と人との関係は、やっぱり難しい部分はある。

お父さんが、お母さんとけんかしたとき、
だんだんエスカレートしてきて、
”これ以上言い合いをしていると感情にながされて、余計なことまでいいそうだ”
と思うと、
 ”ちょっとまって、すこし頭を冷やそう”
 といって、お父さんは自分の部屋に行き、
話しのはじめから、感情的になるまでのプロセスをたどった。


”あの人がこう言って、私がこう言って、こんなふうに思って…”
というように、一から考えてみた。

 けれど、された側は、いきなり相手がいなくなったので、感情の持っていき場所が
なくなり、もっと腹が立つようだった。


 …けれど、人生に大きな間違いを繰り返さないようにするには、
 お母さんには申し訳ないけれど、その時はお父さんの精一杯だったと想う。


 けっきょく、いつでも正しい、というようなことは、まずない。

  ただいえることは、そこでお父さんが何を学ばなければならなかったか、
 ということだけ。   それだけだ。

  親だって、はじめから親じゃない。
 子どもを育てながら、本当の親になっていく。

  ただ、子どもに対する心からの愛が、自分を親に育ててくれる。

  …だからもし、あなたが親になっても、
 あまり自分の□を心配することは無いと思います。

 我が子に対する愛さえあればいい。
 あとで、子どもに責められることはあるかもしれないけれど、
 その時は素直に謝ればいい。

  …おそらく『人間関係』も、基本は『愛』と『理解』『思いやり』
 だと思う。
 もしかすると『いじめ』が、もっともまずいかもしれない。

 この世界には、「作用・反作用」という法則もある。
そして『バランス(調和)』と『循環(流れ・変化し続ける)』という法則もある。


 「盗み」もそうだけど、”いじめ”などで、
故意に人に悲しい思いをさせると、その「反作用」は倍にも三倍にもなって返ってくるという。



この世界は、相対の世界なんだけれど、どうして相反する「対極」が在るのかというと、

それは、思いやりや、理解すること、認めてあげることの練習や、
愛ややさしさを表現するための、道具、なんだと思う。



『いじめ』は、そのすべてに反してしまう。

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  ただ、ここでも、「する側」と「される側」には、別の意味がありそう。


 …『自分を律すること』以上に、愛ややさしさ、思いやりの心を育てることは、
 大切であるように思う。

 日本では、災害などのどさくさに紛れて、ものを盗んだりすることは、
“恥ずかしいこと”とされている。

  ところが”ある国”では、
 敵対する国のものを壊したり盗んだりすると、“英雄”らしい。


  人のものを盗んだっていい、という理屈は、いったいどこから生まれるんだろう。

  富めるもの、から盗んだっていい、という国もあるらしい。

 
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  ちょっとスピリチュアルな話しをすると、
なんで、人のものを盗んだらいけないか、というと、

 “自分の心を貧しくする”からだ。


 『自分には自分の力で働いて、ちゃんと裕福になる能力がない』
ということを、 証明することになるからだ。

  きっと、人のものを盗んで、得したって、心には”やすらぎ”はない。
 やすらぎのある幸せな気分にはなれない。

  自分にとっていちばん大切な、
 『自己信頼』だって、身につかない。


  「天上天下唯我独尊」を見失ってしまう。


  …なんで、こんな倫理っぽい話しをするか、というと、
 自分を律することが、しあわせになる訓練でもあるからです。