地球に暮らす私たちは


『自分で選ぶ』という感覚を


無自覚に放棄しがち。




自分で選んでいるつもりが…




活字化された情報だったり

活字に説得力を感じちゃう人ぉー


自分が特別視した誰かの主張だったり

この人素晴らしいのぉ!だから信じるぅ!


人間関係に依存した結果の同調だったり

みんなそう言ってるぅ…そうだよね、きっとぉ



そんなことから


気づかずに流されていることも多い。



 


人間って。




思った以上に


刷り込みによって


人生を送っているもんだ。





たとえば…


人は死んだらどうなるのか。




天国や地獄に行くと考える人もいるし。


霊界の自分の段階にあった階層に行く。


また、輪廻転生を繰り返すと考える人。


死んだら終わり、無になると考える人。




仏教の教えだったり、スピリチュアル情報だったり。


書籍やテレビ番組など、また家族から聞かされたりなど幼い頃からの刷り込みもある。





しかし、地球文化で言われている


これらの死後のシステムは


宇宙的視野でみたら


たくさんある選択のひとつに過ぎないようです。




そう、選択。




それも、選択肢はいくらでもあるという…






『死んだらこうなる』


そう思えばそうなるそうです。




天国に行くと思えば天国に。


地獄に行くと思えば地獄に。


霊界があると思えば霊界に。


こんな階層(世界)に行くと思えばその世界に。


輪廻転生をするのなら、生まれ変わる。


無になるのなら居なくなる。




すべては自分の選択に過ぎない。


選択しているという自覚あるなし関係なく。


その選択が、たとえ刷り込みによる選択だったとしても、結局決めたのは自分。


思っていた(決めた)通りになる。




宇宙は寛大でありながら厳しい。


ならば、その決定を刷り込みかも知れないと振り返るのも一興ではなかろうか。





ちなみに。


私は、とある星に行く。


と決めている。




天国には興味がない。


霊界のようなシステムにも興味がない。


もう、地球に生まれるのは今回限りだ。


そして、無になるくらいなら宇宙の光の一素粒子になりたい。




そう思っている。









さて。


選択の話から生と死の話へ。




宇宙には善悪はないらしい。


善悪は人間が作り出した思考。




生は語るが、死を忌み嫌う。


これも、善悪の思考が影を落としてはいないだろうか。




物事の真実は、陰と陽のふたつによって齎される。


片方ばかり選り好みしては、表面的にしか見えない。


綺麗ごとを並べるのは、表面的でいたいという現れ。


自分の中の何かを隠している現れ。






清濁併せ呑む






これを実践できるのは

本気で人生を生きている人だろう







自死について。




言うところによると


自死はうかばれないと言う。


ある宗教では、天国には逝けず地獄に堕ちるのだとか。


または、転生できないとか。




それこそ、何某かの思考操作が働いているのでは?なんて個人的には思う。




宇宙は、そんなみみっちいことはしないらしい。


そりゃそーだ ( ̄▽ ̄)




こうした自死後の行く先は、あくまでも地球世界での縛りでしかすぎない。


そして、それは多くの人間の認識が生み出す幻想らしい。


しかし、幻想とは言えども思考が現実を生み出す。


実際のところ、その思考を持ち合わせていたら、地獄に堕ち、転生はせず、ずっと苦しむということになる。


だがしかし、自死したとしても、自らその人生に後悔や怨みを持たなければ、自由な在り方をまた自ら選択する。


すべては、自分次第であるようだ。






自死について触れています下差し






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知り合いに息子さんが自死された方がいる。


そのときの私は、連絡をくれた彼女にかける適切な言葉を持っていなかった。




あれから、誰かの自死を耳にするたび真実を知りたいとどこかで思っていたのだと思う。


自死の真実…




宇宙は、自由を前提に私たちを生み出している。


自分が望めば、その場所から離れて思うがままに始められる。


これ、死後だけでなく、生きてる間もそうだね




大事な人を亡くしたあとは、その人が死後もなお苦しんだり、迷ったりしてはいないか…と心配するだろう。


でも、その苦しみや迷いを自ら手放そうとすれば解放される。


すべては、自分次第。


これは、宇宙は一人ひとりの存在を尊重している証拠です。


その意志を尊重している証拠です。




狭い枠(思考)から、宇宙的な視界で…


そもそも私たちは地球人である前に、宇宙の存在なのだから。




誤解されるのを承知で書けば、自死もひとつの終わり方です。

自死を肯定するとか否定するとか、そういう善か悪かというどちらかしかない範疇での話ではありません。




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人は、この地球に、この地球でなければ体験できないことを体験しに来るそうです。


体験したことで、それが学び、発見に結びつけば魂はよろこびに震えます。


それは、嬉しい出来事や楽しい出来事に限りません。


寧ろ、悲しい出来事や、辛い苦しい出来事からの学びや発見の方に深いよろこびがあるようです。




そして、人生の終わり方も選択なのです。


その終わりからみえる何かを得るために。






物事の陰と陽。


腹を決め、どちらからも学ぶ(清濁併せ呑む)意識を持つことで、宇宙の意識と繋がりやすくなるそうです。




本来の姿。


在るが儘でいられるそうです。








拙い文章で…( ̄▽ ̄)

出てくる言葉をとにかくツラツラと書きました。

なぜか、この時期に書きたくて。

誰かの何かになれれば本望です。