何かがふっと細かくなって

感情に一区切りがついた

正月明けはホメオパシーの反応でダウンしていて

友達を亡くしてさらに落ちて

ものすごい感情と思考の大波に翻弄されたスタートだ

前回までは自分が失ってきたもの、という書き方をしてきたが

深い意味では、失うことの出来るものは元々自分のものではないのだろう

私が執着するある種の情緒は借り物であったのか

それはただのノスタルジーなのか

いま現在の美意識を問い直してみていたのだが、ずいぶんと雑に扱われた結果ゴツゴツとしたものになっている

これを磨く作業もまた楽しいのだろう

ところでこのブログ

今まで全く営業活動をしてこなかった私が、セッションやセミナーのお知らせなど書いて仕事を広げる目的で始めたはずなのだが

今のところ

これって営業的にはマイナスじゃないですか?(笑)

ちょっと、しまった!って思ってる

でもまぁ、ありのままっていうことで…

このまま続けていくことにしよう



昨日、萩尾望都の漫画を読み返してふと思い出したのは浅井健一のことだ

思い出したと言っても別に忘れていたわけではない

携帯の着信音も浅井健一だからな

ベンジー(浅井健一の愛称)は私が大大大好きなミュージシャンだ

私は音楽にはそれほど思い入れがない人間なのだが、初期のローリングストーンズと浅井健一には何かを揺さぶられる

私は毎年フジロックで仕事をしているのだが、ここで必ず彼のステージを見に行く

彼のファンは男が多い

昔横浜でブランキージェットシティ(浅井健一の最初のユニット)の解散コンサートを見に行った時

ステージに現れた彼がギターを軽くはじいた瞬間に

隣に立ってた革ジャン姿のいかつい青年が

「やべ、もう涙が出てきたわ」と呟いた

その感じ、すごくわかる

もちろん女性ファンもたくさんいるが、いつの会場でも「ベンジーっ!」という叫び声は圧倒的に男たちのものが優勢だ

線の細い少年のような声で歌うベンジーに、熱狂するいかにも不良な男たち

それは昨日も書いた、私たちが通り過ぎてきた世界にベンジーがまだとどまり続けているからだろう

まだあの時の感受性で

ピリピリとした繊細な心で

そこに存在するからだ

もう40代だというのに、それを持ち続ける姿に

それを失ってしまった者たちは涙する

何かが激しく揺さぶられる感じがする

先日「繊細」というタイトルの日記に書いた集中した世界

それがあの感受性への入り口な気がしている

それをむき出しにして世間を生きるのはやっかいだが

たいがいの大人の真ん中にはまだその残像が張り付いているのではなかろうか

私は今

その扉をくぐりたいと希望している

今日、荷物が届いた


亡くなった友人の形見の品だ


「ポーの一族」全10巻と言っていたが普通に文庫の5巻ものだった


文庫で5巻の物をどう10巻に小分け編集したのか謎だったのだが、単に動転してた旦那さんが間違えたらしい


今は売っていないであろう小学館のフラワーコミックス、昭和49年の初版


これをリアルタイムで読んでいた、私たちはそういう年代だ


第1巻は友人の棺に納められたので、私は自分の持ってる1巻目を取り出してきて読んでみた


ついでに一緒に置いてあった「トーマの心臓」も読んでしまった(知らない人はごめんなさい、両方とも萩尾望都の漫画です)


もう何十回も読み返している作品だが毎回感動する


トーマにいたっては、いまだに読むたび理解が深まるというすごいテーマだ




今回、友人の死によって10代の頃の自分を振り返ることになった


あの頃の価値観、あの頃好きだったもの、憧れていた世界


それは美しく、明確な好みによって選別された独特の世界だった


一体いつの間にそれを見失っていたのだろう


いま私が好きだと思っているものは何だろうか


いま私が生きているのは本当に自分の好きな世界なのか



萩尾望都の作品は、年を取ることのない少年たちの物語だ


多感で美しい季節が、本を開くといつも色褪せることなくそこにある


私はいつそこを通り過ぎてしまったのだろうか


そして死んでしまった友人は


実はそこに留まり続けていたのではなかったか




この数日、泣いて泣いてヘナヘナの抜け殻みたいになっていた


この空っぽ感はダイナミック瞑想をやった後と似ている



空になると、そこには何かが満ちてくる



今はまだ何もやってこないけど


自分の原点を再確認しながら



いずれ何かが満ちてくるのを待つとしよう



昨日は一日泣いてばかりいたが、今日はだいぶ立ち直った


いろいろ考えてみたが、彼女はずっと前からそれを望んで計画していた訳で


思いを遂げたのだから、きっとそれで良かったのだろう


彼女には確固たる美学があった


入退院を繰り返す心身の不調や生活の困窮があっても


常に不遜な態度で接してくるから一度も可哀想だとか思わなかった(むしろムカっとしていたよ)


今思えばそれが彼女のプライドであり優しさだった


一番困っているくせに一番偉そうだった


買えないからくれ!と言っていつも私のおさがりの服を持っていくのだが


私よりもかっこよく着るのが憎たらしかった


元旦にもう一人の友達Hと3人で会った時


彼女はこれが最後だという気持ちで私たちと居たんだな


何も知らない私たちを、どんな気持ちで眺めていたのだろう


まったく何でもない風に手を振って別れた時、どんな気持ちでいたのだろう


帰りの電車の中で、どんな気持ちでいたのだろう


私は彼女のことを何もわかっていなかった




昨日は彼女のことと同時に「ポーの一族」という漫画を思い出していた


彼女は萩尾望都が好きだったよなぁ


そういえば私がミクシーの日記でポーの一族のこと書いた時、何度もコメント入れてきたよなぁ


そんなことも思い出していた


夕方、葬儀に行った友人Hから電話がきた(前日の連絡だったので私は葬儀に間に合わなかったのだ)


「これから彼女の部屋に行って形見分けをするんだけど、あんたは何がいい?」


「・・・かさばらない物」と答えたのだが、電話の向こうで彼女の旦那の声が聞こえた


「ポーの一族のハードカバー全10巻があるんだけど、どう?」


あっ、それだ!だから思い出したんだ


「それ、もらいます」


「第一巻は棺に入れちゃったから9冊しかないけどいい?」と旦那さん


ははは


一番いいとこ持って行って残りをくれるところがめっちゃ君らしいよ


本当に君らしいよ


私も文庫で全巻持ってるけどね


なっちゃんが読んでたやつが欲しい


一冊欠けたポーの一族を見るたびに私はあなたを思い出す


きっと空の上で第一巻をヒラヒラさせながら私を見下ろして


いつもみたいに不適な高笑いしてるんだろうな


なっちゃんみたいに強烈な個性を持った人はなかなかいない


見事でしたよ


がんばったね


よくぞ突っ張り通してくれました


一度も言わなかったけど


私はいつもあなたをすごいと思ってた


まだその辺うろうろしているだろうから今のうちに誉めとくよ


なっちゃん、好きだったよ


もっとまともに絡みたかったよ


最後の最後でいろいろ学ばせてくれてありがとう


じゃぁ


またね



彼女を初めて見かけたのは高校1年の時だった

隣のクラスだったので話したことはなかったが

170センチの長身、スポーツ刈り並みのベリーショート、それに偏光グラスの眼鏡をかけてるんだが常にサングラス状態

そんな女子高生、インパクト強過ぎますって

2年の時に同じクラブになり(漫画研究会だ)そこからの腐れ縁だった

3年生の頃はよく二人でスナックにボトルキープして飲みに行ってた

厚化粧の私たちが未成年だと疑われることはなかった

同じイラストの専門学校に通い

二人で同人誌を作ってた時期もある

彼女はテンカンの持病があって、子供の頃から強力なトランキライザーを飲み続けていた

ある時期から酒の量も増え

薬も治療目的以外に大量摂取するようになっていた

夜中や早朝や妙な時間にロレツの回らない状態で電話をかけてきては取り留めもなく自分のことを話し続けるので

正直迷惑に思っていて電話がきても取らないことも何度かあった

こういうのって友達って言うのかなー

何か一方的に頼られてる気がしてバランスが悪く感じていた

気が重くなるような相手は、友達って呼ばないんじゃないのかな

距離おいた方がいいんじゃないのかな

そんな風に思っていた



そんな彼女がこの世を去った



自分で選んだ死だった



10日前、元旦に実家の近所でお茶したんだよね

あれはお別れの挨拶だったらしい

あんたが居なくなったら、あの10代後半の思い出を誰と語るんだよ

いつも態度がでかくて不真面目な奴だった癖に

自分の本音は誰にも言わなかったんだな

自分の本音を晒すくらいなら死の方が楽だったのか?

今思えば正月に会った時にいくつかサインはあった

なのに見逃した

今でこそ、私はセラピストでいろんな会話をオープンにしているけれど

彼女と会った若い頃は屈折しまくっていたので、私たちの関係もストレートな感情表現とかはなかった

今もそんな感じのまま付き合ってきた

いくら後悔しても仕方ないけど

もっと本音で向き合えば良かったよ

友達じゃないんじゃないか?なんて考えてごめん

本当にごめん

君と一緒にたくさんの思い出が宙に浮いた

君としか共有していないたくさんの時間が証人を失って困っているよ

最後に会った時、彼女は金髪のショートカットに真っ赤なマフラーを巻いてブルーのショートパンツを穿いていた

50目前の女の格好としてはかなりイカレているが、長身でスタイルの良い彼女には似合っていてカッコ良かった

カッコいいって言ってあげれば良かったな

もっと誉めてあげれば良かった

彼女は頭もいいし絵の才能も素晴らしかった

そういうことをもっと認めて誉めてあげれば良かった

それが出来なかったのは私のつまらない見栄や嫉妬だろう

そういう風に意識したことはなかったけど、きっとそうだと思う、恥ずかしいことだ

最近は正月しか会わなくなってたから

また来年ねーって言って駅の改札に消えて行った彼女

習慣的な距離感を埋めることが出来ずに

終わってしまった関係

こんなのは嫌だ

本当に嫌だ

どんなに恥ずかしくても、心を通い合わせる努力をしたら良かった

世界は呆気ない

一瞬で登場人物が消える

私もいずれ消える

ならばここに居るうちは、より深く、より大切に、関わっていこう

そう決めた

ありがとう

さようなら

またね

なっちゃん


自分がちゃんとした理想像というものを持ってこなかったことに気が付いた


私が思っていたのは、可能な範囲でこれならいいんじゃないかという感じのもので


それは理想ではない


私は自分の理想に制限をかけていた


なぜだろう


望んではいけないような気がしていた


そんなことはない、ってマインドでは理解しているけれど


無意識で自分にはそんな資格がないと決め付けていた


資格の有無を検討する余地もない決定事項のようなものだった


そこには罪悪感と似た感情がセットになtっている


なんだろうね


こんな風になっているのは私だけではない


理想の限界を決めてしまう人たちは退屈している


てゆうか私は退屈だった


やっかいなことに、そこそこの目標を理想だと勘違いして気が付きにくいんだよね


そこに向かって行きたいはずなのに、どうにもヤル気が起きない


そりゃあすごくスケールダウンした何かを手に入れるために頑張る気はしないよなー


そのスケールダウンした何かさえ手に入っていないのも問題だが


自分にとって最高の状態ってどんな風だか明確なビジョンを持つ、というのは色々な意味で大切なことだと思った


どういう環境で、どういう意識状態でいたいか


少し本気で考えてみよう

二日前のある瞬間


突然世界の粒子が細かくなったような気がした


画素数が増えたって感じ?


より情報密度が高い世界


新鮮というよりも久しぶりって感じ


昔はこのくらい集中した世界にいたはずなのに


いつの間にかずいぶん雑でぼんやりしたものになっていたことに気が付いた


そうやって自分をごまかしていたのだ


子供のような集中力を持った世界


それがこの粒子の細かい世界の感覚だけど


そこにいると時間の密度が濃い


仕事も今までより短い時間で深いセッションが出来る


あれー、今までどんだけボケてたんだ?自分


ということに気付いて記憶喪失になりたいくらい恥ずかしい気分


しかも気を抜くとまた元の雑な次元に戻ってしまうという危うさ


つまり今まで気を抜きっぱなしだったってことだね


あははは


笑えない・・・・


たぶんこれが入り口で


ここからだんだん奥に入って行くんだと思う


少し道が見えてきた

というのは大袈裟かもしれないが

かなり下の方にいます、今

昨日辺りから女としての自分という議題が浮上していました

2本のレメディのうちもう1本は子宮に対するものだったからかしら

なんかもの凄く深い処に封印していたものがジワジワと滲み出てきた感じです

私は人生と向き合っているようで実は激しく逃避してきました

たぶん怖かったのです

何が怖いかというと

人です

人に認められたり、愛されたり出来ないことが怖い

嫌われたり傷つけられることが怖い

怖いから目を背ける

でも渇望するのも人なのです

人から認められて愛されたいのです

端から見れば私は何の問題もないように見えるかもしれません

しかし問題がなかったらこんなにも人間とは何か?みたいなことに取り憑かれないで愛のある家庭でも作っていたでしょう

私には家庭というものの良さが理解できなかったし信頼できなかった

これは人間関係の根元に関わることで

あらゆる関係性に不安を持ち、あるいはそれを拭い去ろうと無防備になり過ぎ

結局壊してしまうのです

最近はだいぶ壁が薄くなってきましたが

でも病んでる自分がまだいます

朝っぱらからそんな自分と出会ってしまった

なんだよホメオパシー

昔クリシュナムルティの「恐怖なく生きる」という本を読みましたが、難しくてさっぱりアタマに入ってきませんでした

ただそのタイトルだけが魅力的な響きを持って心に残っています

瞑想がそれを可能にしてくれるのかもしれません

どん底の居心地が良くなる前に(←これ危険)行動します

今日を素敵な1日にしよう!
自分の家にはテレビがないので、正月休み中はいろんな番組を楽しみました

面白かったのは脳の優秀度を競う番組

漢字やコトバや計算の問題を解くんだけど、自分の思考回路に死角があることを実感しました

今まで縦に積んでたものを急に横に並べたり、内側に入れたり、そういう変化球に弱いことが判明

同じ方法からアレンジして新しいものを組み立てるのは得意だけど、突然まったく違う視点に立つことは苦手みたいです

自分のものの考え方は、自分としてはベストを尽くしているつもりでも実は固定範囲内で思考している

死角にある方法論をいきなり出されると、最初は理解できなくて「ムリ」って思っちゃう

そういう事実を突き付けられてビックリ!

老化するとますますそれが顕著になりそうなので気を付けたいと思います

あとサッカーの選手でドイツで活躍している人、あー、名前がわからない

その方の番組にも感動しました

その人のプレーをいくつか見ましたが、何というか見えてる世界が違うんですね

これから先のベストなイメージが常にあって、その通りに動いている

有り得ないゴールをバカスカ決めて「イメージ通りです」ってサラッと答える

今ここに在る人だから次の瞬間が見えるのでしょうか?

私も脳の可能性を広げつつ、ベストな行動イメージをしてみることにします

ところで今朝PCを開けたら日本語が打てなくなっていました

こういう場合のベストな行動ってノーイメージ

誰か教えて~



昨日は元旦那とボディチューニングをやり合いました

人に触ってもらうとどの部分が滞っているのかよく分かります

久しぶりにカラダがリラックスを思い出しましたよ

昨日の昼間は鎌倉の大仏から銭洗弁天までハイキングコースを歩いて来ました

毎年同じコースを歩いているんですけど

今年はつらかった

山道の階段は一段がすごく高くて、登る度に大腰筋がぐんと伸びます

昨年までは何でもなかったのに、今年は体力と脚力の衰えを感じましたね

ひーひー言いながらも登りきると腰の筋肉がすっと伸びて歩くのがとても楽になります

縮んだ筋肉って、こんなに頑張らないと伸びないのかしらねー

だったら普段のストレッチなんて甘過ぎるわねー

これからは努力しないと現状維持も大変だ、と体力作りを決意したのであります

ホメオパシーの反応はだいぶ楽になってきました

自分という個体の持つネガティブの種類がわかってきた気がします

そのネガティブ帽子をアタマに被ると、穏やかな世界がすべて同じネガティブトーンに見えるのです

瞑想で帽子を脱ぐ体験をしているため本当の世界の色も一応わかってはいるから

そのネガティブワールドが自分の帽子のせいだという自覚はあるのです

ていうか今回の好転反応でその自覚が生まれました

生まれた自覚がどのように成長するかがこれからの楽しみです

今日はこれから大島に帰ります

明るい日差しの中、横須賀線に乗っています