくれる人たちが集まってたんですよね。
ある日そんな話になったら、六本木の和民でそんな話でいい大人が一時間くらいキャッキャ大盛り上がり。
最初はアラブ首長国連邦の王子が主催しているアブダビコンバッドって格闘技の大会を日本に持ち込もうって話になって、「大崎くん行っちゃえ、行っちゃえ」とか「アラブの王様とターバンで写真撮って、アラブの王様お墨付きとか言って、日本に道場開こうよ」とか言われて、

こんな感じで。笑
僕もまたその気になってしまって。
でも冷静に考えたら、アブダビコンバッドでいうのは寝技だけの打撃のない大会(格闘技に興味のない方、本当に申し訳ない)で、自分がやってた空手とかキックボクシングが活かせないなって少し意気消沈したのを覚えています、、、
で「カンボジア 格闘技」って検索したら面白い格闘技があって、ムエタイみたいなBOKATORっていう格闘技が出てきて、you tubeで見たり、歴史とか調べている内に、
2000年前にライオンを蹴り技で殺した格闘技で、
そこのトップのマスターは『タイのムエタイがいま流行っているが、俺たちの方が古いし、技も断然Bokatorの方が多い!!』みたいに息巻いてるし、
もともとは戦場の兵士が使ってた格闘技でルールはあまりない実戦的だとか、
東南アジア最大を誇ったクメール王国の兵士はみんな槍しか持たず、ほとんど素手だったにも関わらず、戦争ではBokatorをしていたから接近戦になれば相当強かったとか、
東南アジアの伝統舞踊をBGMに打楽器が鳴り響く中で試合をするとか、
知れば知る程に魅せられて、

古代から蘇った戦闘術BOKATOR
今度は勝手にその気になって、これを習いたいってもう気持ちだけが走ってしまいました。
同時にそういう見方を一度してしまうと、大きなパラダイムシフトが起きて、
『あっ俺将来の夢の為とか言いながら世間体とか気にして、まずは海外に語学留学とか言ってたな』って。
『自分で遠回りの道、遠回りの道を選んでいたな』って気付かされて反省しました。
そして気付けば海外のサイトとか調べまくって、BOKATORのトップのマスターKIM氏に直談判でこれを習いたい、日本で広めたい、ってかなりの長文メールを送信しました。
結果、
すぐ返信で、エラーメール。
生徒募集、とか書きながらアドレスが間違っているとか日本じゃありえないですよね。
ここもまた東南アジアの適当なところで。
仕方がないんでカンボジアで活動してるNPOとか、カンボジア大使館とか旅行会社に連絡しまくって、聞きまくるも教えてくれるのは、みんな同じ間違っている古いアドレスで意気消沈。
ところが、そんな時にマスターの名刺を持っていた人を発見。そして同じく長文メールを送って待つも、今度は全然返ってこず、、、
これは急にかなりの長文でガッツきすぎたから引かれたかな、とか。
世界のエコノミックアニマルJAPANが俺らの文化を奪いにきたと思われてるのか、とか。
もののけ姫の自然VS人間みたいに構えられてるのか、とか。
勘ぐりながらも1日に何度もメールチェックを繰り返す日々が続きました。
そして二週間後、
メールが返ってきました。
マスターのKIM氏から返ってきたメールには「めちゃくちゃ嬉しいよ、是非来てくれ」「お前の写真を送ってくれ」とか「お前の事をもっと聞かせてくれよ」みたいな話になって、僕も初めて好きな女の子からメール返ってきた中学生みたいになって、

真ん中が生きる伝説Bokatorのトップに立つGrand Master KIM氏
ドキドキで、心の中で激しくイイネを押しながら、メールをやり取りする内に、
またまたその気になって。
マスター、1ヶ月習いに行きます!
ってなりまして、そこから帰って仕事頑張ってお金を貯めてみたいに、また色々考え始めました。
ところが
それを和民で背中を押してもらった人たちに報告すると、「帰ってきてからする仕事は、それ本当にしたい仕事なの?」って。
それでまたまた『ハッ』とさせられて、
『あー、また自分で自分の限界を作ってたな』って反省して、カンボジアに渡ることを決断しました。
これが僕が今回カンボジアに格闘技留学をしようと思った経緯です。
<<世の中には夢の邪魔をするモノが溢れている>>
僕が21歳で抱いた自分の好きな国カンボジアで自分の好きな格闘技をするっていうこともそれだけを抽出して考えると非常に簡単なことです。
なのに僕は『時間がない』、『お金がない』など夢を追えなかった理由を探すことに集中して複雑に考えていました。周りの人間も今のままでいることを安心させるような言葉を用意してくれます。
「もう少し貯金してから考えたら?」、「せっかく就職したのに」、、、もちろん本当に自分のことを心配して親身になってアドバイスをくれる方もいますが、これらは人間が生命を維持させるための恒常性維持機能というものによる人間の本能に近いものらしいです。そもそも動物が生きていく上で、毎日自分や環境が変化していてはリスクが高すぎます。ですので人間も自分や周り(周りとはつまり自分の環境)が変わろうとすると必死に止めようとする機能が備わっているのです。ちなみに人間を始め、生物はこの安全・安定を求める働きの力が最も強いらしいです。
多くの人が今の現状に不満や愚痴を言いながらも、昨日と同じ道を歩いて、同じ会社に向かい、同じ人たちと過ごす。これも恒常性機能が大きく関わっていて、昨日まで安全だと経験しているので、安定・安全な状態を保とうと脳は無意識に働きかけているのです。
昨日までの会社に行けば今日給料が急になくなっているなんてことはないですし、昨日まで一緒にご飯を食べていた同僚が今日急に殴り掛かってくるなんてこともないですから。
僕も周りのもっともな話に耳を傾けたり、自分で言い訳をきれいに組み立てたりして、何度も自分の夢の入り口にフタを閉めました。
ただ僕の周りには前述の和民の人達を筆頭に多くの方が背中を押してくれて夢の入り口に一歩を踏み出せることが出来ました。そんな人たちの支えがなければ、この決断は出来なかったと思います。
自分のこの経験から夢を育てるにも環境が必要だと感じました。
そして自分は本当に恵まれた環境にいました。
ただ恵まれた環境だったとはいえ、
悔しい思いもたくさんしました。
「今の大崎さんには無理ですよ。ただ私ならそのための人脈やスキルなど協力してそのステージまで連れて行けますけど、どうします?」とコンサルティングの人に契約を勧められたこともありました。
言い返せる実績と自信がなかったことが一番悔しかった。
多くの人に不可能だと言われました。
多くの人に「夢だね」と鼻であしらわれました。
まだまだ始まったばかりの自分の挑戦ですが、せっかくこのような機会を頂いたので、このコラムが当時の自分と同じように夢にフタをしようとしている人たちにとって、少しでも勇気を感じてもらえれるような環境の一つになることが出来れば嬉しく思います。
最後まで読んでもらってありがとうございました。