こんにちは、木村です。

 

 

 


今週は

太陽サンサンの晴天が続いていましたが

 

今日は朝から曇り空

しっとりとした空気に包まれました。

 

 

お昼からは雨が落ちてきて。

 

 


目を閉じて

途切れることのない

 

サーーーーーーーーーーーー

 

という静かな雨音を聞いていると

 

慌ただしかった心身が

すーっと鎮まり

 

落ち着きと穏やかさを

取り戻していくようです。

 

 

最近

アワアワバタバタと過ごしていたので

 

いったん力を抜いて

内側をかるく整理するには

 

うってつけの気候ですね。


 

 


Each moment of our lives is 


like a grain of sand,


part of a finite supply.

 


Each moment is 


unspeakably precious.

 


人生の一瞬一瞬は、

砂時計の一粒一粒。

 

人生の一瞬は、

かけがえのない、

珠玉の一粒。   

 

(私訳)

 

Jamie Zimmerman

(不慮の事故により32歳で逝去)

を追悼して      より

 


 



 

 生きてるんだもんなぁ。

あれがなかったら今頃は

東京オリンピック関連の仕事をしてたね。」

 

 

これは数年前に心筋梗塞から生還し

今も”血をサラサラにする”薬を

飲み続けている

わたしと同年代のクラスメートの言葉。

 

 


母がホームに入っていた時は

何にも知らなくって。

 

若いヘルパーさんたちには

ずいぶんお世話になったのよね。

 

それで今度は私が、って。

恩返ししたい気持ちがあって。

 


別のクラスメートはこんな言葉を。

 

 


 


自分や家族が大病をしたり

身近な人を亡くしたりすると

 

自分もいずれは

この世界を離れていくんだよなあ

 

ということが現実味を帯びてきて

“砂時計の残り”を意識するようになります。

 



そうすると

変わらないものとか、安定とかが

"幻想"だってことがわかってくる。



殻が割れ

境界がゆるみ


"あなたは私、私はあなた"


そんなことが

実感できるようになってくる。



そうして


みんなと、幸せになりたい

恩返しをしたい



誰のこころの奥にも宿っている"慈愛"に

スイッチが入るのでしょうか…

 

 

  

中国語や韓国語、フランス語などが

飛び交う中

大勢の学生たちと一緒に

信号待ちをしていたり

 

休み時間、クラスメートたちと

他愛のない話で盛り上がったり

 

時間に追われる生活の中で

お互いに励ましあったり、助け合ったり。

 

 


今、毎日を一緒に過ごしている人たちは

一年前のわたしの日常には

影も形もありませんでした。

 

一年前の自分には

今のこの状況は

全く想像のつかないものだったんです。

 

 

そして

一年後の自分が

どこで、誰と、何をしているかも

全く想像がつかないのです。

 

 


つまり

 

日々の一瞬一瞬は

 

後にも先にもない

一回限りの交差点で

 

二度とは巡ってこない

珠玉の瞬間

 

 

 

そう感じるのです。

 

 


 

だからこそ

 

毎日を

急ぎ足でやっつけるように過ごすのでも

 

ぼんやりと無感覚に流されるのでもなく

 


人生から与えられる

貴重な一瞬一瞬を

ちゃんと噛みしめて、味わって

感謝しながら過ごしたい

 



そんなことを改めて思った

雨の午後でした。