組織のトップになったとき、組織が目的を達成し続けられるために注意すべきことは多々あり、それこそ正解はありません。

 

しかし正解がないからといって何でもOKということでは当然ありません。

 

だからどんなパーソナリティを持った人がトップを担ってもやはり留意すべきことには一定以上の共通項があります。

 

 

 

僕自身もJARTAというトレーナー団体を主催しているので、普段からこういったことを考えざるを得ない立場にありつつ、コーチやトレーナーとして「組織の一員」としてトップ(監督)の指示を受ける立場。

 

組織のトップと一員を同時に経験しているのです。

そういったやや特殊な立ち位置から学ぶことは本当に多いです。

 

 

うまくいったこと、失敗したこと、理不尽だったこと、誤解を生んで苦労したことなど、たくさんあります。

その経験をどの立場でするのかによって見える景色は変わると思いますが、僕の場合は見えた景色を複数の立ち位置から考察することができる状況にあるので、様々な経験から得られるものを増幅していける環境だと感じています。

 

 

 

今回はその共通項の一つと僕が考える、「意見を貫く」部分について。

*組織全体のトップだけでなく、各部門のトップを担う立場にも当てはまると思います。

 

自分の意見を貫くことは、非常に重要なことです。

トップともなれば、その重要度そしてそうすることができる能力というものの重要度はさらに上がります。

トップが意見をころころ変えていては当然組織はうまくいきません。

 

 

 

しかし単に意見を貫く、という点に執着してしまうことは、同時に重大な問題も生み出します。

 

 

 

その鍵を握るのは、「意見の違う側近」「イエスマン」の存在です。

 

 

 

結果としてトップが自分の意見を選択したとして、そのプロセスが「意見を貫く価値」を決めます。

 

 

意見の違う側近。

もう少し正確に表現すると「トップとは違う意見を提案できる」「トップの意見に異を唱えることができる」という意味です。

 

 

 

そういった”違う意見”を十分に聞くことができ、それらをしっかり分析・シミュレートした上で、結果として自分の意見を選択するトップ。

つまり反論に対して議論することができる、その結果相手を納得させ、自分の意見を貫けるトップ。

 

 

 

「自分と違う意見があれば言ってくれ」という言葉はトップがよく発しますが、それだけでなく、違う意見を言われたときのリアクションも含めて周囲が意見を言いやすい在り方が重要どころか、積極的にその意見を要求するぐらいでちょうどいいのかもしれません。

 

 

 

***

 

 

 

「イエスマン」について。

結果としてトップの意見を選択することになったとき、周囲がイエスマンになっていないかに最大限注意すべきです。

どこかの首相のように「我々の意見は完全に一致している」なんてことは、プロフェッショナルの集団では基本的にはあり得ません。

普段から自分の担当分野について四六時中考え続け、あらゆる想定をしていれば、簡単に「異議なし」とはならないはずです。

大きなベクトルでは一致、しかし大小関わらず必ず議論すべき点が存在するはずです。

 

 

 

そういった議論が起こらない集団になってしまうと、かなり危険です。

トップの意見が十分議論されないまま、つまり検証されないまま、組織の結論になってしまいかねません。

そしてイエスマンは実は本当のイエスマンではなく、陰で不平不満を言いまくっている、なんて構図はどこの組織でも経験することです。

 

 

 

それでも結果がうまく出ている間は問題にならないし、むしろトップの発言力は増大するでしょう。

しかし思わしい結果が出ないことが続くと、イエスマンの集団そのものが組織を崩す要因となるのは明白です。

 

 

 

知らぬ間に自分の周りがイエスマンばかりになっていないかどうかを自分自身気をつけることはもちろん、自分が組織の一員という立場になったときは自分自身がイエスマンになっていないかにもやはり注意が必要です。

 

 

 

 

 

海外では「ディスカッションが当たり前」の前提をスタッフも選手も持っていることが多く、この点についてはプロを含めて日本の多くのチームでかなり不十分だと感じます。

トップに意見言えない人が多いし、自分と違う主張をうまく受け入れられるトップが少ない。

 

 

 

 

*議論が当たり前だから、やりとりは予定よりだいぶ長くなる笑

 

 

 

背景を少し考察すると、日本では学校レベル、家庭レベルから議論をするスキルの教育はあまりなされていません。

反論されたときに感情的になるのはその典型です。

一つの主張には反論があって当たり前、という議論の当たり前の前提が欠如しているからです。

 

 

 

そういった議論スキルの重要さも、日本で生活している分にはあまり感じないかもしれません。

その結果、その場での権力保持者に反する意見を言えない(議論できない)、議論が感情的になる、議論しようとする人に対して冷笑系の反応をする、といった行動が選択されることになるのかもしれません。

 

 

 

海外がこうだから日本もこうすべきだ、という論調ではなく、議論できる方がいいのか、できなくていいのか、という視点から考えると答えは一つです。

議論できることは、何か目的を達成するためにも不可欠のはずです。

 

 

 

これらはあくまで僕の個人的な考察ですが、いずれにせよ議論のスキルが低いことは組織に様々な問題を内包させてしまいます。

 

 

 

「全員、異議なし」の光景からは、もしかしたら結構大きな問題が見えてくるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

イエスマンはもしかしたら初めからイエスマンじゃなかったかもしれません。

一度意見を主張したときに、ちゃんと聞いてもらえなかった、頭ごなしに否定された、感情的に怒られた、その後の扱いが悪くなった、それを自他で経験し、イエスマンは生まれます。

 

 

 

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トレーナーに反論しまくってもらって大丈夫です笑

 

 

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