馬を鹿だと言う人がいる。
見間違えでいう人もいるかもしれないが、意図的に馬を鹿だと言い切る人もいる。
馬を鹿だと言った方が自分に都合が良かったりするから。
利益を得たり、罰を逃れたり。
でも馬を鹿だと言い切らせてるのは実は周りの人々。
馬を鹿だと言っておかせた方が都合がいい人。
馬を鹿と言おうが自分には関係ないと思ってる多くの人々。
ムカンシンナヒトタチ。
馬を鹿だと言い切ることが直接的には関係なくても、僕らはその構図に目を向けるべきだ。
論理的に破綻しているにも関わらず、話が通せる。
明らかにスジが通ってないのに、明らかに不正があるのに当事者が問題ないと言い切れるルール。
この構図がまかり通ることを繰り返していくと、いずれ自分に直結する事態になって後悔してももう遅い。
水道が民営化されて料金が急激に上がってくるとかね。
(知らない?)
馬と鹿は生物学的に明確に異なる。
馬を鹿だと言い切れるのは、論理性でなく「おれが鹿だと言ったら鹿なんだよ」という傲慢性。
周囲の多くが、はいそうです鹿ですという。
すると馬はなんの論理性もなく鹿だということが閣議決定されていく。
そして馬は鹿だというルールが強行採決される。
馬だという公文書が、実は鹿ですと改ざんされてたりしても。
そしてそれがバレても、シラを切れるようになってたりする。
論理性がない証明、馬は馬であるという証明がされても、「別にどっちでもいい」「そんな議論知らない」、そんな人が多いというそれだけで、馬は鹿にされてしまう。
もう、馬は鹿だ。
何度も言うけどホントに馬を鹿にするのは、馬を鹿だいう話に乗っかる人とそれに無関心な人々。
必死で鹿だよ!と反論する人を冷めた目で見る人々。
歴史的にも、馬を鹿に変えてしまえる人にとって、多数者の沈黙と無関心は、「容認」とされてきた。
馬を鹿に言い換えるパターンはそんなに昔でもない島国の帝国でも常用されてきた。
侵略→救済
全滅→玉砕
撤退→転戦
敗戦→終戦
改ざん→書き換え
墜落→落着
空母→多用途運用護衛艦
経済的徴兵→〇〇支援制度、かな。
日本語バカにしすぎでしょ。
国民の言語力バカにしすぎでしょ。
たしかに島国帝国はそれで操れたかも。
でも今はインターネットというメソッドで自分で情報集められる。
馬が鹿でないことは、関心さえあれば自分で確認とれる。
今は。。
スポーツが好きなのは分かるし、僕もスポーツにはものすごく力や可能性を感じてる。
それでこのブログ読んでくださってる。
でも、、
それって社会が経済的にも信用的にも安定しているという前提があるから言えるということを僕らは忘れるべきでない。
ほんとはスポーツのことだけを書きたい。
スポーツの素晴らしさだけ爽やかに書きたいし、スポーツ界の問題や解決策についてだけ論じたい。
でも、今行われてる政治の現状については関心持たないと必ず後悔する。
馬は鹿じゃないし、鹿は馬じゃない。
中野 崇