「結果を出す」「結果を出すために」
最近とてもよく耳にします。
人によって解釈や定義が異なりますので、意見は様々だと思いますが、僕の場合はあまり使いません。
もちろんぼくなりの”結果を出すこと”は常に頭にはありますが。
先日、友人と話をしていて、「例えば初診のとき、初回のトレーニングのときに”結果”を出さないと、次がない」ということについて話をしていました。
お読みのみなさんはどう思いますか?
初回、選手に対してなんらかの結果を出さなければ、継続的な信頼構築って難しいでしょうか?
おそらく多くの人が絶対なんらかの結果を出さなければならないと思いがちなのか、SNSなどではやたら「結果を出す」「結果を出すためには」という文言が目立ちます。
ここからはあくまでこの事項に対する僕の個人的な気持ちですが、結論からいうと「そんなこと、どうでもいい」です。
よく考えてみてください。
よくトレーナーやセラピストのみなさんがいう”結果”って何ですか?
”誰が中心の話”かってことです。
僕は、自分が結果を出すことよりも、選手が結果を出すことだけしか考えていません。
ちょっと言葉遊びみたいになってしまいますが、誰を基準として「結果を出す」と考えているのかを明確にしないと、本末転倒です。
つまり、先の話で言うと、初回に結果を出したいのはセラピスト・トレーナー側であって、選手にとって大事なのはそんなことではないです。
選手にとって大事なのは、「試合で結果を出す」ことであって、我々はそこだけを考えておくべきなのではないでしょうか。
良い選手は、我々が考える以上に目先のことよりもっと長期的な視点を持っています。
初回の結果よりも、「最終的にはそのトレーナーそのものが信頼できるか、尊敬できるかの方が重要」というのは、いろんな選手が口を揃えて話してくれています。
そして自分に希望・活路や伸び代を感じさせてくれるか、が大事だとも言っています。
反対に、初回で選手の身体に良い変化を起こすことができても、離れるときは離れていきます。
ちなみに、もちろん初回からしっかりした良い変化(問題の改善)を起こすことは、プロとしては”当たり前のこと”です。
ちょっとややこしいですが、プロとして当たり前だから、もうわざわざそこを意識して縛られないというか、そんなこと選手に関わる上で大前提ってことなんです。
初回で結果を出すことを目指すというより、それを当たり前にできるような認識で研鑽していくといいんだと思います。
JARTA
中野 崇