なぜスポーツ選手がなぜ筋力トレーニングに励むのか、わかりますか?

筋力アップのため?
パフォーマンスアップのため?
見た目を強そうにするため?
ケガを防ぐため?

ほとんどがこういったものでしょうか。
(善し悪しは別として…。)





他にも思い浮かびますか?





僕は、この仕事でいろんな競技やいろんなレベルの選手の方々と関わっていますが、その中で筋トレの隠れた目的があることに気付いています。

今回は、そのことについて少しお話します。



私が代表を務めるJARTAでは、筋トレの問題点は指摘しますが、筋トレそのものは否定していません。

必要なことも多いです。





ただし筋力を発揮することに重きを置き、その競技を行うのに適した身体から逸してしまうような状態での実施にはリスクがあるし、むしろ「筋力はついても下手になる」といったマイナスの学習になってしまうことには注意してもらいたいと思っています。




 

今回はこのことを理解していただいたことを前提にして話を進めたいと思います。

内容は、選手が筋トレを頑張る、「もう一つの理由」についてです。

 


筋トレについては、マシンにせよ自重にせよ、現在スポーツでのパフォーマンスアップを志す選手の大半がその手段として行っているものだと感じています。

常識といってもいいぐらいですね。

 

 

(JARTA講習会でお話しているような)トレーニング理論に関する趣旨のお話は選手にも実際にお話します。もちろん、わかってもらえるような言葉や表現を使う形で行います。
JARTAのトレーニングを継続してもらうため、効果的にするためにはそのあたりの理解は必須だと考えているからです。

第一期JARTAトレーナー研修の様子|イタリア





しかし、僕の基本的なスタンスとして、筋トレを重視して行ってきた選手に対しては、まずはしっかりと選手の意見を聞くことから始めます。
それなりの理由や理解、目的があってこれまでのトレーニングに打ち込んできたはずですので、当然のことです。

これはその選手がどんな競技レベルであったとしても絶対です。

 

 

そういった会話の中で、なかなか言葉としては表出しないのですが、いつも共通して感じていることがあります。




 

それは筋トレの一般的な目的とは異なる、「もう一つの目的・効果」と言っていいようなものです。
ちなみに「一般的な目的」とは、筋力を向上させることでパフォーマンスをアップさせるということです。善し悪しは別として、概ねそのようなものに集約されているという理解です。





「筋トレして身体を追い込むと安心する」





選手のパフォーマンスに関わるみなさんはこの意見についてどう思いますか?
僕にとっては非常に重要な事実でした。


 

 

選手は筋トレで身体がガチガチのヘトヘトになるまで追い込むことで、「筋トレによる精神的な安定作用」を得ていたのです。


イタリアサッカー|仲井康大選手|JARTAサポート



スポーツの結果というものは、以前の記事でも記載した通り、非常にたくさんの流動的な要素から成り立っています。





つまり、完璧な準備をしていっても、審判の采配一つで、その日の天候や体調一つで良い結果を得られないことも多々あるわけです。





自分の努力や準備ではどうすることも出来ない要素が影響を与える部分も大いにあるのがスポーツです。





このような環境で結果を出し続けることを要求されるストレス、不安は想像を絶します。





特にそれで生活している方、地位を築いている方にとっては。

 

 

僕は、様々な選手と向き合う中で、筋トレはそういった不安な状態を「限界まで頑張った、あんなに追い込んだんだから大丈夫だ」という記憶や体験を拠り所に、自分を落ち着かせる作用があることを知ってしまったのです。

 

 

果たして自分は、選手の筋トレの方法を変更させていくことで、この部分に代わるものを提供することが出来るのだろうか

 

 

 

今でも常にそういった選手に対しては慎重になっています。
そしてこのことは僕が筋トレを否定しきれない、一つの理由になっています。
理屈を超えた、非常に感情的で現実的な部分ですね





理論上どう考えても正しいものが、トータルとしてはマイナスに作用する。
我々トレーナーは、絶対に忘れてはならない視点です。
必ず、理論や知識ではなく、「その選手」をみてください。





「その選手」は、目の前のその人だけです。





やり方を間違えば、JARTAセンタリングトレーニングだってマイナスの学習に作用することもあり得ることを肝に命じておく必要があります。

 

 


結論としては、選手自身が「確信」を持ってトレーニングに対する取り組み方や安心感を得る形で、視点を変化させていけるような関わり方をするしかないと思っています。




何をもって、どのような感覚を得た時に「安心感」があるのか、これを実感をもって変えていけたときに活路が見えてきます。




代表例として、あの超有名選手は、「ゆるんでいるから大丈夫」と今の状態を報告してくれたりしています。
こういった精神的な安定感も、実はゆるんでいることや軸の意識が形成されていることの副産物だったりします。

 

 

いずれにせよ選手がこれまでやってきたことは一切否定しませんし、選手には常に「選択肢」という形での提示を心がけるようにしています。

 








JARTA
中野 崇