ガンバ大阪の宮本恒靖さんとの対談の続きです。


対談テーマは、スポーツと人権。

「未来へつなげる確かなパス~スポーツを通して考える人権~」というタイトルです。

内容は、根性論・体罰・人種差別・教育・平和のそれぞれについて、スポーツという切り口で宮本さんとお話しさせていただきました。






前回は対談の様子を写真中心に紹介しましたが、今回はもう少しこのテーマに踏み込みます。

スポーツと体罰、それを含む威圧的な指導者の指導態度について。





感情論的に良し悪しが語られることが多いです。

僕はもちろん指導者側の感情的な威圧や体罰には反対です。





その理由はもちろん感情的なところもあります。

つまり自分がされたくないし自分の子どももそうされて欲しくない。

スポーツは楽しみたいですし、息子たちには「怖いから頑張る」ではなく、「楽しいから頑張る」という経験をしてほしい。

怒鳴られるから頑張る、という選手では、その場では頑張れてもスポーツを頑張ることの本当の素晴らしさには触れずに終わってしまうと思うからです。





もちろん感情的なところだけでなく、指導効率的にも問題はあります。

指導者が子ども(選手)たちを怒鳴ることには一定の効果はあるとは感じています。

ただしそれは非常に限局的。

怒られた理由を選手が理解できなければならないし、指導者側も”なぜ怒鳴るのか”を理解していなければならない。





怒鳴ることで選手たちがどのような感情になり、その後どうなるのか、それがこの場面で最も効果的だと論理的に説明がつかなければ、必ず威圧的な指導のネガティブな側面が勝ります。





何を選手たちに理解させたいのか、それを伝えるためには怒鳴るしかないのか。





宮本さんも話されていましたが、怒鳴る、怒る、というのは、ほとんどが「指導者の表現力不足」であるということです。







また、体罰や威圧的な怒鳴りなど、選手たちに恐怖を感じさせることは身体面・パフォーマンス面にもネガティブな影を落とします。

ここは特に力を込めて話させてもらったところです。





なぜなら人は恐怖やプレッシャーを感じると、パフォーマンスや身体操作面で非常に重要な役割を果たすと言われる「大腰筋」が固まるのです。

怖がってる子どもが身体を丸めて縮こまる姿を見たことがあるでしょうか。

動物も恐怖に身体を丸めます。

決して恐怖の場面で背筋を伸ばしてノビなんてしないですよね。

あれは大腰筋が緊張して身体を丸めているのです。

つまり日常的に恐怖や過度なプレッシャーを感じさせていることで、選手の大腰筋は機能低下を起こすのです。






怒鳴ったり体罰をする理由が「選手のため」であれば、真逆の結果を招く可能性があるのです。






そして更にこれらの指導方法は、脳の機能にもネガティブな影響があります。

(この話はまたいずれ書きたいと思います)







僕は、そもそも自身と他者は異なるものだし、この世に存在する人は全員違うと考えています。

一人として同じ人はいない。

文字にすると当たり前のことですね。

価値観や信仰など含めてすべてが違って当たり前であり、それが正常だと思ってます。






問題はどちらかが正しくてどちらかが間違っている、ということではなく、その大前提である「違い」をどう受け入れ、どう認め合うかです。

他者は違う、その上でどう関わるかだと。






これは人種差別やいじめ、人権の問題とも深く関わりあっています。

これが出来ていないから、この重要性がわかっていないから、差別やいじめや体罰がなくならない。






そしてこれは当然、スポーツにおける指導にもつながっています。

選手と自分自身が見えているもの、感じているものは異なるのは当たり前。

だから対話します。

だから感覚や意見を尋ねます。






人間には想像力があり、共感という能力があります。

僕たちが生きていく上で考えるべきことは、違いを埋めることではなく、どちらかに偏るということでもなく、「リスペクト」






何か自分と違うものを信じる他者に対して、それを認め、それをリスペクトできるかです。





例え相手が、自分とは違うトレーニング理論を肯定していても、それを頭から否定すると、そこからは何も良いものは生まれません。

相手への否定は、お互いの否定しか生みません。






目指すべきは、どちらが間違っていて、どちらが正しい、という二次元論ではなく、「ベスト」。





他者との信頼関係の構築は、間違いなくお互いの尊重、リスペクトから始まります。

こんな当たり前のこと、わざわざあんなにも大きなイベントで話し合わないといけないことそのものが残念です。







JARTA
中野 崇