丹田メモまとめ(2020年3月~5月) | 南行徳 1Heartボクシングクラブの不思議な日常

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こちら南行徳えんぴつ公園前 格闘技研究所。プロ育成ジムではないので、ほんわかした雰囲気です。

(1)20/3/30
文章に拵えようとする行為は、理路整然…整合性を気にするあまり、大切なところがこぼれ落ちていく気がするので、この項はメモ書き程度の言葉の断片に留め様と思う。

動物(生物)の機能の基本は、吸収→消化→排泄のサイクルである。

そのサイクルは脊椎動物も無脊椎動物も変わらない。

無脊椎動物のミミズは人間の消化管そのものの様なカラダで、脳も無いのにまるで考えているかの如くエサを求め動き回る。

人間の腸は“第二の脳”とも呼ばれる。

英語でgutは「はらわた、内蔵」のことで、gut feelingは第六感のことを指す。

日本でも腑に落ちるなど肚を現す言葉が多い。

消化管のみで生きるミミズの様な原始的な生き物から、段々と進化していく課程(魚→両生類など→哺乳類)で、消化管に脳や内臓や骨などの機能が加わっていったが、原点としての消化管の機能は変わらない。

生態を維持する作用は自然治癒力や免疫力である。

丹田が大切と言われるが、何が大切なのか?重要なのか?

(2)20/4/01
脳腸相関という言葉があるくらい、精神的なものと腹部のコンディション(状態)は密接に結びついている。

脳→腸(肚、丹田)でなく、腸(肚、丹田)→脳という逆のベクトル…視点も必要ではないか。

新約聖書でイエス・キリストが食べ物が無く困った民衆に「憐れみ」を感じたという箇所は、ギリシャ語の原文(スプランクニゾマイ)に忠実に訳すならば、「はらわたを突き動かされた」の方が近い、との意見があるらしい。ギリシャ語でスプランクナは「内臓、腸、はらわた」のこと。やむにやまれずの痛みの共感。

脳で感じるのではなく、「肺腑をえぐる」ように、肚にダイレクトに来る辛さへの共感だったり感動だったり…というものは確かにある。

理解もそうで、「腑に落ちる」…肚におさまる様な理解の仕方がある。

英語にgut feelingという表現があることを考えると、肚で感じるというのは、東洋だけの話ではないのだなと判る。

(3)20/4/06
人間の身体を物理的に見ると、丹田の位置はちょうど重心部にあたる。

日本の伝統的な身体技術(武芸、禅、能、歌舞伎、舞踊、礼法…)は姿勢をうるさく言うが、そのキーポイントになるのも丹田である。

先日の大相撲無観客場所、久しぶりにテレビで見たが、相撲の姿勢のとり方には本質的なものがあると思うし、日本文化の精髄と言っても良い。そしてそれが普通にテレビで毎回放送されてるのも考えてみると凄い。

白鵬は姿勢が他の力士と全然違っていて、やはりまだまだ第一人者だなと思う。

仕切りの態勢、蹲踞。腰が割れていて、上体はゆるやか。

重心部である丹田と支掌底面(基底面)の真ん中が、真っ直ぐ垂直線上になることが大切。

姿勢の問題はつまるところ、立ち方、座り方、歩き方の問題になってくる。

直立-高這い-四つ足(仕切り)という体勢が全て相撲のなかに含まれている。

(4)20/4/08
姿勢は「姿の勢い」と書くが、肥田式強健術は姿勢の力をもって丹田を動的に練っていくという、世界でも珍しいエクササイズである。

丹田を練るというとオカルト的に捉えがちだが、ただ姿勢を決めるだけ…という意味で、誰にでも出来る可能性がある。形は簡易とはいえ難しいことは間違いないが可能性は等しく与えられている、才能は関係ない。

姿勢の力とは何か?という問題には呼吸も関係していることは勿論だが、単純に姿勢として考えると、足の踏みで作る支掌底面(基底面)を活かすことが大切だ。

踏む地面へのアプローチ…踏むことによって生まれる“反力”を、身体の内部に貫かせる…それを感じられること。

その前提としての軸感覚(垂直感覚線)を感じられること。

身体との対話。地面(大地)との対話。そういう意味ではヨガにも近い。相撲の四股も本来そういうものだと感じる。

人間も肉体を持った生物であるから、物理空間のなかに生きている。仮想空間に非ず。自然のなかに存在している。自らの身体に自然を意識する。

(5)20/4/14
肥田式強健術の呼吸は鼻で吸い込むのを基本としている。吐く時も鼻呼吸であり、加速度的に吐きながら同時に喉でいきむ。

コロナウイルスの飛沫感染が多いのは、いまの日本人に口呼吸が多いことも関係あるのかも知れない。

人間の体内は横隔膜から上の胸腔、横隔膜から下の腹腔があり、この空間のなかに臓器がおさまっている。

禅で人間のことを「五尺の糞袋」と表現するが、まさに胸腔と腹腔は袋の様な作りとも言える。

胸腔と腹腔を一緒にエクササイズする呼吸法に「内臓操練法」がある。呼吸を三段階に切り替えながら、臓器全体に腹圧をかける。内臓の働きを活性化させる運動。

呼吸法は言わば内臓を呼吸(腹圧)を使ってマッサージすることで、内臓に働きかける方法としては最も直接的なものだろう。

(6)20/5/13
YouTubeで肥田春充先生の動きを久しぶりに見る。

呼吸と動きが調和し、肚回りが別な生き物の様に動く。上体はリラックスし、腰から下は確りしている。

肚回りのフォームや姿勢は、この動きが撮影された同じ時代に活躍した双葉山にも似ている。悠然として肚に気が満ちているのを感じる。

ここで気と書いたが、肥田式を“日本の気功法”と紹介される時があるが、似てるところはあるにしても、基本的な成り立ちが違う気がする。

肥田式により近いとしたら、やはり座禅だろうか?

姿勢のとり方(外側のフォーム)で、内側のものをコントロールする感じ。

事実、映像を見て感じるのは、肥田先生も書いている“機械的”というところ。

グーッ…ピタッ、と姿勢が自動的に決まっていく、そこに精神的なものは感じない。機械仕掛けの様に姿勢が収斂されていく様な…これはYouTubeで他に見られる肥田式をやられてる方々の動きからは感じられない部分だ。

肥田先生や双葉山、そしておそらく西郷隆盛などもそうだったと思うのだが…“悠然とした姿”を見て美しく感じるセンスを、現代の日本人は見失っている様に感じる。