前回の記事から派生する内容として二つ。

 

前回の記事はこちら。





 

一つは、筋トレのもう一つの作用に関すること。

もう一つは、選手を自分の理論の枠に当てはめようとしてしまうことについて。





 

今回はまず一つ目について触れたいと思います。





 

筋トレのもう一つの作用、これは精神的な作用です。

試合で結果を出すことを望む、または周囲から強く要求(期待)されることで、選手は日々かなりの不安の中にいます。




 

しかも、スポーツで良い結果を出すのは、厳しい受験以上に流動的な要素に左右されやすいです。




 

つまり、例えば審判の判定一つで、または靴ひもの状態一つで、天候によって、、といくら努力を積み重ねてきていても、当日に作用する、自分ではなんとも制御できない、様々な流動的要因によって支配されています。





 

その要因の中で、何とか自分で制御できるものに近いのが、自分の状態です。

(ちょっとややこしい書き方ですみません。制御できると言い切れないのは、その選手が意識や認識についてどのレベルで捉えているかにも影響されるからです)





 

そこで多くの選手は、何をするかというと、身体を限界まで追い込もうとします。



 

何のためにか。



 

もちろん筋力アップも含みますが、それ以外の理由として、「限界までやった、という記憶・経験」を求めていることは経験上明らかです。




 

つまり身体を追い込むトレーニングそのものを、精神的なトレーニングに転換していると言えます。





 

ただし、「しんどいことに耐えた」では、この精神的トレーニングは実は試合ではあんまり効果がないこともわかっています。




 

しんどいことに耐えた→試合で頑張れる





 

という図式が頭の中で構築されていると思われますが、この「→」の部分があまりに曖昧です。

これは選手だけでなく、むしろ指導者の立場にある方の思考回路がこのような短絡的な図式になっているのが原因かも知れません。


 

 


 

本当に、練習やトレーニングで限界まで耐えられれば、試合で頑張れるのですか?




 

それはなぜ??





 

トレーナーやコーチは、選手に努力を強いている以上、これらの質問に論理的に答える必要と責任があります。





 

答えから言うと、これはケースバイケースです。

つまり、練習やトレーニングを頑張っている状態(認識や意識、身体の使い方、身体の除隊)が、試合の状態に適したものである、ということが条件になります。





 

逆にいくら努力して努力して、限界に挑戦していようとも、上記の状態が試合の状態に適していないままでは、結果として試合には活かせないと言えます。





 

トップアスリートが限界に挑戦するトレーニングの様子をメディアで目にすることが多いと思いますが、彼らは当たり前のようにこの最適化作業をやっています。

 




 

選手が限界に挑戦する。

選手に限界に挑戦させる。





 

こういった努力はまさに試合で最良の結果を残すためであるはずです。

そのためには、努力する、努力させる際の、努力を実らせるための「前提条件」を今一度ロジックに考えてみてはどうでしょうか。

 

 



 



 

 

JARTA

中野 崇