こんにちは。

スポーツトレーナー協会JARTA代表の中野崇です。

 

 

 

子育てをしていると、よくトラブルが起こります。

兄弟喧嘩とか、遊んでいて物が壊れたりとか。

 

 

 

そんな時、我が家では必ず子どもたちに伝えていることがあります。

 

 

 

「誰が悪いかを決めるのは意味がないよ」

「それよりも再発防止システムを作ろう」

 

 

 

物を壊したとか、何か悪いことが起こると、自分が怒られたくない、または相手を怒ってほしいが故に、たいていの場合「誰が悪いか」を決めることに優先順位が置かれがち。

多くのケースで、周りの大人もそうなりがち。

 

 

 

小学校の「終わりの会」での先生による「誰がやったのか名乗り出るまで終わりません宣言」も同じ。

 

 

 

終わりの会なのに、まさかの終わりません宣言。

 

 

 

犯人探し(自首)にばかり時間をかけて、再発防止をみんなで考えることにはあまり時間が割かれない。

 

 

 

故意にやったわけではないことに対して誰が悪いのかを決めてどれだけのメリットがある?

(起こしてしまった損害に対して当事者が謝罪することが重要なのは当然として)

 

 

 

それよりも、子どもたちの喧嘩や物損ぐらいのレベルであれば、犯人探しに重点を置くよりも、「何故その問題が起こったのか」に重点を置くべきだと教えています。

 

 

 

そういう視点でトラブルを考察すれば、もしかしたら社会の構造まで原因が及ぶ場合だってあります。

ボール遊びできる公園がないとか。

 

 

 

子どもが起こしたトラブルを、大人はもっと自分ごととして考察すべきではなかろうか。

 

 

 

 

そして、起こったトラブルから、子どもに「何を得させるのか」をもっと考えるべきではなかろうか。

 

 

例えば、ボール遊びをしていて、家の外壁を破壊してしまった場合。

誰がボールを投げて壊したか、誰が悪いかを決める、誰が怒られるべきか、よりも、

 

 

 

・何故家具が壊れてしまったのか

・次からそうならないようになるための対策

 

 

 

この2点に重点を置いて考えさせた方が本人たちは得るものが多い。

もちろん壊してしまったことそのものに対する反省と謝罪はさせつつ。

 

 

 

悪意のある犯罪以外は、この点を重視した方が、社会と本人にとって明らかに有益。

 

 

 

逆に単に誰が悪いのかを決定し、その本人を徹底的に叱ったとしても、「何故そうなったのか」を考えさせて本人がそれを理解しない限り、次からは「怒られないようにしよう」となる。

 

 

 

これでは同じ問題を繰り返さない思考・システムは構築されない。

 

 

 

 

もちろん、今大きな問題になっている改ざん問題のように悪意がある場合かつ社会的に甚大な不利益を生じている場合(つまり犯罪)は「誰が何故それを起こしたのか」を追求することは非常に重要ですが。

いずれにせよこの問題だって、何故こういうことが起こせたのか、という部分には必ず社会の構造が絡んでいます。

 

 

 

それにしても、疑惑をかけられている側が「問題ない」「調査する」ってのが通用するルールには違和感。。

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

 

追伸

起こったことを分析し、その原因を明確にし、それが再発しないようにする手段・システムを構築するという流れは、怪我を防ぐためにも欠かすことのできないプロセスです。

同じような部位に怪我を再発するのは、その部位に集まる負荷の原因(つまり動き)を改善・取り除けていないと言えます。

 

いくら強化してもまた再発、というスパイラルに入ってしまっている選手は一度相談してみてください。このスパイラルは年単位でも起こります。

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