こんにちは。
スポーツトレーナー協会JARTA代表の中野崇です。
現在、トレーナーとしての仕事は主にトレーニングを指導することですが、トレーニングって、そもそも何のためにやるのでしょうか。
競技の練習であれば、競技が上手くなるため、試合で勝つためですね。
トレーニングは?
答えは簡単、競技が上手くなるため、試合で勝つためです。
もちろん、ひとことでトレーニングと言っても、種類は多岐に渡ります。
本当に沢山あります。
沢山あるし、現在進行形で沢山作られています。
選択肢がとても多い。
指導側にとっても、選手にとっても。
だから、本来の目的を見失いがちです。
筋肉を大きくする。
スピードを上げる。
柔軟性を上げる。
重いものを持ち上げられるようにする。
バランス。
体幹。
どれもトレーニングの目的に化けてしまいやすい。
けれどこれらは、決して目的ではなく、手段のはず。
何のための手段か。
競技が上達する。
試合に勝つため。
つまり、これらに結びつかなければ、トレーニングは存在意義をなくします。
これ、競技の練習だったら当たり前の話ですよね?
上達や勝利に結びつかない練習なんて誰もやりません。
だから競技の練習はとても綿密にこれらに結びつくように考え抜かれます。
けれどトレーニングは、こういった競技練習とは少し遠い位置にいます。
遠い位置というのは、つながりがイメージしにくいという意味です。
だから、教える側も、行う側も、そして作る側も、どこかで曖昧になりやすい。
競技の上達との繋がりや、勝利との繋がりにおける曖昧さ。
その曖昧さを許容してしまいやすい。
例えばインナーマッスルを鍛える、使える状態にするのはもはや誰でも当たり前に重要と言うけれど、「なぜインナーマッスルを鍛える必要があるのか」を本当に理解しているか。
その理由として「関節の動的安定性のためにインナーマッスルは重要だ」「怪我を予防するためだ」と専門家は言うけれど、ではなぜ動的安定性が重要なのか、パフォーマンスにどう繋がるのか、何故怪我が減るのかを十分に答えられる専門家はまだまだ少ない。
トレーニングでのその動き方・鍛え方は、なぜその選手その競技で必要なのか。
「正しい身体の使い方」は、誰にとって正しいのか。
「正しい」の定義は?
正しい、は立場や状況によっていくらでも変わる。
そこにほんの少しでも曖昧さを残したままで、限られた現役生活における時間の中で、本当に選手に時間と労力を使わせて大丈夫なのか。
トレーナーはもちろん、指導という仕事は、「自分が成果を出すのではなく、他者である選手に成果を出してもらえるようにする」仕事。
だから、指導という仕事は、他者に時間と労力を使ってもらわなければ仕事の成果を出せない仕事です。
だからこそ。
今の自分にできる限界まで、曖昧さをなくすべきではなかろうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
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全てはパフォーマンスアップのために。
中野 崇
追伸1
競技の練習だけでは上達の効率が良くないから、トレーニングを導入した方が上達の効率が上がるから、、そして伸びしろが伸ばせるからトレーニングがあるはず。
フィジカルトレーニングと技術練習は別物ではありません。
追伸2
大阪でもサッカー上半身トレーニングの募集がスタートしました。
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