両親が中国旅行に行って来て、先日実家に帰った時に土産をもらった

コレステロールを下げるという苦い中国茶(私は自分のコレステロール値が高いか低いか知らないのだが)

咳や喉の痛みに効くらしい漢方薬を混ぜ込んだ砂糖の板

たぶん一緒に韓国旅行に行った時、私が朝鮮人参入りのアイテムばっかり買い込んでいたのでこういうのが好きだと思われたのだろう

まぁ実際好きなので変なアクセサリーとかもらうよりずっと嬉しいのだが

今回のメインはなぜか化粧品「真珠クリーム」朝用、夜用各2瓶ずつ計4個!

どうもツアー旅行で連れて行かれた土産物屋で断れなかったらしい

これは透明のジェルの中に真珠のような白い球がびっしり入っていて、それを小さなスプーンで混ぜるとその球が砕けてジェルと合わさり白いクリームになるというもの

実際真珠の粉も入っているらしい

塗ってみると変にベタベタせずいきなり肌に張りが出る

84歳の母も使っているらしく、たしかに会った時いつもより若々しく見えたので効果はありそうだ

ふつうなら「あら、いいじゃない」と思うところだろうが私は少し怖いと思ってしまう

効果のある化粧品というのは麻薬のようでなんか怖いのだ

それ無しではいられなくなったらどうしようと不安になる

私は20代前半でレブロンのファンデーショにかぶれてから化粧品の毒性について色々調べた

そして基礎化粧品やファンデーションに含まれるケミカル成分は、肌を美しくするどころか負担をかけて劣化させていくものだと知ったのであった

以来私は日本酒にグリセリンを混ぜて自分で作る化粧水しか使っていない

ファンデーションもなし、メイクしたい時はなるべくシンプルな成分のパウダーのみを使う

最近は歳のせいで潤いがなくなってきたので(うぅっ)シアバターや椿油や馬油やオリーブオイルなど、あくまでノンケミカルな物で適当に補っている

そんな程度で特に不自由はなかったのだが、10年ちょっと前にヒアルロン酸ブームになった時に一度心が揺らいだ

これで潤い張りが出るのだ、ということで何でもかんでもヒアルロン酸入りの化粧品が出回っていた頃、東急ハンズの手作り化粧品コーナーに単品のヒアルロン酸が売っていたのでそれを私の日本酒化粧水に混ぜてみることにしたのだ

うん、何となくしっとりする感じ、と思って使用すること2週間…異変が生じる

顔を洗ったあと肌が突っ張るようになったのだ

それまで洗顔後に何もしないで放置していても突っ張り感などなかった

女性はよく洗顔後に突っ張ると言うけど男性がそのように呟いたのを聞いたことがない

つまり化粧品のせいで自然の潤いを失っているのである

今まで自分で潤ってたのに、よく働く化粧品がやってくると それに任せて肌がサボるようになるのだ

それってダメだよね

ヒアルロン酸入りの化粧水を捨てて元のシンプルなものに戻したら、2週間後に突っ張りはなくなった

2週間って何かの周期なのかな?

そのことがあって以来ますます化粧品に慎重になる

でもねこの真珠クリームを塗ると小じわが目立たなくなるしキメも細かくなるわけよ

女心は刺激される

つい使ってしまっては、あぁいけない、いけない、しかも中国製なところがさらに怖い(失礼)

葛藤しながら3日塗っては2日休むとか洗顔後のささやかな攻防は今日も続くのであった


昨年夢中になっていたクリシュナの瞑想キャンプ

震災の頃クリシュナはネパールに帰っていて不在だった

瞑想会をオーガナイズしていた人たちは関西に避難してしまい、その後のスケジュールは西日本中心に組まれていたために私は参加を諦めていた

ところが先月半ばに帰国したクリシュナは至ってふつうに当初の予定通り福島の会津若松でキャンプを行うと宣言

「大丈夫よ」

その一言で色々なモヤモヤが吹き飛んだ

しかも連休を利用して10日間というロングキャンプ、どこまで深く瞑想に入れるのだろう

想像しただけでクラクラする

しかも今この時期に!もう無理してでも参加するのだ!

と、思っていたのであるが

なぜか私は行くのを止めた

自分でも本当に不思議なのだが、今回はやめようと思ったのだった

行けば素晴らしい体験が待っているのは分かっている

だけど今は隔離された特別な場所で意識を高めることよりも、ふつうの暮らしをきちんとやろうと思ったのだった

毎日の暮らしがキャンプと同じように瞑想的に出来るようになったら、私はまたキャンプに参加しよう

今は暮らしとキャンプは分離している別の世界になっている

私の日常には怠惰や孤独や逃避といったものがまだ当たり前の背景のように置きっぱなしになっている

これを取り去ることをしないままに美しいキャンプに没頭することは、二つの世界の溝を深くするだけのような気がする

今はひとつにならなければいけない

自分の内も外も

自分も他人も

日本も世界も


キャンプに行けば一時的に心の嘘は消え去るだろう

でも戻って来る場所が変わっていなければ同じことだ

私にはまだ準備が出来ていないってことだ

そして日常は瞑想的というよりRockになってきてるんだけど(笑)

ただひたすらに好きな自分を削りだしていくという意味では同じことなんだろうな

ね、和尚

震災以来ずっと放置してしまった

最近なにをしているかというと、ものすごく平和に大島ライフを堪能中

移住して丸6年、こんなにのんびりするのは初めてかもしれない

東京の仕事場として使っていた会館が地震で壊れて使用不能になってしばらく東京出張を休んでいたり

定期的に通っていた瞑想キャンプが放射能問題で一時期関西に移動してしまったりで(今は福島で開催中)

島から出掛ける理由がなくなってしまったのと、ビミョーに非常事態が続く現在、危機感が限りなくゼロに近いこの島にいるとリラックスできるので居心地が良い

実際ここはほとんど揺れないし、あの恐ろしい緊急地震速報が鳴り響くこともない

マスクをしないで散歩しても鼻や喉が変にならない

2ヵ月前まで当たり前のことだったが今ではたいへんありがたいことなのだ

それでも私は最初に原発の三号機が爆発して夜に静岡が揺れた翌日には本気でヤバいと思って友達と九州まで逃げた

そんな遠くまで行くつもりはなかったのだが、静岡の地震のせいで熱海船や東海道線が止まってしまったので飛行機で羽田に行くしかなかったのである

もう二度と大島に戻れないかも!くらいの悲壮な決意のもとに出発した割にはロードムービーみたいな面白い旅を楽しんで来たのだが

この避難旅行でいろいろ気がついたことがある

まず自分がとってもエゴイストで愛から遠い人間であること

東京の両親にごめんね、ごめんねと何度も電話は掛けたが自分だけ逃げたという事実

薄情だな、自分

そして移動するための空港や駅、買い物や食事をするための店、そういう所で働き続ける人たちがいるからこそ動けるという事実

送り出す人たちがいなければ移動することは出来ない、たくさんの人たちを踏み台にしているようなモヤモヤした感覚

やっと安全な場所に移動したというのに全く消えない不安感

いつも携帯で地震や原発がどうなってるのか情報をチェックし続けた

つまり「心配な現実」というものがある訳ではなく「心配する私」がいるのである

それはどこまで逃げても付いて来る

てゆうかそれに乗って動いてるんだよ

これをモデルチェンジしない限りは何も解決しない

さらには被災者でもない私にひたすら優しかった大勢の方たち

いったい自分は何をやっているんだろう?

私は子供の頃から終末恐怖症なところがあって、この世の終わりがやってくる夢を何度も見てきた

ムーやアトランティスが沈む話は恐ろしくリアルで、日本沈没のドラマは涙なくしては見られなかった

そういう下地があるのであの震災がやってきた時はもう心底ビビったのである

きゃー怖い!という感情と行動を十分に堪能しきった私はだんだんフラットになってきて再び大島に戻った

なんかもう絶対に危ない!と思った割には何事もなく時間は通り過ぎ、自分の勘も当てにならんなーと言うことも分かった(いや、原発は相変わらず大変なのだが差し迫って命に関わるほどではないという意味でね)

という経過を辿って現在に至る

いきなり何事もなかったかのようにブログ再開するのも何なんで、まずは報告でした
人間は誰しも幸せを望んでいる

…と思ってきたけど、実は案外不幸が好きなのかもしれない

全人類が満場一致で幸せを望んでいたらこんな世の中にはなっていないはずだ

人間の場合、他人の不幸が自分の幸せにつながると考える屈折した意識があるのも事実だが

それだけじゃなくて、自分の不幸にも意外と執着しているのだ

自分の幸せな記憶と不幸な記憶の再生回数を比べると、たいがいは圧倒的に不幸の勝ちだ

和尚も講話で言っている

「自分の不幸を語る時は誰しも目が輝いている」と

…確かにそうかも

なんでだろうね

被害者でいることで何かを逃れようとしているのだろうか

それとも単なるマゾヒスティックな快感なのかな

私の年代だと、子供時代の少女漫画はMのオンパレードだった

ライバルにトゥシューズに画鋲を入れられて「うっ」とか苦痛に顔を歪めながらも、けなげにプリマドンナを目指す貧しい少女、とかね

そういうシュチエーションに酔っていた

大リーグ養成ギブスも相当なMグッズだったしなぁ(もう巨人の星を知らない人も多いのかしら)

子供ながらに、不幸な主人公に何らか甘美な刺激を感じていたわけだからやはりこれは本能的なものなのだろうか

私はあんまり見たことないけどイメージ的には韓国ドラマとかもそんな感じだよね

マイミクのヒーラーさんがmixi日記に書いていた

「私たちが不幸を好きなのは、元々いた神の世界には無いものなので人間界で楽しんでいるからだ」みたいな話

その説、面白いなーと思った

実はこれが好きで楽しんでいるのだと思うと

嫌なら止めるという選択も自分で出来ることに気がつく

しかし無意識のうちにかなりの中毒を起こしているので、酒やタバコよりもやめるの大変かも

個人レベルの不幸好きは何となく理解できたところだが

独裁政治とか戦争とか自然災害とか自分の意識変えたくらいじゃビクともしない恐怖というのはどうなんだろうね

それでもやはり個人個人が自分の問題処理をしていくしかないのかな

スケールがでかくなるとものごとが見えなくなる、小市民サイズの自分であった

運転をしていて、車の屋根をこすりそうな木の枝の下なんかを通る時

思わず車内で自分の頭をかがめてしまうことがある

意味ないんだけど(笑)

人のカラダを触っていると、カラダの中で同じことをしている人がたくさんいる

自分のカラダの中で小さく縮こまっているのだ

そうやって何か難を逃れることが出来るかというと、そんなことは絶対にない

むしろ逆効果だ

でもやっちゃうんだね、そういう私もやってるし


今日テレビで常盤貴子を見た

こんど出演するNHKのドラマについてのインタビューだった

華やかで美しいひとだなと思いながら見入っていたら、ふとインタビュアーの女性に画面が切り替わった

なんだか可哀想になるくらいの対比を感じた

彼女は決して醜いわけでもなく、パーツで見れば充分美人の域なのだが

目の前にいる女優の美しさに気圧されているのと、彼女の人生の記憶による緊張で

強張り、引きつった表情が輝きを押し込め不自然な歪みを作っていた

それは車の中で頭をかがめているのと同じことなのだと感じる

自分のカラダの中にどんなに逃げ込もうと私たちは世界から隠れることはできない

女優はカラダからはみ出すほどのエネルギーの中に輝いていた

どうせ怖がるならはみ出したまま怖がる方が盛大でいいのかな

どっちにしろ丸見えなんだし

どこも引っ込めないでエネルギーを発散させるのはどんな気分なんだろう

体験したい

遠慮しないで自分を味わってみたい

当然の権利なのになかなか出来ない

でもきっと、それが美人の秘訣だ


常盤貴子だからですよ

とか言わないでね

(ちなみに特に常盤貴子のファンというわけではありません)
前回の日記で過ぎていく時間にしみじみしていたのだが

老化していくカラダというのはなかなか受け入れ難い

80代の両親を見ていると、病気というのではなく各パーツが老朽化して次第に使えなくなってきている

不便だろうし、つらいだろう

いずれ死ぬのは仕方ないとして、若く完成された姿のまま生き続けることはできないものだろうか?

と思っていたら、今日読んでた本に答えが書いてあった

それは種族保存の本能で、子孫を残すための伴侶を決める時に間違って古いのを選ばないよう、分かりやすく外見を老化させるのだそうだ

がーん

それじゃぁ、あれだ

私なんかが若作りしようとするのは、何年か前に問題になった賞味期限詐称と同じことなわけだ

さすがにこの年になると騙される消費者もいないだろうが

製造年月日とか貼っとこうかな(笑)

カラダが老化する理由としてはかなり納得がいった

満足はしてないけどね

なんか嫌がらせのように、チベット体操を再開しようっと←若返り体操ですよ~

今日は友達の四十九日

久しぶりに会う友達の家族

私はずいぶん歓迎してもらって

お母さんやお姉さんから「あなたが来てくれてなっちゃんが喜んでいるよ、なっちゃんはあなたが大好きだったからねぇ」と何度も何度も言われた

なっちゃんは家族に私のことをそんな風に話していたんだね

私に会うと憎まれ口ばかり言ってたのにな

彼女の家族はフランクでフレンドリーで

お母さんもお姉さんも、旦那も元旦那も、娘たちもみんな少しも湿っぽくなくて

和気あいあいとお寿司を食べた

なっちゃんがいない場所で

なっちゃんの大切な人たちと笑って話しながら

こんなにたくさんの人たちに愛されていたのになぁ

お墓の上には赤い薔薇を並べて、ヘビースモーカーだった彼女のためにみんなが煙草に火をつけてお供えした

なっちゃんらしいお墓だった

久しぶりに会う人たちは、小さな子供だった甥っ子はもう父親になり

小学生だった娘たちは素敵な女性になり

元旦那さんやお姉さんは孫のいる年になり

あぁ、時間が流れているんだなぁってしみじみと感じた

20代の頃に買った黒いスーツを着た私は、同じスーツの上に見える自分の顔が昔とすっかり変わっていることを自覚する

だからこそ

生きていることは素晴らしく

小さな出来事も宝石のように輝いて感じることができる

こういう感情を味わったり、理解したりできるのは年齢を重ねてきたからこそだ

過ぎてゆくものだと理解できる時は

すでに多くのものが流れ去ったあとだ

切ないけれど

これが三次元の美しさなのだと思う

時間軸に沿って

ただ前へ前へと進んでいくこの舟に乗って

なんか

感謝


明日は先月亡くなった友達の四十九日だ

法要に参加するため予定を繰り上げて今日東京に来た

実家に帰る前に新宿で友達と食事をした

中学、高校と一緒だった友達

彼女も死んだ友達を知っていて、初めて人に面と向かってその死についての話が出来た

何とか泣かないで話ができた

新宿のスペイン料理屋で

ワインを飲みながら

料理も美味しくて

その友達の子供たちの話を聞きながら

あぁ、自分はまだ生きているんだって実感しながら

死んだ友達の話をした


今は実家に帰る電車の中

実家では年老いた両親が私の帰りを待っている

あと何回この家に迎えてもらえるのだろうか

いろんなことが通り過ぎていく年頃

私の頭の中にはまだ20代の若者のように将来の夢と計画が渦巻いている

やることがあるんですよ、まだ

ものすごくスローペースな私の人生は時々周りの時間と折り合わなくなりそうになるが

大丈夫

私には幸せにしたい人たちがまだまだいるんですよ

だから生きていく

そんなことを考えながら

間もなく調布駅

東京からのお客様Mちゃんのセッションをした後、先日の占いの話をしていた

いま大殺界なんだってーって話をしてたらMちゃんが「私はそういうのわからないけど九星で三碧木星なんですよ」と言うので

私も三碧木星なんだよね、三碧的にはどうなのよ?って聞いてみた

Mちゃんは静かで神秘的な瞳でじっと見つめながら「…言ってもいいんですか?」

その雰囲気にちょっと覚悟をしながら、どうぞ、お願いしますと言った私

「真っ暗な荒野を、たいまつも持たずにさまよい歩くような一年だ、と書いてありました」

「……」

あはははは!

二人で爆笑した

なんかもう、そこまで言われると可笑しくなっちゃってかえって怖さが吹き飛ぶ

とりあえず今のところ私は調子良い

時々、えっ、いいんですか?と聞きたくなるほど幸せな時間もやってくる

占いって何だろうなぁ

占星術は割と当たるんだよね

一時期、鏡リュウジの占星術サイトに登録して毎日の占いとか見てたんだけどこれが当たるんだよね

どこかで見てます?って聞きたくなるくらいドンピシャなメッセージを何度も受け取って驚いたけど

それも最近はあまり関心がなくなってきたので解約した

占いではないが、先日の霊能者みたいなリーディングセッションも何度か受けたことがある

その都度いろんな過去世を聞かされるんだよね

それはもうタイのお坊さんやらモロッコの愛人やら、ルーマニアのジプシーやら果てはイルカまで!あまりに多岐に渡っていて、もはや何の参考にもならないとも言える

過去世という考え方にも私にはひとつの解釈があるのだが、それはまた別の機会に

ただ私はそういうのが趣味なのでいろんなセッションを受けてみるからその答えに一貫性がないことに気が付くのだが

もし一回しか体験しなかったらその時聞いたメッセージはかなり影響力を持つだろうな、と思う

なぜ毎回答えが違うのかと言うと、たぶん私がどんどん変化しているからだろう

そして相手の投影もあると感じる

昨年女性のヒーラーさん(私の大好きな方である)に見てもらった時、彼女には私の中に男性(しかもイケメン)の過去世しか見えず、やっと出てきた女性の過去は女支配者で男を利用しながらバリバリ地位を築いていくような強者だった

先日の霊能者は男性で、彼が見た私の過去世はアラブ方面の金持ちの妻の一人で専用ヒーラーの役目だったと言い、だから出来ればひとりの男性について癒やすことが向いているのだと言う

実際私にはどちらの面もあると思うが、それぞれの答えにはやはりリーディングする人自身の投影を感じるのであった

それと同様に、私がボディリーディングやタロットリーディングをする時にもやはり投影しちゃっているんだろうなと思う

こういうセッションで大切なのは相手のエネルギーを上げることであり、感じたことをそのまま伝えれば良いってものではない

相手のブロックしている部分に穴を開け、そこのエネルギーを広げることが目的なのだ

だから昨年見てもらった時は私の男性性を活性化させることが目的だったのかもしれず、先日は私の女性性を開くことが目的だったのかもしれない

たしかに私はそれぞれのセッションの後、何かを意識するようになって変化を感じている

何が言いたいのかよくわからなくなってきたけど

占いやリーディングセッションは、受け取る側の意識も大切だってこと

それに振り回されたり、拘束されたりするのではなく

受け取ったメッセージを利用して、どうジャンプするのか

そこにフォーカスすれば良いのだと思う

先月の19日、日記にも書いたけど私は天使を家にお招きした

それに際して必要なものが3つあり、そのひとつが白い花だった

連絡を受けたのはもう夕方で、島には花屋というものがない

近所を歩いてみたけど咲いているのは赤い椿ばかり

白い花をどうしよう、と思っていたのだが

スーパーにお供え用の菊の花が一束だけ売っていた

ちょっとイメージ違うけど、まぁいいかと思って購入

5本の菊のうち2本が白、そのうち1本は花の付け根から折れていて使えるのは1本だ

残りの3本は黄色い菊で、それは玄関に飾った

これまで菊の花ってお仏壇のイメージが強くて、自分で買うのは初めて

私はもっと香りが強くて見た目も派手な花が好きだった

5日が過ぎ、天使を送り出した翌日から私は東京へ

玄関の菊をどうしようか悩んだ

帰ってきた時に枯れた花があるのは嫌だけど、今咲いているものを捨てる訳にもいかないのでそのまま置いて出掛けることにした

そして10日後、私は家に戻って来たのだが

玄関の菊は出掛ける時よりさらに大きくきれいに咲いていた

わー、すごい!

実は今もさらにさらに大きくきれいに咲いているのであった

買ってからもう20日以上経っているのに

そうか、いつまでも長く咲いているからお墓などにお供えするのだな

長く咲いているから菊人形なんてものが成立するのだ

菊の品評会とかいつまでも展示してるもんなぁ

今更ながら菊の威力に気がついた

お店で見た時は冴えない感じだったけど丸く大きく開いた菊は立派なお姫様のようでもある

そういえばこの国の偉い人の家は菊の御紋だ

「ガイアの法則」という本には古代シュメールの紋章も同じ菊の紋だと書いてあった

いきなり菊パワーに圧倒されてきたぞ

クラスで目立たない地味な女の子がメガネを外したらすごい美人だった!とかそんな気分

だからどうだってこともないのだが

世間じゃ常識かもしれないのだが

私には新発見だったので書いてみた