こんにちは。
スポーツトレーナー協会JARTA代表の中野崇です。
「人は見たいものを見る」
この言葉を耳にしたことがある方は多いかもしれません。
この言葉、どんな解釈をしていますか?
「見たいもの」とはなんでしょうか。
自分と同じ意見や主張。
これは多い方が嬉しい人もいるでしょうし、少ない方が嬉しい人もいるでしょう。
自分と違う意見。
もしかしたら人が「見たいもの」はこちらなのかもしれない。
自分と違う意見が多い方が都合が良い場合、それが「見たいもの」になり得るのでは。
例えば、「筋トレはやるべきなのか、避けるべきなのか」という議論。
先日ある記事を見ていて、このことについて考えさせられることがありました。
「多くのサッカー選手はウェートなど筋トレを避けるけど、必要だ」
この文言が目に入ってきました。
筋トレはやった方がいい、と主張するための言葉です。
一方で、全く逆の主張も見かけます。
「多くのサッカー選手は筋トレで身体を固めてしまっているから、インナーマッスル優位の身体を作るべきだ」
どちらの主張が良いとか良くないとかいう話ではなく、自分の主張ありきで物事を観察するのって注意しないといけないなと感じたのです。
自分の提案を世間に受け入れてもらおうと意図している場合、「そこに問題があって自分の主張がそれに対する解決策である」という構図が必要だったりします。
つまり自分の主張が解決策であることを前提と位置づけると、多数派のやっていることが「問題のあること」でなければならない。
だから問題のあることが多数派でなければならない。
(逆に自分の主張が多数派であるように見せるという手法もある)
これは筋トレなどトレーニングの議論だけでなく、あらゆる議論に起こる現象ではあるまいか。
結論ありきでの現象の観察と認識。
人間の脳は、本人の意図や想い次第で見え方つまり認識が変わってしまいます。
車椅子に乗っている方に関心がある時には、「車椅子の方ってこんなにたくさんいるんだ」って感じたりもします。
急に車椅子の方が増えたわけではないのに、です。
関心があることは認識の対象になりやすい。
「現状に問題がある。本来もっとこうあるべきだ」っていう主張がある場合は、その問題が多いように認識してしまいやすい可能性が生まれる。
人間の認識ってかなりいろんな影響を受けやすい。。
これってほんとに慎重にならないといけません。
新聞やネット、テレビなどの媒体を通じて、僕らは日常的にいろんな意見や主義主張を目にします。
その時使われる、「多い・少ない」はどれぐらいの数を対象にし、それに対してどれぐらいの割合のことを言っているのか。
数値に表すのはなかなか難しいかもしれないけれど、多い・少ないと感じる判断はかなり主観的なものだと知っておいた方がいい。
「必要だ」は誰にとって何のために必要なのか。
「問題だ」は誰にとって何が支障になるのか。
これらは立場や主張によって変わるはずです。
書き手の主義主張は何なのか。どういう立場の人が書いているのか。
ちょっと疲れる作業かもしれないけれど、ちょっとめんどくさい奴になってしまうかもしれないけれど、僕は必要だと思っています。
こんだけ情報が氾濫する中では、それぐらいは考えながらでないと、知らないうちに流される。
流されていることにも気づけないかも。
そしてそういう目で見れば、同じ文章を見ても「見る側」の主義主張によっても解釈が変わったりもします。
特に抽象的な表現は、解釈の幅が広い。(もちろんこのブログもそうかも)
抽象的なままの議論は、噛み合わないことが多い。
例えば「筋トレ」からイメージするトレーニングが人によってバラバラだから。
完全に前提条件を共有することは難しいけれど、そこをできるだけ共有しておく努力や確認は必要ですよね。
お読みいただき、ありがとうございました。
全てはパフォーマンスアップのために。
中野 崇
追伸
バッティングの基本、「脇を締めろ」もそう。
抽象的すぎる。。コーチの解釈次第になってる。
僕も脇を締めろと言われて苦しんだ。ものすごい打ちにくかった。。
でも僕の「なぜ?」には答えてくれる存在はなかった。
「そういうもんだ」ってのがまるで答えかのような。
脇の「締め方」が間違っていたことに気づいた時、いつか「基本」と呼ばれるすべての指導を洗い直そうと決めました。
それが表現できる場にやっと出会えた。
コテコテのゴリゴリでやっていくので、マニアックすぎて連載終了したらごめんなさい笑
野球をされてきた方、やっていた方、お子さんがやっている方。読んでみてほしいです。
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