こんにちは。
JARTA代表の中野崇です。
「右肩が左肩やったらいいのに!」
これ、高校生のとき僕がなんども考えてたことです。
意味わかりませんよね笑
通訳すると「痛くて投げられない右肩が、痛くない左肩と入れ替わってくれたらいいのに」、です。
僕はプレイヤーとしては大学まで部活として野球をやっていて、高校まではピッチャーをやっていました。
上の表現はその時の、心の叫び&実際の叫びです。
ずっと肩を痛めてたんです。
大学では高校時代の怪我が響いてピッチャーでなく外野手になりました。
(そもそも怪我がなくてもピッチャーとして大学野球で通用したかと言われると、全く通用しなかったと思います笑)
とにかく本当に怪我が多い選手で、今でいうルーズショルダーによる肩の痛み、それに関連して野球肘と、野球=怪我の選手人生を送りました。
受診したスポーツ整形外科では、ルーズショルダーという概念はありましたが、まだインナーマッスルという概念がまだ浸透していなかった。
だから診断はできても治す手段が微妙すぎ、、結局「筋肉の鎧」を選ぶ羽目に。
中学生の頃から5キロのダンベルを両手に持ってフンフン言いながら三角筋を鍛えまくってムキムキになりました(もちろんあだ名は枝豆)。
今ならこれが、「違う」って論理的にも感覚的にもわかります。
でも当時はそれしか選択肢がなかったんですよね。
藁にもすがる思いってやつです。
「そんなんで治るわけないやん!」
「センスなさすぎやろ!!」
って、当時の自分に全力で叫びたい衝動が、今だに湧き上がってきます。
この気持ち、わかってくれる人いてますかね…。
僕の肩や肘の痛みは、当時どこの病院・治療院でも一向に良くならず、
むしろ
「野球アキラメロ」。
って野球少年にとって、最も残酷な言葉を受けることも多々あり。
「あなたに言われて諦めれるぐらいならこんなとこ来てまへん。やめるかどうかなんて自分で決めますから。」
という心の声はぐっとこらえて、
ひたすら治療手段を自力で探す、地獄の日々でした。
時には民間医療本に載っていた方法を採用してゴマ油を肩に擦り込むことも…
痛みじゃなくて、、パフォーマンスアップに集中したかった…。
枝豆トレーニングじゃなくてJARTAトレーニングやってたらもっと上に行けたんちゃんうんか…
怪我によって実力が発揮できない。
”手段の欠乏”によって的確なトレーニングができない。
なんど「なぜ?」を重ねても全て論理的に納得いくように答えてくれる指導者がいない。
全て僕自身が経験した「悔しい過去」です。
高校生の僕と同じ想いを、これからの選手たちには絶対に味わってほしくないから。
投手用トレーニングセミナーは、そんな僕の気持ちが詰まりまくった重たいセミナーです笑
詳細はこちら。
追伸
当時の同世代の中では、誰よりも先にインナーマッスルのトレーニングに出会い、周囲の常識とはかけ離れたトレーニングをやってしまったことで「中野筋肉」というめちゃ微妙なあだ名をつけられ、それから約20年、「トレーニングの常識」の変革を目の当たりにしました。
そんな僕の青春エピソードは、こちらからどうぞ。
http://ameblo.jp/bodysync/entry-12058553627.html
全てはパフォーマンスアップのために。
JARTA代表
中野 崇
JARTAオフィシャルサイト